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教科書だけで解く早大日本史1-8 社会科学部2020

いよいよこの連載も最終回になりました。

問題は河合塾速報からどうぞ。

〇問6 「大冶鉄山から掘り出されたもので、これは随分古くから我が国の利権となっている」に関連する日中合弁事業の承認を日本政府が要請した文書と同一の文書に含まれる記述はどれか。

イ 「合衆国政府ハ日本国カ支那ニ於テ特殊ノ利益ヲ有スルコトヲ承認ス」
ロ 「支那国政府ハ、本条約付属書二列記セル南満州及東部内蒙古ニ於ケル諸鉱山ノ採掘権ヲ日本国臣民ニ許与ス」
ハ 「両締約国ハ相互二清国及韓国ノ独立ヲ承認シタルヲ以テ、該二国孰レ二於テモ全然侵略的趨向ニ制セラルルコトナキヲ声明ス」
ニ 「清国ハ左記ノ土地ノ主権並ニ該地方ニ在ル城塁、兵器製造所及官有物ヲ永遠日本国ニ割与ス」
ホ 「支那国以外ノ締約国ハ左ノ通約定ス(中略)(三)支那ノ領土ヲ通シテ一切ノ国民ノ商業及工業ニ対スル機会均等主義ヲ有効ニ樹立維持スル為各尽力スルコト」

 まずは、同一の文書を特定する前に元の文書が何かを特定しなければいけません。「日中合弁事業の承認」がキーワードです。

「イギリスがドイツに宣戦すると、第2次大隈内閣は加藤高明外相の主導により日英同盟を理由として参戦し、中国におけるドイツの根拠地青島と山東省の権益を1914(大正3)年中には接収し、さらに赤道以北のドイツ領南洋諸島の一部を占領した。
 続く1915(大正4)年、加藤外相は袁世凱政府に対し、山東省のドイツ権益の継承、南満州及び東部内蒙古の権益の強化、日中合弁事業の承認など、いわゆる二十一か条の要求をおこない、同年5月、最後通牒を発して要求の大部分を承認させた。」(太字は筆者による)(※)

 資料Aが書かれたのは1941(昭和16)年、「随分古くから我国の利権」というからには、26年前にあたる二十一か条の要求ならぎりぎり「随分古くから」と言えそうです。その前後の中国(清・中華民国)との条約で日本の利権を認めさせるとなると、下関条約(馬関条約)、九カ国条約あたりがありえそうですが、それらに日中合弁事業の項目はなく、二十一か条の要求と判断してよいでしょう。

 この日中合弁事業とは「漢冶萍公司」(かんやひょうこんす)という大冶鉄山の鉄鉱石と萍郷の石炭で構成される中国の大規模な民間製鉄会社を日中共同経営にするように強要し、事実上日本の支配下においた事業です。

 教科書本文には日中合弁事業について記載はありますが、掲載資料にはでてきません。では選択肢を確認しておきましょう。

 イはアメリカが日本の中国における権益を認めるという内容で、これにあてはまりそうなのは、1917年、石井菊次郎とランシングの間で結ばれた「石井・ランシング協定」しかありません。

「日本の中国進出を警戒していたアメリカは、第一次世界大戦に参戦するに当たって、太平洋方面の安定を確保する必要があったため、特派大使石井菊次郎と国務長官ランシングとのあいだで、1917(大正6)年、中国の領土保全・門戸開放と、地理的な近接性ゆえに日本は中国に特殊利益を持つと認める公文が交換された。」(太字は筆者による)

ロは二十一か条の要求の第2号第4条です。資料集にはありますが、教科書掲載資料にはありません。ただし、先に引用した本文から類推は十分に可能です。

ハも教科書(山川)には掲載されていない資料です。「両締約国」が「清国及韓国」の「独立ヲ承認」していますから、韓国併合前に日本が清国以外の国と結んだことがわかります。これは日英同盟協約の冒頭です。

二は下関条約、ホは九カ国条約です。ニの「左記ノ土地」は遼東半島、台湾、澎湖諸島をさしています。ホに関して「支那国以外の締約国」とあることから中国を含む多数国家間の条約ということから想定できます。

