見出し画像

教科書だけで解く早大日本史 2021法学部 8

2021法学部編の第8回です。引き続き大問Ⅲを見ていきます。

※大学公式ページで問題を確認してください。

※東進データベースは要登録です。

◎4 郵便・電信について 誤文2つ

あ 国内で初めての電信線は、東京・横浜間に架設された。
い 電信線は、1874年には長崎と宇都宮まで延ばされた。
う 長崎と上海の間の海洋電線は、1871年に開通していた。
え 飛脚にかわる官営の郵便制度を建議したのは、岩崎弥太郎であった。
お 日本は、1877年に万国郵便連合条約に加盟した。

郵便と電信については教科書267頁にまとまって記述されています。

 通信では、1871(明治4)年に前島密の建議により、飛脚にかわる官営の郵便制度が発足し、まもなく全国均一料金制をとった。また1869(明治2)年に東京・横浜間に初めて架設された電信線は、5年後には長崎と北海道までのばされ、長崎・上海間の海底電線を通じて欧米と接続された。(267頁)

」と「」が誤文です。

「い」は「宇都宮」でなく「北海道」、「え」は「岩崎弥太郎」でなく「前島密」です。

なお、「あ」は引用の通り正しく、「お」も267頁の脚注に書かれています。「う」も正しい文ですが、1871年に開通したことは教科書にはありません。「用語集」には「電信」の説明の中に書かれています。

郵便・電信については2020年度の社会科学部でも出題されています。


◎5 日露戦争の講和条約に関して 誤文1つ

あ ロシアは、韓国に対する日本の指導・監督権を全面的に認めた。
い ロシアは、旅順・大連の租借権、長春以南の鉄道とその付属の権利を日本に譲渡した。
う ロシアは、北緯50度以南の千島列島を譲渡した。
え 日本側の首席全権小村寿太郎とロシア側首席全権ヴィッテが条約に調印した。
お 日ロ両国とも戦争継続が困難となったため、セオドア・ローズベルト米大統領が講和条約をあっせんした。

ポーツマス条約のについては、

 しかし、長期にわたる戦争は日本の国力の許すところではなく、ロシアも国内で革命運動がおこって戦争継続が困難になったため、セオドア=ローズヴェルト米大統領の斡旋によって、1905(明治38)年9月、アメリカのポーツマスで日本全権小村寿太郎とロシア全権ウィッテは講和条約(ポーツマス条約)に調印した。(296頁)

多額の戦費と多数の戦死者で戦争継続は困難だった日本と首都もモスクワで起きた革命運動(第1次ロシア革命)もあって戦争継続が困難なロシアという日ロ両国の状況に、満州権益への進出をもくろむアメリカの思惑が絡んで、ローズヴェルト仲介のもと、小村とウィッテによって条約が調印されます。アメリカの仲介については、開戦時にすでに満韓交換論の立場だった伊藤博文が腹心の金子堅太郎をアメリカに派遣してローズヴェルトへの連絡を試みていました。金子堅太郎は岩倉使節団でアメリカに留学し、ローズヴェルトと面識があったためです。

「え」「お」は正しい文でした。次に条約の内容です。

ロシアは、

(1)韓国に対する日本の指導・監督権を全面的に認める
(2)清国からの旅順・大連の租借権、長春以南の鉄道とその付属の利権を日本に譲渡する。
(3)北緯50度以南のサハリン(樺太)と付属の諸島の譲渡
(4)沿海州とカムチャツカの漁業権を日本に認める

が、主な内容です。日清戦争と違い賠償金が得られなかったことで、日比谷焼き討ち事件が発生し、首都には戒厳令がしかれます。

「あ」「い」が正しく、「う」が誤文でした。千島列島は1875(明治8)年の千島樺太交換条約ですでに全千島が日本領と確定していました。ポーツマス条約で南樺太を得た日本はシベリア出兵で北樺太へ侵攻するなどもありましたが、第2次大戦後、ヤルタ秘密協定を盾に進行してきたソ連によって樺太および北千島・南千島を占拠されます。教科書では、ヤルタ協定について南樺太は「返還」、千島列島は「譲渡」としています。

日本政府は、日露和親条約での得撫島以北が千島列島であり、択捉島までは北海道に付属する諸島という立場をとっています。日ロ間で戦争を経由しないで外交的に解決した国境は千島樺太交換条約が最後になっていますので、本来であれば、全樺太がロシア領、全千島が日本領であるべきです。とはいえ、それを主張しあっても領土問題は解決しそうにありません。スターリンとそれ以後の指導者たちは領土を譲る気は全くなさそうです。ついに日本政府まで「北方領土」という言葉を使わなくなってしましました。

◎6 日本海海戦と同じ年に起こった出来事でないもの

あ 政府は、第2次日英同盟協約を結び、韓国保護国化を承認させた。
い 政府は第2次日韓協約を結び、漢城に統監府を置いた。
う 三民主義を唱える孫文が東京で中国同盟会を結成した。
え 政府は、経済的・軍事的な必要から、主要な私鉄を買収するため、鉄道国有法を公布した。
お ポーツマス条約に反対する国民大会が日比谷公園で開かれ、条約破棄を叫んで暴徒化した。

まずは何年かを確定しておきましょう。日本海海戦は日露戦争の最終盤ですので、1905(明治38)年です。初頭に旅順陥落、3月に奉天会戦、5月に日本海海戦、9月にポーツマス条約です。

あ 1905年
い 1905年
う 1905年
え 1906年
お 1905年

日露戦争直後の1906(明治39)年、第1次西園寺内閣は、軍事的な配慮もあって全国鉄道網の統一的管理をめざす鉄道国有法を公布し、主要幹線の民営鉄道17社を買収して国有化した。鉄道国有化で得た資金を重工業へ投じた資本家も多かった。(303頁)

鉄道国有法だけが1906年で、残りはすべて1905年です。「う」の中国同盟会はのちの国民党ですが、1905年に東京で結成されます。中学歴史の教科書などにも登場しますし、世界史では必須の用語ですが、山川教科書にはなぜかありません。「用語集」では⑥になっていますので、他社版には記載されているようです。

今回はここまでです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?