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教科書だけで解く早大日本史1-4 社会科学部2020

 社会科学部に夜間大学院(現在は昼夜開講)が設立された1994年7月、旧14号館の解体が始まり、キャンパス整備計画の第一弾A棟が着工されました。1998年4月に完成した新14号館は本キャンらしからぬ近代的たたずまいで、映像設備を整えた大教室、きれいなトイレなどを備えていました。エアコンもなく、ラウンジも狭くて、パンの自販機くらいしかなかった旧14号館からは想像もできないきれいさでした。新14号館とともに社学は昼夜開講制へ移行します。

 さて、それでは引き続き大問2の問6から見ていきましょう。なお、このシリーズで教科書とはすべて山川出版社の詳説日本史Bのことです。

※問題は河合塾速報からどうぞ
東進データベース(要登録)
代ゼミ速報(問題は掲載終了)

〇問6 通信に関連して、江戸時代の飛脚が運んだ荷物や情報として適切なものはいくつあるか

項目 書状、金銀、幕府の法令、商品の相場、海外の情報
イ 1つ ロ 2つ ハ 3つ ニ 4つ ホ 5つ

 ようやく難問がきました。
 今までの正誤問題も決して簡単ではありませんが、適切、不適切の数がわかっているというのは問題を解く上で大きな情報です。この問題にはそれがないため、一級の難問といえます。
 はたして、この問題、教科書(山川)で解けるでしょうか?

「宿駅には問屋場がおかれ、問屋や年寄・帳付などの宿役人が、伝馬役の差配や公用の書状、荷物の継ぎ送り(継飛脚)①に当たった。」
「近世中期になると…各地の街道や宿駅が発達し、とくに飛脚による通信制度が整備されて、全国の情報②が早く正確に伝えられるようになった」
①「継飛脚にならって諸大名の大名飛脚が生まれ、やがて町人の町飛脚が発達して、書状金銀・小荷物を扱う飛脚問屋ができた。」
②「幕府の法令(御触書)をはじめ、米をはじめとする商品の相場、災害や一揆などの社会状況、海外の情報などにおよぶ。」

 上段は本文、下段は同ページの欄外注です(太字は筆者による)。

 5つすべてが欄外注に記載されています。したがって、答えはホの5つ。すべて含まれているということです。欄外注のみに依拠していますが、まぎれもなく教科書の記述で正解に至ることができます。〇評価。

◎問7 水上交通について、不適切1つ

イ 角倉了以は、富士川・鴨川を整備し、また高瀬川などの水路を開削した。
ロ 陸上交通と舟運を結ぶ拠点として、河岸とよばれる港町がつくられた。
ハ 河村瑞賢は、東北地方からの年貢米を江戸や大坂に回送するため、おもに日本海側を行く西回り航路とおもに太平洋側を行く東回り航路を整備した。
ニ 大坂・江戸間では、木綿や油を運ぶ樽廻船とおもに酒を運ぶ菱垣廻船が競争を繰り広げ、やがて菱垣廻船が優位に立った。
ホ 日本海の北前船や尾張の内海船など、遠隔地を結ぶ廻船が発達した。

 前問に比べるとかなり御しやすい問題です。おなじみの「はっきり誤り」問題です。

「海上では17世紀前半に、菱垣廻船などが、大型の帆船を用いて、大坂から江戸へ多様な商品を運送し始めた。17世紀後半になると、江戸の商人河村瑞賢が、出羽酒田を拠点とし江戸に至る東回り海運・西回り海運のルートを整備し、江戸と大坂を中心とする全国規模の海上交通を完成させた。これら海運ルートの途中には、各地で港町が発達した。また18世紀前半になると、大坂・江戸間では酒荷専用の樽廻船が新たに運航を始めた。樽廻船は荷役が速く、酒以外の商品を上積み荷物として安価で運送し、菱垣廻船とのあいだで争いを繰り返した…その後、菱垣廻船は衰退し、近世後期になると樽廻船が圧倒的優位に立った。一方、18世紀末頃から、日本海の北前船や尾張の内海船など、遠隔地を結ぶ廻船が各地で発達した。」(太字は筆者による)