 日中合弁企業が二十一か条要求と判定できれば、中国を「清国」ではなく「支那国」と呼んでいるはずで、ロとホの2拓です。ホが支那国以外の締約国があると読めば、ロに確定できます。

 判定はやや難しいのですが、教科書本文と掲載資料を活用すれば正解に辿りつけるため、やや強引ですが〇としたいところです。

※過去の教科書ではこの記述につづいて寺内内閣の西原借款の話につながりますが、最新版ではその間にかなりの分量で大隈・加藤外交への評価が記載されています。
「加藤による外交には内外からの批判があり、大隈を首相に選んだ元老の山県も。野党政友会の総裁原敬に対して「訳のわからぬ無用の箇条まで羅列して請求したるは大失策」と述べて批判していた。
 大隈内閣の外交の背景には、国家の膨張を「開国進取」の現われととらえる大隈の発想があったが、内閣としては北京政府の袁世凱をおさえ、しだいに南方の革命勢力への支持を鮮明にしていった。」

◎問7 空欄補充問題です。

「石油輸入の最大数量は(A)からの八億七百万ガロン、次が(B)の二億六千万ガロン、ボルネオ六千二百万ガロンという順位でその六十四%は(A)に依存した。この(A)の石油が日本の手に入らないということになれば、勢い我国は(B)の石油を何としても確保せねばならないのである。」
イ 北部仏印ーアメリカ ロ アメリカー北部仏印 
ハ アメリカー蘭印 ニ 支那ー蘭印 ホ 支那ー北部仏印

 石油輸入を完全に頼っており、そこからの石油が手に入らないという記述から、Aのアメリカは確定です。あとは石油資源確保のために侵攻するとなれば北部仏印ではなく蘭印となり、ハが正解となります。

※北部仏印進駐は日独伊三国同盟を締結した1940年9月で、この資料の出されている1941年時点ではすでに実行されています。アメリカの対日石油輸出禁止は1941年7月の南部仏印進駐に対する対抗措置なのでロの組み合わせはなくなります。

 教科書には「石油輸出禁止」はアメリカ以外に記述がないので想定はできますし、蘭印も消去法で確定できるので◎評価。

◎問8 「南進」に関して、太平洋戦争中に日本軍が占領・制圧した地域として不適切なもの2つ

イ ビルマ   ロ ハワイ   ハ 香港 
ニ シンガポール   ホ セイロン
「緒戦の日本軍は、ハワイでアメリカ太平洋艦隊、マレー沖でイギリス東洋艦隊に打撃を与え、開戦後から半年ほどのあいだに、イギリス領マレー半島・シンガポール・香港・ビルマ(ミャンマー)、オランダ領東インド(インドネシア)、アメリカ領のフィリピンなど、東南アジアから南太平洋にかけての広大な地域を制圧して軍政下においた。」(太字は筆者による)

 ロのハワイ、ホのセイロンが不適切です。
 東のハワイは真珠湾の奇襲のみで占領・制圧はしていません。
 西の日本軍の最大進攻線はビルマまでです。インド侵攻のためのインパール作戦で大量の餓死者・戦死者をだす大敗を喫し、インド・セイロンまでは侵攻していません。

 本文のみで正解できます。◎評価。

〇問9 資料Bから「銅」に関連する記述について、不適切2つ

イ 江戸時代には、別子銅山や阿仁銅山が鉱山町を形成した。
ロ 国外への流出を防ぐため、海舶互市新例により長崎貿易での輸出が禁じられた。
ハ 田沼時代には幕府による専売の対象とされた。
二 足尾銅山は、工部省発足にともない官営化され、後に古河に払い下げられた。
ホ 足尾銅山鉱毒事件発生当時、銅は主要な輸出品の一つであった。

 中世終わりから近世はじめ(戦国時代から江戸初期)には海外から新しい技術が導入され、各地で競って鉱山の開発がめざされ、鉱山町が各地で生まれます。

①「おもな鉱山としては、石見銀山・生野銀山・院内銀山など、また佐渡相川の金・銀山、足尾銅山・別子銅山・阿仁銅山なども知られている」(脚注)

