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教科書だけで解く早大日本史1-3 社会科学部2020

 社会科学部は各学部の2部を統合して1966年に誕生します。誕生から30年ほどした1998年、3限から始まる昼夜開講制に踏み出し、2009年には完全な昼間学部となりました。「本キャンのお荷物」などと蔑まれたのは昔の話ですね。

社学50周年

 さて、前回までで大問1が終わりました。今回からは大問2です。大問2では交通・通信・輸送などについてのテーマ史が問われました。

 問題は河合塾の大学入試解答速報からご確認ください。
 東進過去問データベース(要登録)
 代ゼミ速報(問題掲載は終了)

 それでは、さっそく見ていきましょう。

◎問1 奈良時代の中央政府による地方統治の広まりに関して、不適切が1つ

イ 駅路には約16㎞ごとに駅家が設けられ、主に官人の公用に利用された。
ロ 天皇への食料貢進制度(贄)の実態が、都跡などで発見された木簡によってあきらかになっている。
ハ 律令国家は、東北地方の人々を蝦夷とよび、渟足柵を築いて統治拠点とした。
ニ 太平洋側に築かれた磐舟柵は、陸奥の統治拠点となった。
ホ 隼人とよばれた南九州の人々に対して、薩摩国・大隅国がおかれ、種子島や屋久島も行政区画化された。

 不適切なものはニです。磐舟柵は渟足柵とともに「唐の高句麗攻撃により対外的緊張が高まった7世紀半ばに、日本海側に」設けられたものです。平安期の「東北地方の城柵」資料では渟足柵(647)、磐舟柵(648)とあり、乙巳の変直後にすでに建設されたことがわかります。日本海側は秋田城(733)、太平洋側は多賀城(724)、胆沢城(802)、志波城(803)の位置を確認しておきましょう。また、日本海側が出羽国、太平洋側が陸奥国です。

 したがって、イ、ロ、ハ、ホは適切な文であるということになります。
 ハに関しては前述のとおりですが、渟足柵が統治拠点の役割を果たしたことは明確な記述はありません。柵や城(城柵)が政庁の役割をもったことは平安期に記述がありますが、蝦夷統治の拠点として役割を果たしたかは教科書だけでは分かりません。のちの秋田城や多賀城の役割から類推することはできます。
 イは「約16㎞ごとに駅家を設ける駅制が敷かれ、官吏が公用に利用した」と本文にあります。
 ロに関しては「木簡」という囲みコラムで紹介されています。(贄)の実態という直接表現はありませんが、長屋王邸跡で発見された木簡の資料的価値については頻出事項ですので覚えておきましょう。
 ホも東北地方の城柵に関する記述に続けて、選択肢の文がほぼそのまま記述されています。

 教科書本文の記述で正解を特定できるため◎です。

△問2 官道に関して、古代の七道駅路とその律令制度上の位置づけの組み合わせとして適切なもの2つ

イ 東山道ー大路  ロ 東海道ー中路  ハ 山陰道ー中路
ニ 南海道ー中路  ホ 山陽道ー大路
 

 問1の駅家の説明の前段に「中央と地方を結ぶ交通制度としては、都を囲む畿内を中心に東海道など七道の諸国府へのびる官道(駅路)が整備され、約16㎞ごとに・・・」とあります。欄外注には、「一定規格の道幅(12・9・6m)で、側溝をもって平地部を直線的に伸びる古代の官道の遺跡が発掘されている」とあります。おそらくは、この幅の違いが大路、中路、小路なのだろうということまでは推測できます。

 しかし、教科書(山川)だけでは、この問題の正解にはたどりつけません。これを正解するには「日本史用語集」(山川)が必要になります。

 用語集では、官道の説明で、「駅路は駅制に対応する道路で、中央から直線的に地方に延び、地域名と同じ山陽(大路)・東海・東山(中路)・北陸・山陰・南海・西海道(小路)の七道からなる。」と書かれています。

 したがって、正解はロ 東海道ー中路、ホ 山陽道ー大路です。

 教科書だけでは正解にたどりつけず、用語集の力を借りたため△評価です。用語集で官道は④評価、つまり日本史Bの教科書8冊中4冊に記載がある語句となっています。ただ、大中小路の区別まで教科書に書いているかはわかりません。