 少し長い引用になりましたが、ニの文が全く逆で不適切とわかります。
また、ハとホが適切だとわかります。ロの「河岸とよばれる港町」については「河岸」という語がありませんが、実はこの引用の直前に

「また河岸とよばれる港町が陸上交通と舟運を結ぶ流通の拠点として各地につくられた」

 とあり、こちらも適切です。残るイについては、選択肢の文章と全く同じ文が教科書本文にあります。全要素を教科書本文だけで判定できる◎中の◎評価です。

◎問8 鉄道に関して、国有鉄道と民営鉄道の割合別営業キロ数の推移を示したグラフから、1902年と1907年の間で起こった変化の理由として適切なものを1つ

イ 鉄道国有法の制定  
ロ 日本鉄道会社の成功
ハ 官営の東海道線の全通  
ニ 商人や地主らによる鉄道会社設立ブーム
ホ 上野・青森間の鉄道全通

 グラフにはaとbがあり、1887年まではb鉄道のみ、そこからa鉄道の割合が上昇し、1892年には逆転、1902年の段階ではa鉄道が圧倒的に長い営業距離数です。しかし、1907年には大半がb鉄道へと変化しています。

 実はこのグラフは教科書(山川)にそのまま掲載されているものです。aが民営鉄道、bが国有鉄道です。正解は明らかにイですが、他の選択肢についても年代を確認するために、やや長い引用になりますが、本文を見てみましょう。

「鉄道業では、華族を主体として1881(明治14)年に設立された日本鉄道会社が、政府の保護を受けて成功したことから、商人や地主らによる会社設立ブームがおこった。その結果、官営の東海道線(東京・神戸間)が全通した1889(明治22)年には、営業キロ数で民営鉄道が官営を上回った。日本鉄道会社が1891(明治24)年に上野・青森間を全通させたのはじめ、山陽鉄道・九州鉄道などの民営鉄道も幹線の建設を進め、日清戦争後には青森・下関間が連絡された。しかし、日露戦争直後の1906(明治39)年、第1次西園寺内閣は、軍事的な配慮もあって全国鉄道網の統一的管理をめざす鉄道国有法を公布し、主要幹線の民営鉄道17社を買収して国有化した。鉄道国有化で得た資金を重工業へ投じた資本家も多かった。」(太字は筆者による)

 本文一段落にすべての項目が記載されている文句なしの◎です。

※2006年の東京大学では上記の内容に加えて、西園寺の跡を継いだ政友会総裁・原敬内閣の「我田引鉄」と揶揄された地方鉄道整備までスパンを広げて論述問題を出題しています。問題は上部の予備校リンクから確認できます。解説については、相沢理先生の『歴史が面白くなる東大のディープな日本史3』(または文庫版)などでご確認ください。

×問9 明治期の交通の変化について、不適切を1つ

イ 東京では鉄道網の広がりにともない、明治末期には電車による通勤も行われていた。
ロ 前島密の建議により官営郵便制度が東京・神戸間で発足し、まもなく全国一律料金による郵便網が発達した。
ハ 電信線は東京・横浜間に最初に架設され、後に長崎と北海道まで延ばされた。
ニ 電話は1877年に米国から輸入され、1900年には上野と新橋に公衆電話が設置された。
ホ 明治政府は、軍事・経済上の理由で三菱に手厚い保護を加え、海運業を援助した。

