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教科書だけで解く早大日本史 2021社会科学部 16終

社学の日本史はテーマ史が多く現役生にはやりづらいかもしれません。2021年は「不適切2つ」問題が多く、細かい知識も要求されました。いまはまだラインに届いていなくても「奇跡も魔法もあるんだよ」と思って頑張ってください。入学後にはきっと「私の最高の友達」を見つけることができます。

さて、2021社学編も最終回です。

※大学公式ページで問題を確認してください。

※東進データベースは要登録です。

◎問7 下線部(7)「列強中の一国」が【史料A】の時期に清国で租借していた地域はどこか 1つ

イ 旅順・大連
ロ 広州湾
ハ 膠州湾
ニ 威海衛
ホ 九龍半島

まずは、下線部(7)の「列強中の一国」を確定させます。【史料A】では、下線部(7)に続けて「清国の北域全体の強奪を狙っている」「一時的に朝鮮から撤退」「さらに南下政策をとり続ければ」とあります。この時期に中国北域全体の強奪を狙う国ということならば、「ロシア」で確定です。問4でみたように、北清事変の後、ロシアは中国東北部=満州を事実上占領していました。

さて、ロシアということが分かれば租借地の特定は容易です。正解は、旅順・大連です。

三国干渉で清国に返還された遼東半島の旅順・大連は1898年にロシアが租借しています(293頁)。日露戦争での激戦地となり、その後、ポーツマス条約で日本に租借権が移りました。

ロの広州湾はフランス、ハの膠州湾はドイツの租借地です。

ニの威海衛、ホの九龍半島はともにイギリスの租借地です。


〇問8 朝鮮に関して、【史料A】の時期より後のもの 2つ

イ 国号を改めて大韓帝国とした。
ロ 防穀令により穀物の輸出が禁じられた。
ハ 皇帝高宗がハーグの万国平和会議に密使を送って抗議した。
ニ 第1次日韓協約が締結された。
ホ 閔妃が殺害された。

イとホに関しては問4で見た通りです。1897年1895年、いずれも【史料A】の1898年より前の出来事です。

の防穀令は1889(明治22)年です。日清戦争の前段階の出来事です。

② 1889(明治22)年から翌年にかけて、朝鮮の地方官は大豆などの穀物の輸出を禁じた(防穀令)。これに対し、日本政府は同令を廃止させたうえで、禁輸中の損害賠償を要求し、1893(明治26)年に最後通牒を突きつけて要求を実現した。(290頁 脚注③)

したがって、残る1898年より後の出来事です。

まず、第1次日韓協約1904(明治37)年です。

① 日露戦争中の1904(明治37)年に結んだ第1次日韓協約では、日本が推薦する財政・外交顧問を韓国政府におき、重要な外交案件は事前に日本政府と協議することを認めさせた。(296頁 脚注①)

すでに同年2月に日韓議定書を締結して、日本の軍事行動への供与を約していましたが、8月の第1次日韓協約によって軍事・経済的支配の基盤をつくりました。

ハーグ密使事件1907(明治40)年です。日本が韓国統監府を置いて韓国の外交権を奪ったことに対し、「韓国皇帝高宗は、1907(明治40)年にオランダのハーグで開かれた第2回万国平和会議に密使を送って抗議」(296頁)しましたが、列強各国は韓国における日本の支配を承認していたため、この抗議は無視されることとなりました。結果、高宗は退位させられ、第3次日韓協約によって内政権も接収されました。

日朝関係の推移については、「教科書」297頁の年表を参考にしてください。


〇問9 【史料A】の時期に台湾総督を務め、後藤新平を民政長官に登用した人物は誰か

イ 寺内正毅
ロ 乃木希典
ハ 桂太郎
ニ 児玉源太郎
ホ 樺山資紀

 イの寺内正毅は初代朝鮮総督でのちに首相。それ以外の4人は初代から第4代までの台湾総督です。

① 台湾総督には陸海軍の大将・中将が任命され、軍事指揮権のほか、行政・立法・司法に大きな権限をもった。1898(明治31)年以降、台湾総督児玉源太郎のもとで後藤新平が民政に力を入れ、土地調査事業に着手し土地制度の近代化を進めた。また、台湾銀行や台湾製糖会社が設立されるなど、産業の振興がはかられた。台湾の支配は、現地の地主・商人などの富裕層を懐柔しながら進められたが、その一方で貧農などの民衆は日本の支配への抵抗を続け、たびたび反日武装蜂起をおこした。日本はこれに対して徹底した弾圧でのぞみ、その支配は1945(昭和20)年まで続いた。(291頁 脚注①)

後藤新平(のち満鉄総裁、内相、東京市長、復興院総裁を歴任)を民政局長(のち民政長官)として登用した台湾総督は児玉源太郎でした。

の樺山資紀が初代台湾総督(当時、海軍軍令部長 第1次松方正義内閣の海相で蛮勇演説)。

の桂太郎が第2代台湾総督(のち3度にわたり首相、長州陸軍閥)。

の乃木希典が第3代台湾総督(日露戦争の旅順攻略戦、明治天皇に殉死)。

台湾総督は田健治郎から数代は非軍人総督が続きますが、大戦期には再び軍人総督に戻ります。

Ⅳは以上です。◎5〇3△1でした。


そして、2021社学編もこれで終了です。

全38問のうち、◎20〇13△5という結果でした。「教科書」本文だけで解ける割合は、20/38(52.6%)、脚注・資料(史料)も含めると 33/38(86.8%)でした。2020年とほぼ同水準といってよいでしょう。


そして、そして、ついに2021年の早稲田大学一般入試における日本史の全問題の分析が完了しました。総括は次回。

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