 このようなときは、奈良時代の道路に求められた役割を考えてみることが大切です。当時の対外的な窓口は太宰府でしたから、山陽道を通って都とやり取りすることが大切だったはずです。東海道、東山道は大問1で出てきたように源頼朝が支配を認められた地域です。重要性のない地域ならば宣旨で支配権を認めてもらうまでもないですよね。つまり、東国とのやり取りもそれなりに重要だったということです。一方で、北陸道や南海道、西海道は諸国府とのやり取りに限定されているため、それほど大規模な道路を築くことはなかったでしょう。こうした推測を働かされるかどうかも歴史を知る上では大切です。
*なお、同年2020年の早稲田大学商学部の大問Iのリード文に東海道、東山道が中路であり、山陽道と西海道の一部が大路であると書かれています。商学部は社学の前日ですが、併願した人は有利になりました。
※『歴史が面白くなる 東大のディープな日本史2』(著・相沢理)では2000年に東大日本史で出題された問題を取り上げて古代の官道について説明がされています。 
「「都と大宰府を結ぶ」山陽道は重要であるため大路、東海道と東山道は東国の支配と蝦夷の征伐に必要とされるため中路、それ以外は内政的な問題に限られたため小路に分類されています」(『2』p36より引用 引用者により一部省略)↓文庫版とは巻数、ページ数が異なります。

〇問3 貿易航路に関して、大輪田泊があった現在の都市名、日宋貿易における日本からの輸出品、日本への輸入品の組み合わせ、適切なもの1つ

イ 大阪市ー刀剣ー書籍  ロ 大阪市ー漆器ー薬品 
ハ 大阪市ー金ー香料  ニ 神戸市ー扇ー硫黄 
ホ 神戸市ー水銀ー陶磁器

 大輪田泊が摂津にあり、いまの神戸市だというのは中学教科書レベルです。平清盛は瀬戸内海航路の支配権を得て安全に貿易船が航行できるようにし、「宋船のもたらした多くの珍宝や宋銭・書籍は、以後の日本の文化や経済に大きな影響を与え、貿易の利潤は平氏政権の重要な経済基盤となった」のです。

 したがって、イ、ロ、ハは不適切です。

 あとは輸出品ー輸入品の組み合わせです。欄外注には、「日宋貿易では、日本からは金・水銀・硫黄・木材・米・刀剣・漆器・扇などを輸出し、大陸からは宋銭をはじめ陶磁器・香料・薬品・書籍などを輸入したが、そのうちの香料・薬品類は、もともとは東南アジア産のものであった」とあります。
 以上のことから、輸出品・水銀、輸入品・陶磁器のホが適切です。

 貿易での輸出入については、日宋貿易、日明貿易、朱印船貿易、長崎貿易などをしっかり確認しておきましょう。今回については中学教科書にも記載があるレベルです。項目が多いので欄外注に移されただけです。

 レベル的には◎の中の◎ですが、欄外注が根拠なので〇評価です。

 うっかり輸出入品の項目を忘れしてしまった場合、ニ、ホの2択処理になります。扇の輸出については、平家由来の「扇面古写経」や平家物語の「扇の的」を知っていれば、輸入品ではなさそうだと想定できそうです。また、陶磁器の輸入も宋時代の陶磁器は有名で、口絵にも「青磁鳳凰耳花生」が掲載されています。
 ただ、これではまだニ、ホの判定ができません。
 実は、問題を進めていくと大問4の資料Bで「硫黄に至りてはようやく自給自足が可能で」とあります。大問3では富士山の「宝永噴火」が取り上げられています。火山大国である日本が硫黄を輸入する必要があるかな?と想像すれば、ニが怪しくなります。
 正誤問題へのアプローチは正確な知識がもちろん必要ですが、知っていることから想像する力も役立ちます。そんな問題でした。

