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教科書だけで解く早大日本史 2021文化構想学部 1

今回から2021文化構想学部に入ります。

第一文学部と第二文学部の再編により、2007年から文学部と文化構想学部が新たにできました。文化構想学部は第二文学部の系譜を引く学部として当初は夜間枠などもありましたが、現在ではなくなっています。

第二文学部の時代は入試日程が2/26だったために国立(主に東京大)との併願ができませんでした(社学も1993年まで2/25で併願不可、1994年から2/24で併願可になりました)。

日本史は論述や説明の問題はなく、記述と記号の混合となっています。2021年度は全問テーマ史の出題となりました。

※大学公式ページで問題をご確認ください。

https://www.waseda.jp/inst/admission/other/2021/02/27/9942/

※東進データベースは要登録です。

〔Ⅰ〕は「日本における城郭の歴史」について出題されました。

×1 日本で初めて世界文化遺産に登録された( A )城

記述問題です。

「私たちが日本の城郭として最初に思い浮かべるのは、1993年に日本で初めてユネスコの世界文化遺産に登録された(A)城のように、重層の天守と白い漆喰の城壁、そして堅牢な石垣を持つ近世の城郭であろう」

正解は、「姫路」です。姫路城が世界文化遺産であることは小学校でも学習しますが、日本史Bの教科書(山川出版社 詳説日本史B 日B309)ではそのことについてふれていません。

姫路城(白鷺城)関ヶ原の戦いののち城主となった池田輝政が大工事をおこし、1609(慶長14)年に竣工した。総面積56万8000坪(約1.875㎢)の平山城で、連立式天守閣が見事である(166頁)

桃山文化の代表的建築物として写真資料で紹介されています。注意してほしいのは、「桃山文化」ではあるが、「関ヶ原の戦い以後」の建築物であるという点です。

高校の教科書だけで解くとこのような基本問題が×となることがあります。

◎2 665年に築かれた大野城について

ア 大野城築城の背景には、白村江の戦いにおける大敗があった。
イ 大野城は、水城や基肄城とともに大宰府防衛のために築かれた。
ウ 大野城は、新羅が朝鮮半島を統一した情勢をうけて築かれた。
エ 同時期の古代朝鮮式山城は、対馬から大和にかけて築かれた。
オ 同時期の対馬・壱岐などには、防人と烽がおかれた。

誤文を一つ選択する問題です。

「倭では白村江の敗戦を受けて防衛政策が進められ、664年には対馬・壱岐・筑紫に防人と烽がおかれた。また、百済からの亡命貴族の指導下に、九州の要地を守る水城や大野城・基肄城が築かれ対馬から大和にかけて古代朝鮮式山城が築かれた。」(39頁)太字は引用者による

引用の通り、ア、イ、エ、オが正文です。この引用の直前に「新羅が朝鮮半島の支配を確立し、676年に半島を統一した。」(39頁)と書かれており、新羅が朝鮮半島を統一したのは壬申の乱(672年)よりも後の天武天皇の時代であったことがわかります。ウが誤りでした。

◎3 吉備真備について 正誤判定問題

X 唐への留学から帰国し、聖武天皇に信任されて活躍した。
Y 藤原広嗣の乱によって、政権から排除されて失脚した。
Z 恵美押勝の乱では、乱の鎮圧に大きな役割を果たした。
ア X-正 Y-正 Z-誤
イ X-正 Y-誤 Z-正
ウ X-誤 Y-正 Z-正
エ X-誤 Y-正 Z-誤
オ X-誤 Y-誤 Z-正

文学部でも1題出題されていた正誤判定の組み合わせ問題です。2021文化構想学部では〔Ⅳ〕の10でも出題されています。

「(天然痘で死亡した藤原四兄弟らの藤原氏に)かわって皇族出身の橘諸兄が政権を握り、唐から帰国した吉備真備や玄昉が聖武天皇に信任されて活躍した。」(50頁)太字は引用者による

吉備真備と玄昉が聖武天皇に重用されたことは、引用に先立つ44頁にも書かれています。唐で先進的な政治制度を学んできた遣唐使帰国者が活躍したことは、国際的であった平城京時代にふさわしいといえます。Xは正文です

しかし、740年に藤原広嗣の乱が起こります。

「740(天平12)年には、藤原広嗣が吉備真備・玄昉らの排除を求めて九州で大規模な反乱をおこしたが鎮圧された。」(50頁)

藤原広嗣の乱は鎮圧されていますので、この乱によって吉備真備が失脚することはありません。Yは誤文です

孝謙天皇の時代になると橘諸兄にかわって藤原仲麻呂が政権を握ります。諸兄政権で重用された吉備真備や玄昉は政治から遠ざけられます。吉備真備は2度目の遣唐使(副使)へ、玄昉は筑紫観世音寺へ左遷されます。

道鏡の台頭に対して藤原仲麻呂が反乱を起こすと吉備真備は孝謙上皇側につきます(恵美押勝の乱)。以後、称徳朝、光仁朝で右大臣として活躍します。政治・学問・軍事・外交に精通した一流政治家として名を残しました。Zは正文でした。

ただ、この後年の活躍については教科書に記載がありません。用語集には仲麻呂失脚後に右大臣になったことは書いてありますが、恵美押勝の乱で孝謙上皇側についたことは書かれていません。

正誤判定については、X-正、Y-誤、Z-正でしたからイが正解です。Zの判定ができなかったので×のようですが、実は正誤の組み合わせをみると、X-正、Y-誤がイしかありません。6つ目の選択肢「X-正、Y-誤、Z-誤」が「意図的に」排除されているので、Zの判定ができなくても正解にたどりつくことができます。◎評価です。

今回はここまでです。

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