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教科書だけで解く早大日本史 2021文化構想学部 11

2021文化構想学部編もあと2回。〔Ⅳ〕の中盤に入ります。

※大学公式ページで問題を確認してください。

※東進データベースは要登録です。

◎5 江戸幕府初期、輸入生糸を一括購入させた仲間

漢字指定の記述問題です。

下線部dは以下の通りです。

幕府は特定の商人たちに仲間をつくらせ、輸入生糸を一括購入して販売させ、利益を仲間で分配させた。

徳川家康の時代は外国との貿易に積極的であり、オランダは1609(慶長14)年、イギリスは1613(慶長18)年に幕府から貿易の許可を受けて平戸に償還を開きます。さらに家康はスペインとの貿易にも積極的で、スペイン領のメキシコ(ノビスパン)に京都の商人田中勝介を派遣しています。

当初、ポルトガル商人はマカオを根拠地に中国産の生糸(白糸)を長崎に運んで巨利を得ていたが、幕府は1604(慶長9)年、糸割符制度を設けて、糸割符仲間と呼ばれる特定の商人らに輸入生糸を一括購入させ①、ポルトガル商人らの利益独占を排除した。(178頁)
①京都・堺・長崎の特定の商人らに糸割符仲間をつくらせ、この仲間が毎年春に輸入生糸の価格を決定し、その価格で輸入生糸を一括購入して、これを仲間構成員に分配した制度である。のちに江戸・大坂の商人が加わり、五カ所商人と呼ばれた。(178頁 脚注①)

正解は、「糸割符仲間」です。糸割符制度は1631年に中国、1641年にオランダにも適用されます。

なお、「仲間」という用語は後に「株仲間」などでも使用されますが、同業者や、異種でも利害を同じくする商人・職人が結成した団体のことです。組合ともいいました。

〇6 7代将軍徳川家継の時に長崎貿易の制限を建議した人物の著書でないのは

ア 『折たく柴の記』
イ 『政談』
ウ 『古史通』
エ 『采覧異言』
オ 『西域物語』

下線部eは以下の通りです。

1715年、幕府は清船・オランダ船の年間の貿易額を制限した。

まずは、人物を特定しておきましょう。

また長崎貿易では、多くの金銀が流出したので、これを防ぐために1715(正徳5)年、海舶互市新例(長崎新令・正徳新令)を発して貿易額を制限した③。(202頁)
③白石は、江戸時代の初めから日本の保有する金の4分の1、銀の4分の3が貿易で海外に流出したと推計し、清船は年間30隻、銀高にして6000貫、オランダ船は2隻、銀高3000貫に制限した。(202頁 脚注③)

貿易制限令を出す建議をしたのは「新井白石」です。

教科書に出てくる新井白石の著書は以下の通りです。

『読史余論』
『折たく柴の記』
『古史通』
『藩翰譜』
『采覧異言』
『西洋紀聞』

したがって、ア、ウ、エが新井白石の著書です。

イの『政談』は徳川吉宗に用いられた儒学者の荻生徂徠。

オの『西域物語』は西洋諸国との交易や蝦夷地開発による富国説を唱えた本多利明です。

それにしても、早大は新井白石がよく出ますね。昨年の人科の問題を復習しておくとよいでしょう。

〇7 幕末から明治維新期の貿易について

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ア X- 綿糸  Y- 綿花  Z- 綿織物
イ X- 綿糸  Y- 綿織物 Z- 綿花
ウ X- 綿織物 Y- 綿花  Z- 綿糸
エ X- 綿織物 Y- 綿糸  Z- 綿花
オ X- 綿花  Y- 綿織物 Z- 綿糸

1855年と1897年の輸出入上位品目表の空欄組み合わせ問題です。

教科書には、253頁に1855年の主要輸出入品の割合グラフが、302頁に1885年、1899年、1913年の品目別輸出入品の割合のグラフが掲載されています。

それぞれ3位までを確認すると、

(1855年)
輸入品 毛織物(40.3%)、綿織物(33.5%)、武器(7.0%)
輸出品 生糸(79.4%)、茶(10.5%)、蚕卵紙(3.9%)

江戸中期に盛んになったマニュファクチュアによる尾張の綿織物などがありましたが、開港後、「機械で生産された安価な綿織物の大量輸入が、農村で発達していた手紡や綿織物を圧迫」(254頁)することとなりました。

(1899年)
輸入品 綿花(28.2%)、砂糖(8.0%)、機械類(6.2%)
輸出品 生糸(29.1%)、綿糸(13.3%)、絹織物(8.1%)

問題にある1897年とはやや順位が異なりますが、大枠は変わりません。渋沢栄一が設立した大阪紡績会社が機械による大規模生産をおこなうようになると、「1890(明治23)年には、綿糸の生産量が輸入量を上回り」「1897(明治30)年には輸出量が輸入量を上回」ります(301頁)。

しかし、「綿糸・綿織物の輸出は増大したが、原料綿花は中国・インド・アメリカなどからの輸入に依存」していました(301頁)。

Xは綿織物、Yは綿糸、Zは綿花が入りますので、エが正解です。

1897年は、内政・外交・経済・財政などで重要な動きがあった年ですので、しっかり確認しておきたいですね。

今回はここまでです。

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