 明確な誤りを発見するのが難しく、事項も細かいため、かなりの難問です。この問題を即答できる人はかなりの通信マニアでしょう。
 教科書で正答に辿り着けるでしょうか。

「通信では、1871(明治4)年に前島密の建議により、飛脚にかわる官営の郵便制度が発足し①、まもなく全国均一料金制をとった。また1869(明治2)年に東京・横浜間にはじめて架設された電信線は、5年後には長崎と北海道までのばされ、長崎・上海間の海底電線を通じて欧米と接続された。海運では、近海・沿岸の海運を国内企業に掌握させ、また有事の際に軍事輸送をおこなわせるため、土佐藩出身の岩崎弥太郎が経営する三菱(郵便汽船三菱会社)に手厚い保護を与えた。」
①「日本は1877(明治10)年に万国郵便連合条約に加盟し、電話は同年に日本に輸入された。」(太字は筆者による)

 ハとホについては適切であると判断できます。
 ロについては「東京・神戸間で発足し」を確認できません。用語集の「郵便制度」でも確認できません。郵便役所(後の郵便局)は東京・京都・大阪に設置されたのですが、教科書・用語集(ともに山川)では判定不能です。
 ニも「米国から輸入」「1900年に上野と新橋に公衆電話が設置された」が確認できません。こちらは用語集に「1900年に自働電話(公衆電話)が、新橋・上野駅に設置された」とあり、後者は確認できます。ただ、前者に関しては教科書・用語集(ともに山川)では判定不能です。1877年はアメリカでベルが電話機を開発して間もない頃なので、輸入相手はアメリカ以外はあり得ないのですが、アメリカ側からも日本へ2台輸出したのが初めての輸出でした。翌年には早くも日本式のベル型電話が生産されているようです。
 ロ、ニはともに教科書・用語集でも判定できない選択肢でした。

 残るイについては、明治の最後に「東京の変容」という囲みコラムでふれられています。

「1904(明治37)年には前年に登場した路面電車の路線が広がったため、鉄道馬車が姿を消し、甲武鉄道(JR中央線)の飯田橋・中野間でも電車運転が始まって、電車による通勤が広まった。」(太字は筆者による)

 ハ、ホは教科書本文、イは教科書コラム、ニは用語集でほぼたどり着けるが完全ではなく、不適切なロについては判定不能です。はじめての×評価です。

※なお、実教出版の「必携日本史用語(三訂版)」では、郵便制度の項目で「前島密の建議で、1871年、東京~大阪間に官営の郵便制度が発足」とあります。また、電話の項に「ベルが発明した1876年の翌77年、輸入」とあります。教科書2冊使いをする人はあまりいないでしょうが、用語集の2冊使いはやってみると興味深いものがあります。

◎問10 高度成長期における交通手段の多様化と発達に関連して、6本の折れ線が、それぞれ乗用車、国鉄、民鉄、航空、バス、旅客船のいずれかを表しているグラフから、折れ線aの輸送機関を選ぶ

イ バス ロ 民鉄 ハ 国鉄 ニ 旅客船 ホ 乗用車

 このグラフも「大衆消費社会の誕生」という項にそのまま同じグラフがあります。折れ線aは1950年から64年頃にかけて8%から20%へ緩やかに割合を上昇させた後に、75年まで緩やかに15%程度へ降下していきます。これはバスを示すグラフです。したがって、正解はイです。

「1950~60年代初頭に鉄道の輸送分担率が低下し、バスや乗用車の分担率が増加した。その後、1960年代半ばからモータリゼーションが加速し、鉄道・バスなど公共交通手段の分担率が低下した。」
※耐久消費財の普及率、輸送機関別国内旅客輸送分担率の推移、主要穀物・農産品の食料自給率の推移、漁業種別水揚げ量の推移などは小学校の教科書にも載っているグラフです。中学でも地理・歴史・公民で必ず学習し、高校受験に際して頻出事項です。現代の学習はどうしても後半になるため苦手な人も多いのですが、現社や政経などふれる機会もあるはずですし、小論文のテーマとしても頻出ですから、よく確認しておきましょう。

 前回、今回と大問2の10問を見てきました。
 ◎6〇2△1×1 教科書本文だけで6割、欄外注・コラムまで合わせて8割でした。

 次回、大問3は疫病・飢饉・災害に関するテーマ史です。

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