真の平等と対等は存在しない理由
「人は生まれながらに平等」「どの国の人も、どんな立場の人も等しく平等」
そんな言葉を何度も聞いてきた。
しかし、実際この世の中に真の平等は存在しない。
それが私の中で出た結論である。
なぜそう思ったか?
長く生きていると、こちらが誠意を持って生きようとしても、全く意に介さず、土足で踏み込んでくる人間が沢山いることを知ったからだ。
実際に接する人々、そしてネット空間。
本当に善意の欠片もない人間が居る。
それらは時に差別という形になって現れてくる。
生まれてくる土地、国家、家柄、血筋、人種、民族、性的指向、障がい者や疾病の有無。
自分の努力と関係なしに、生まれ落ちたところで人間の運命が決まってしまうのが今の世の中だ。
白人か黒人か、有色人種か、欧米人か、アジア人か、アフリカ人か。
市場が求める容姿か、そうでないか。
戦争でさえ市場原理で判断される。
例えばロシアのウクライナ軍事侵攻の際、日本は異例の早さで「準難民」として彼らを受け入れた。
確かにウクライナの状況は深刻だ。
だがロシア国民からプーチンのやり方に批判が上がっていることも報道されない。
そしてメディアは見た目も白人で美しいウクライナ人を人道支援という言い訳で利用しているのが透けて見える。
そして2021年から勃発したミャンマーの軍事クーデターで、日本はウクライナ人並に手厚い支援をしていたか?
ミャンマーでの市民の被害者の方がより深刻なはずだ。
ミャンマー人、日本にも多く住む在日ミャンマー人について、メディアは積極的に言及してくれてただろうか?
その前のシリア人、クルド人に対してはどうか?
クルド人に対しては2022年、初めて1人認定された。
ウクライナ人がすぐに受け入れられたのに比べ、クルド人はどれだけ長く冷たい扱いを受けたか?
また、アフリカでは子供の命が危険にさらされやすく、衛生面もとても不安定だ。
特に女性満足な教育を機会さえ受けられず、早すぎる結婚と出産を余儀なくされる。
本人がいくら情熱や才能があっても、現実の世の中、人々はカテゴリーで判断するのだ。
「人は生まれぬがらにして平等」
その言葉を改めて問いたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?