教科書だけで解く早大日本史 2021文化構想学部 7
2021文化構想学部編も折り返しの第7回です。
今回から〔Ⅲ〕に入っていきます。〔Ⅲ〕では「日本における都市の歴史」をテーマに各設問が出題されています。一応、リード文は古代から現代までの話ですが、出題されているのは中世、近世、近代で、特に近世中心です。
※大学公式ページで問題を確認してください。
※東進データベースは要登録です。
◎1 中世に出現した「常設の小売店」は
漢字3字指定の記述問題です。
古代の都(平城京、平安京)でも市は開かれましたが、中世に入り、「荘園・公領の中心地や交通の要地、寺社の門前などには、生産された物資を売買する定期市が開かれ、月に三度の市(三斎市)も珍しくなく」なります。「地方の市では、地元の特産品や米などが売買され、中央から織物や工芸品などを運んでくる行商人も現れ」ました(引用はいずれも教科書110頁)。
引用からわかりますが、古代から中世初期にかけては、物資の売買(交換)は市が開かれた場所で行われていました。『一遍上人絵伝』の「備前国福岡市」で見られるように、市が開かれると道路を挟んだ仮小屋に小売店が設置されてやりとりをしました。
問題にあるような常設の小売店を構えるには、商品生産力も商品購買力も不十分だったためです。しかし、鎌倉時代になると都市部で貨幣経済が浸透し、常設小売店の設置(維持)が可能になります。
京都・奈良・鎌倉などには高級品を扱う手工業者や商人が集まり、定期市のほかに常設の小売店(見世棚)も出現した。(110頁)
正解は、「見世棚」です。こちらも『一遍上人絵伝』で確認できます。
〇2 中世の港町(堺と博多)について 誤文を2つ
ア 博多と堺は日明貿易の拠点として栄え、商人たちは南蛮貿易にも進出していった。
イ 堺商人と結んだ細川氏と、博多商人と結んだ大内氏は、明の寧波で衝突した。
ウ 博多の市政は、会合衆と呼ばれる豪商の合議によって運営されていた。
エ 堺は海と堀に囲まれた安全な都市として、ヨーロッパにも知られていた。
オ 博多の武野紹鴎、堺の千利休らの商人たちによって侘茶が確立されていった。
誤文を2つ選択する問題です。
戦乱の中でも遠隔地商業はあいかわらず活発であり、港町や宿場町が繫栄した。これらの都市の中には、富裕な商工業者たちが自治組織をつくって市政を運営し、平和で自由な都市をつくり上げるものもあった。日明貿易の根拠地として栄えた堺や博多、さらに摂津の平野、伊勢の桑名や大湊が代表的であり、とくに堺は36人の会合衆、博多は12人の年行事と呼ばれる豪商の合議によって市政が運営され、自治都市の性格を備えていた。(151-152頁)
ウの「会合衆」は堺の自治を担ったものであり、博多は「月行事」が正しい。したがってウは誤文です。
なお、会合衆はかつては「えごうしゅう」と読んでいましたが、最近では「かいごうしゅう」と読み方が優位らしく、教科書のフリガナも上段に「かいごうしゅう」、下段に「えごうしゅう」となっています(2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」では「えごうしゅう」と呼んでいました)。
侘茶の方式は、村田珠光ののち堺の武野紹鴎を経て千利休によって完成された。(143頁 脚注②)太字は引用者による
オの「博多の武野紹鴎」は「堺の武野紹鴎」の誤りです。武野紹鴎も千利休もともに堺の人物です。オは誤文でした。
ウとオが2つの誤文で確定です。
15世紀後半、幕府の衰退とともに、貿易の実権はしだいに堺商人と結んだ細川氏や博多商人と結んだ大内氏の手に移った。細川氏と大内氏は激しく争って、1523(大永3)年には寧波で衝突を引きおこした(寧波の乱)。そしてこの争いに勝った大内氏が貿易を独占したが、16世紀半ばに大内氏の滅亡とともに勘合貿易も断絶した。(128頁)
引用の通り、アとイは正しい文です。大内氏の滅亡後、再び倭寇が活発になり、豊臣秀吉の海賊取締令まで倭寇の活動が続きました。
自由都市堺について
ーガスパル=ヴィレラ書簡
堺の町は甚だ広大にして、大なる商人多数あり、此の町はベニス市の如く執政官に依りて治められる。(一五六一(永禄四)年書簡)
日本全国、当堺の町より安全なる所なく、他の諸国において動乱あるも、此の町に来住すれば皆平和に生活し、諸人相和し、他人に害を加ふる者なし。・・・町は甚だ堅固にして、西方は海を以て、又他の側は深き堀を以てかこまれ、常に水充満せり。(一五六二(永禄五)年書簡)
(『耶蘇会日本通信』)
教科書151頁に掲載されている資料で自治都市堺の堅固な守りについて書かれています。宣教師ガスパル=ヴィレラがイエズス会に送った通信です。堺の自治は織田信長に屈服するまで続きました。
◎3 江戸の防火・消化体制について
ア 江戸は特に宝暦の大火以後、繰り返し大火に見舞われていた。
イ 町奉行の遠山景元(金四郎)が中心となって推進した。
ウ 消火組織として新たに定火消と町火消を組織した。
エ 町火消は町奉行の支配から独立した自主的な組織であった。
オ 町火消は町々を「い」「ろ」「は」などに組み分けて編成された。
正しい文を1つ選択する問題です。4つは誤文です。
改革の第2の柱は江戸の都市政策で、町奉行大岡忠相によって進められた。明暦の大火以後も繰り返し大火に見舞われた江戸に、広小路・火除地などの防火施設を設け、定火消を中心としてきた消火制度を強化するために、町方独自の町火消①を組織させた。(220頁)太字は引用者による
アの「宝暦の大火以後」は「明暦の大火以後」が正しく誤文。
イの「遠山景元」は「遠山の金さん」のことですが、ただしくは「大岡忠相」です。どちらも時代劇の人気主人公です。
ウの「新たに定火消と町火消を組織」は誤りで、もともとあった定火消に、新たに「町火消を組織」「させた」が正しい。
エは「町奉行に支配から独立」が誤りで、町火消を組織「させた」からわかるように、町奉行の指示で組織され、管轄下に置かれています。
アからエがすべて誤りですので、正しい文はオです。
①江戸町方の町々を「いろは」47組(のちに48組)に編成した。町人足役による組織的な消火制度を始めたが、すぐに鳶人足による消火組織にかわった。(220頁 脚注①)太字は引用者による
町火消は町々を「いろは」47組に編成して組織されました。8代将軍吉宗を主人公にした時代劇「暴れん坊将軍」に「め組」の頭として北島三郎が出演していましたね。
間違えた、こっちです。
今回はここまでです。
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