◎問4 運輸にともなう経済活動に関して、不適切2つ

イ 各地の湊には、商品の中継・委託販売・運送を請け負う問(問丸)が発達した。
ロ 尚巴志がつくりあげた琉球王国の外港今帰仁は、東アジア諸国の中継貿易拠点となった。
ハ 14世紀には、畿内と津軽の十三湊を結ぶ日本海交易によって、サケや昆布が京都にもたらされた。
ニ 京都などの大都市や大津などの交通の要地に問屋が成立し、京都への輸送路では伝馬役とよばれる運送業者も活躍した。
ホ 運輸の増加に着目した幕府や寺社が交通の要地に関所を設けて金銭を徴収したため、交通の大きな障害となった。

 各選択肢を細かく判断するのは大変ですが、「誤りの部分が明確に誤り」という正誤問題によくあるタイプの問題です。

 ロの琉球王国の外港は「今帰仁」ではなく「那覇」です。「王国の都首里の外港である那覇は重要な国際港となり、琉球王国は繁栄した」とあります。

 また、ニの「伝馬役」は街道の輸送のために課された人馬の夫役のことです。江戸時代の助郷役などがこれにあたります。街道沿いの農民の負担は重く伝馬騒動などが起こります。また戦国大名も伝馬役を課しています。律令制下でも駅家に置かれた馬を伝馬とよび、班田農民らが駅子となって重い負担となりました。ニの文では、正しくは「馬借・車借」です。

「多量の物資が運ばれる京都への輸送路では、馬借・車借と呼ばれる運送業者も活躍した」

イ、ハ、ホは適切。

「各地の湊には、商品の中継と委託販売や運送を業とする問(問丸)が発達した。」(本文)
「一方、すでに14世紀には畿内と津軽の十三湊とを結ぶ日本海交易が盛んにおこなわれ、サケ・コンブなど北海の産物が京都にもたらされた」(本文)
「交通・運輸の増加に注目した幕府・寺社・公家などが水陸交通の要地につぎつぎと関所を設け、関銭・津料を徴収し、交通の大きな障害となった。」(欄外注)

選択肢のほぼすべてが本文に酷似した表現で、ホだけが欄外注でしたが、誤りが明確な本文依拠なので◎です。

◎問5 江戸時代の全国的な街道網に関して、不適切1つ

イ 三都を中心とする東海道などの五街道は幕府の直轄であり、道中奉行によって管理された。
ロ 脇往還ともよばれた脇街道には、北国街道や長崎街道などがある。
ハ 街道には宿場がおかれ、箱根・碓氷・木曽福島・小仏などに関所が設けられた。
ニ 長距離運送の増大とともに、遠隔地を結ぶ馬車が発達した。
ホ 陸上交通では幕府や大名らの御用通行が最優先とされ、宿駅には移動に使用される人足や馬がおかれた。

 おなじみの「誤りの部分が明確に誤り」問題です。

「陸上交通には、駕籠や牛馬、大八車などが用いられ、馬や牛を用いて商品を長距離輸送する中馬が中部日本に発達したが、遠隔地を結ぶ馬車は発達しなかった。」

 したがって、ニが明確に不適切です。

 他の選択肢については、すべて「交通の整備と発達」の項に記載されています。

「三都を結ぶ…五街道は…幕府の直轄下におかれ、17世紀半ばからは道中奉行によって管理された。」(本文)
「また、脇街道(脇往還)と呼ばれる主要な道路が全国で整備された。」(本文)「おもな脇街道として、伊勢街道・北国街道・中国街道・長崎街道などがある」(欄外注)
「これらの街道には多くの宿駅がおかれ、また一里塚や橋・渡船場・関所などの施設が整えられた。」(本文)「おもな関所は東海道の箱根・新居、中山道の碓氷・木曽福島、甲州街道の小仏、日光・奥州道中の栗橋などにある」(欄外注)
「陸上交通においては、幕府や大名・旗本などの御用通行が最優先とされ、使用される人馬(人足と馬)は、無料あるいは一般の半額程度の賃銭で徴発された。これを伝馬役と呼び、宿駅の町人・百姓や近隣の村々の百姓が負担した。」(本文)

 脇街道や関所の位置など欄外注に記載のあるものもありますが、ニの誤りが本文から明確なため◎です。

 大問2の問1~問5までを見てきました。次回、問6~になります。

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