教科書だけで解く早大日本史 2021法学部 6
2021法学部編の第6回。大問Ⅱの残りをみていきます。
※大学公式ページで問題を確認してください。
※東進データベースは要登録です。
◎7 正式の手続きによらず、より上級の役所に誓願を立てる行為
漢字2字指定の記述問題です。下線部fは「村の代表者が上級領主に直訴するもの」となっています。
17世紀後半からは、村々の代表者が百姓全体の要求をまとめて領主に直訴する一揆(代表越訴型一揆)が増え、…(222頁)
正解は「越訴」(おっそ)です。正規の訴願の順序を越えて、上長へ訴えることで、本文にある「直訴」も越訴の一種です。
代表越訴型一揆は数は多くありませんが、一揆の指導者が厳罰に処されたことで、義民として伝説化することで知られるようになりました。「下総の佐倉惣五郎、上野の磔茂左衛門」(222頁 脚注②)らが知られています。白戸三平の漫画「カムイ伝」でも越訴とその結果が描かれています。
◎8 浅間山の噴火や例外を原因とし、江戸や大坂における大規模な打ちこわしを誘発した飢饉
漢字指定の記述問題です。解答欄は、[ ]の飢饉となっていますので、[ ]に入る用語が正解です。
1782(天明2)年の冷害から始まった飢饉は、翌年の浅間山の大噴火を経て数年におよぶ大飢饉となり、東北地方を中心に多数の餓死者を出した(天明の飢饉)①。このため全国で数多くの百姓一揆がおこり、江戸や大坂をはじめ各地の都市では激しい打ちこわしが発生した。(223頁)
正解は、「天明」の飢饉です。天明の飢饉は1872~1877年まで続き、東北地方では絶滅する村まででるほどの大飢饉となりました。
教科書では、「寛永」「享保」「天明」「天保」の飢饉が書かれています。
◎9 「支配者への抵抗・闘争」としての一揆 について 誤りを1つ
あ 江戸時代における百姓一揆は、藩政改革や世直しを主な目的とし、3000件以上が確認されている。
い 17世紀末には各地に惣百姓一揆がみられるようになり、大規模なものは藩領全域にまで及んだ。
う 1836年には、幕領である三河加茂郡でも、約240カ村が参加する大規模な世直し一揆が起きた。
え 大塩の乱は多くの共鳴者を見出し、生田万の乱をはじめ、貧民救済を目的とする蜂起を各地に誘発した。
お 1866年に武蔵国一帯で起きた世直し一揆は、新政府が旧来同様に厳しい年貢を課したことに起因する。
誤文を1つ選択する問題です。明らかな誤文で見ればすぐにわかるのが「お」です。「お」では「新政府」とありますが、1866年にはまだ「新政府」はできていません。大政奉還が1867年ですから、1866年の時点ではまだ薩長連合が成立し、第2次長州征伐が失敗している段階です。
1866年に武蔵国一帯で起きた武州一揆は、開国後の物価高騰を主な理由としたもので、幕府・諸藩の軍によって鎮圧されています。「お」の文にある「旧来同様に厳しい年貢を課したことによる」一揆は、財政的に苦しかった新政府が厳しい年貢を維持したために起こったものです。年貢半減令などを掲げて戊辰戦争に参加した相楽総三は偽官軍として処刑されました。
武州一揆の内容が誤っているのはよいのですが、西暦年が書かれているため、「新政府」でないと判断できるのは、早大日本史にしてはずいぶん親切な問題でした。
残りの4つはすべて正しい文です。「あ」「い」は222頁脚注①、「う」は238頁脚注①、「え」は238頁本文で確認できます。
◎10 「明治期以降における民衆蜂起」について 誤文1つ
あ 血税一揆とは、高額な地租の徴収に反対する農民を担い手として起こった一揆の総称である。
い 政府は、地租改正反対の動きに遭って地租率を0.5%引き下げた際、農民の蜂起が士族の反乱と結びつくことを警戒していた。
う 解放令に対しては、被差別部落民を差別してきた民衆がこれに反対する一揆をおこした。
え 明治期における農民一揆は、入会地の官有化が進められたことに対する不満も一因となっていた。
お 米騒動は、シベリア出兵を見込んだ米の投機的買占めに起因して生じ、寺内正毅内閣の総辞職をもたらした。
誤文を1つ選択する問題です。
一方、1873(明治6)年には、徴兵制度や学制にもとづく小学校の設置による負担の増加をきらって、多くの農民が一揆をおこし(血税一揆)、さらに1876(明治9)年になると、低米価のもとで過去の高米価も含めて平均した地価を基準に地租を定めることに反発する大規模な農民一揆が発生した(地租改正反対一揆)。
「あ」の「血税一揆」は学制と徴兵制に反対する一揆の総称です。1872(明治5)年の徴兵告諭で「血税」という語が使われたことから「血税一揆」と呼ばれ、1873年におきました。引用にある「小学校の設置による負担の増加」とは、小学校の設置が各地に担わされたことと農村の労働力を学校にとられることへの反発などを指しています。
一方、地租改正反対一揆は地租改正をおこなった1873(明治6)年ではなく、1876(明治9)年におこります。「まず茨城県で、ついで三重・愛知・岐阜・堺の4県にわたって反対一揆が発生し、政府は軍隊を出動させてこれを鎮圧」(276頁 脚注①)しました。結果として、地租の税率は3%から2.5%へ減免されました。
「あ」の「血税一揆」が誤りでした。
残りの4つは正しい文ですが、「い」「う」については教科書に記述がありません。「え」は266頁の地租改正の項で、「お」は324頁の説明されています。
以上、大問Ⅱを見てきました。◎4〇5△1というセットでした。問1の「一味神水」を「一味同心」でも正解とするならば△⇒〇ですが、ここは△としています。
次回、大問Ⅲに入ります。近代の通信をテーマにした問題です。
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