 田沼意次は幕府財政の再建のために年貢増徴だけに頼らず民間の経済活動を活発にして運上・冥加金を徴収しようとしました。そのため、享保の改革で承認されていた株仲間の結成を奨励します。

②「この一環として幕府の専売のもとに、銅座・真鍮座・朝鮮人参座などが設けられた。」(脚注)

 品目別の輸出入の割合を1885年、1899年、1913年の3つで比較した円グラフが教科書(山川)に掲載されています。そこでは、銅の輸出割合が1885年に5.0%、1899年に5.4%、1913年に4.5%を占めていることがわかります。足尾銅山鉱毒事件は1891年から15年ほど続きますから、この間、銅は主要な輸出品だったことがわかります。

 以上から、イ、ハ、ホの3つが適切だとわかりました。したがって、ロ、ニが不適切です。

 ロの海舶互市新例で制限されたのは銅ではなく銀です。

③「白石は、江戸時代の初めから日本の保有する金の4分の1、銀の4分の3が貿易で海外に流出したと総計し、清船は年間30隻、銀高にして6000貫、オランダ船は2隻、銀高3000貫に制限した」(脚注)

 ニは教科書から正誤判定はできません。「工部省発足にともない官営化」は確認できず、「後に古河に払い下げ」については、「田中正造と足尾鉱毒事件」という囲みコラムで「幕末には廃鉱同然だった足尾銅山を、古河市兵衛が買い取ったのは1877(明治10)年である」とあるだけで、古河に払い下げられたかどうかはわかりません。実際には1871年に民営化されていたものを1877年に買収しており、この部分は不適切ということになります。また、「官営化」ではなく「民営化」になります。

 やや難問ですが、脚注から正解は導けるので〇評価です。

△問10 「その他の非鉄金属」に関連して、石見銀山に関する記述として不適切なもの1つ

イ 戦国時代には戦国大名による争奪戦がくり広げられた。
ロ 博多商人の神谷寿禎により朝鮮から灰吹法が伝えられ、銀の産出量が増大した。
ハ 江戸時代の主要な銀山としては、石見のほかに但馬生野や院内がある。
二 明治期に官営化され、後に三菱に払い下げられた。
ホ 南蛮貿易で輸出された主要な産地となった。

 石見銀山は世界遺産に認定されたことで出題が増えています。コラム「石見銀山」では、以下のような記述があります。

「石見銀山は大森銀山ともいい、かつては世界有数の銀山として海外にもその名が知られていた。石見銀山繁栄のきっかけは、16世紀前半に博多商人神屋(谷)寿禎が朝鮮から「灰吹法」という精錬技術を伝えたことにあった。これにより16世紀後半から17世紀初頭にかけて石見銀山は最盛期を迎え、その銀を求めて多くの南蛮人が日本に来航した。とくにポルトガル人は、南米ポトシ銀山の銀を背景に東アジア貿易に乗り出してきたスペイン人に対抗するためにも、日本の銀を必要とした。
 「灰吹法」はやがて日本各地の銀山に広がり、その結果、17世紀初頭の日本の産銀量は世界の総産銀量の3分の1に当たる年間約200トンにものぼったというが、その後はしだいに減少し、石見銀山も17世紀中頃に銀山としての使命を終えることになった。」

 ロ、ホが適切であることがわかりました。また、ハについては問9の引用のとおりです。残るはイとニですが、イについては用語集に記載があります。毛利元就らが激しく争奪戦をくり広げました。

石見(大森)銀山「島根県にある。16世紀以降に開発、戦国大名の争奪が激しかった。大久保長安が奉行の頃に最盛」

ロについて、三菱に払い下げられたのは但馬生野銀山(佐渡金山も)です。

 最後の判定に用語集が必要でしたが、戦国大名による争奪戦は基本的な知識です。△評価ですが、レベルはそれほど高くはありません。

 以上です。

 大問Ⅳについては、◎5〇4△1でした。

 全40問の内訳は、◎23〇13△3×1でした。教科書本文だけに依拠して正解に辿りつける問題が57.5%、教科書の脚注、資料、表・グラフ、コラムまで含めると90%となりました。

 これで社会科学部2020編は終了です。

 お付き合いありがとうございました。

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