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教科書だけで解く早大日本史 2021法学部 10

2021法学部編の第10回です。今回から大問Ⅳに入ります。大問Ⅳでは円とドルの為替レートについて出題されています。

※大学公式ページで問題を確認してください。

※東進データベースは要登録です。

◎1 新経済政策について 正しいもの1つ

あ 賃金の増額
い 所得税の増税
う 輸出課徴金
え 政府資金を投入した大規模な公共事業
お 金とドルの交換停止

下線部aの「新経済政策」はアメリカのニクソン大統領のものです。新経済政策というとレーニンの「ネップ」が先に思い浮かぶ人もいるかと思いますが、日本史選択者だとそうでもないかもしれないですね。

さて、ニクソン大統領の新経済政策について正しいものを1つ選ぶ問題です。

1960年代後半に入ると、アメリカの国際収支は著しく悪化し、ドルショックがおこります。主な要因はベトナム戦争の出費、西側諸国への援助、日や西独などによる対米貿易黒字でした。

こうしてアメリカのドルへの信頼がゆらぎ始めると、ニクソン大統領はドル防衛を目的に、1971(昭和46)年8月に金とドルの交換停止、10%の輸入課徴金、90日間の賃金・物価の凍結を骨子とする新経済政策を発表し、日本や西ドイツなどの国際収支黒字国に対し、大幅な為替レートの切上げを要求した(ニクソンショック)。(402頁)

正解は「」の「金とドルの交換停止」です。大戦末期からアメリカ主導で、ドルを基軸とする固定為替相場制と自由貿易体制のもとで資本主義世界経済の再建を図る枠組みがつくられ、維持されてきましたが、この「金とドルの交換停止」によって、「この体制」が大きく揺らぐことになりました。

◎2 ドルを基軸通貨とする( A )体制

空欄補充問題です。

第2次ニクソン=ショック(第1次はニクソン訪中)後、日本は固定相場制を維持しようとしますが、結局は他国に追随する形で変動相場制へ移行します。

こうして、戦後の世界経済の基軸であったIMF(ブレトン=ウッズ)体制は根底から揺らいだ。(402頁)

正解は、「IMF」または「ブレトン=ウッズ」です。中身は前問で解説した「この体制」です。

◎3 固定相場制が復活した( B )体制

こちらも空欄補充問題です。( A )体制から( B )体制へと移行し、そして変動相場制へ移行します。

1971(昭和46)年末には、ワシントンのスミソニアン博物館で10カ国蔵相会議が開かれ、1ドル=308円で固定相場制の復活がはかられたが(スミソニアン体制)、1973(昭和48)年にはドル不安が再燃し、日本や西欧諸国は変動相場制に移行した。(402頁)

正解は、「スミソニアン」です。会議が開かれた場所の名前がついています。日本は当初の1ドル=360円から大幅に円高になっていましたが、これにより1ドル=308円まで円安になります。しかし、変動相場制移行後は円高が急速に進行し、70年代末には200円近くになり、その後、80年代後半に120円近辺、90年代には100円を割り込むこともありました(一時70円台まで)。

円・ドルの交換レートが実際よりも円安であることは、日本にとって対米輸出が非常に有利な状況でした。変動相場制への移行とともに日米間では貿易をめぐる交渉が激化していきます。

◎4 1973年の出来事として正しいもの2つ

あ 日中共同声明が発表された。
い 第4次中東戦争が勃発した。
う 環境庁が発足した。
え 戦後初のマイナス成長となった。
お 江崎玲於奈がノーベル物理学賞を受賞した。

単純な西暦年の問題です。

あ 1972年 404頁
い 1973年 403頁
う 1971年 401頁
え 1974年 400頁
お 1973年 403頁

時系列でみると、「い」⇒「え」の流れとなるのは確定(間に石油危機)です。「う」が1974年だということを知っておかないと難しいかもしれません。「お」の江崎玲於奈のノーベル賞受賞年まで暗記するのはやや酷ですが、一応、教科書本文に書かれています。

教科書だけで解けるとはいえ、判定は「え」の1974年に自信を持てるかどうかでした。「あ」「う」は中学生レベルです。

正解は、「い」「お」でした。

今回はここまでです。


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