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教科書だけで解く早大日本史 2021文化構想学部 12終

2021文化構想学部編の第12回。今回でこのシリーズは最終回となります。

※大学公式ページで問題を確認してください。

※東進データベースは要登録です。

◎8 フランスから技術を導入し群馬県に設立された官営の工場

漢字5字指定の記述問題です。

明治維新期、新政府は富国強兵をめざして殖産興業に力を入れます。封建的諸制度を撤廃し、自由な経済活動の前提を整えると、外国人教師(お雇い外国人)の指導のもとに近代産業の育成を政府主導で行っていきます。

政府は民間工業を近代化し、貿易赤字を解消しようと輸出の中心となっていた生糸の生産拡大に力を入れ、1872(明治5)年、群馬県に官営模範工場として富岡製糸場を設け、フランスの先進技術の導入・普及と工女の養成をはかった。(267-268頁)

正解は、「富岡製糸場」です。世界文化遺産にも登録されています。フランス人技師のブリューナの指導を受け、フランス式機械の導入しました。

政府は、1873(明治6)年に設立された内務省が官営模範工場の経営をおこない、1881年頃から民間へ払い下げられるようになりました。なお、官営模範工場は製糸・紡績が中心です。

◎9 第一次世界大戦時に主に海運業・造船業で巨額の利を得て蓄財した人を、将棋の駒の動きにたとえて何といったか

漢字3字指定の記述問題です。

第一次世界大戦が勃発した当時、日本の経済は明治末期からの不況から抜け出せずに苦しんでいました。そこへヨーロッパを舞台にした大戦に列強諸国が総力戦でのぞんだことにより、ヨーロッパへは軍需品を、アジア市場ではヨーロッパ列強の影響力が後退したことを受けて綿織物を、戦争景気で沸くアメリカへは生糸を輸出し、貿易は大幅な輸出超過となります(322頁)。

1914(大正3)年に11億円の債務国であった日本は、1920(大正9)年には27億円以上の債権国になった。(322頁 脚注③)

特に好調だったのが、造船業・海運業でした。

 世界的な船舶不足のために、海運業・造船業は空前の好況となって船成金が続々と生まれ、日本はイギリス・アメリカにつぐ世界第3位の海運国となった。(323頁)

正解は、「船成金」です。

将棋の駒の「歩」という1マスずつ前に進むことしかできない最も弱い駒が、相手陣の3段目まで直進することで、駒を裏返して「と」という最強クラスの駒である「金」と同じ動きをする駒に変化することができます。将棋では、相手陣に入って駒を裏返すことを「成る」といい、「歩」が「と(金)」に「成る」ことから、このことを「成金」といいます。

空前の好況で、一気に大金持ちになる様を、将棋の「成金」にたとえているということです。特に海運業・造船業に関わる成金は「船成金」と呼ばれました。


◎10 第2次大戦後に日本が加盟した国際機関

X 為替レートの安定と国際決済の円滑化を目的に発足したIMFに、日本は1952年に加盟した。
Y 自由貿易の拡大と関税引き下げを目的に発足したOECDに、日本は1952年に加盟した。
Z 加盟国の復興・開発を目的に発足したGATTに、日本は1957年に加盟した。
ア X- 正  Y- 正  Z- 誤
イ X- 正  Y- 誤  Z- 正
ウ X- 正  Y- 誤  Z- 誤
エ X- 誤  Y- 正  Z- 正
オ X- 誤  Y- 誤  Z- 正

IMF、OECD、GATTの加盟年まで正確に覚えるのはかなり大変ですが、それぞれの機構(組織)の略称だけでなく、正式名称を覚えてどのような機構(組織)なのかを知っておく必要はあります。

戦後の世界貿易はアメリカ主導の自由貿易体制のもとで発展したが、日本は1952(昭和27)年にIMF(国際通貨基金)④、1955(昭和30)年にGATT(関税及び貿易に関する一般協定)⑤に加盟した。(393頁)

日本がIMFに加盟したのは1952年、GATTに加盟したのは1955年です。

IMF(国際通貨基金)④
 第二次世界大戦後の国際通貨体制を支える基幹的組織で、為替レートの安定と国際決済の円滑化を目的に1947(昭和22)年に発足した。加盟国は、金と交換性をもつアメリカドルに対して交換レートを定めた(固定為替相場制)。(393頁 脚注④)
GATT(関税と貿易に関する一般協定)⑤
 第二次世界大戦後の新たな国際経済秩序を形成するために、自由貿易の拡大と関税引下げを目的にIMFとともに創設され、1948(昭和23)年に発効した。当初の加盟国は23カ国であった。(393頁 脚注⑤)

XのIMFに関する説明は正しいので、「X-正」となります。また、Yの説明はOECDでなくGATTに関するものだとわかるので、「Y-誤、Z-誤」も確定します。したがって、正解は、ウです。

なお、OECDについては、1960年代の加盟です。

 日本は、1960(昭和35)年に「貿易為替自由化大綱」を決定し、1963(昭和38)年にはGATT11条国に移行した。また、1964(昭和39)年にはIMF8条国に移行するとともにOECD(経済開発協力機構)に加盟し、為替と資本の自由化を実施した①。(396頁)
①GATT(関税及び貿易に関する一般協定)11条国とは、同規定11条の適用を受ける国のことで、国際収支上の理由から輸入制限をすることはできないとされている。IMF(国際通貨基金)8条国とは、貿易支払いや資本移動に対する制限を禁止されている国のことをいう。また、OECDに加盟したことにより、資本の自由化が義務付けられた。(396頁 脚注⑤)

1963年 GATT12条国→GATT11条国
1964年 IMF14条国→IMF8条国 + OECD加盟

なお、GATTは現在はWTO(世界貿易機関)になっています。

GATTに関しては、
 1964~1967 ケネディ・ラウンド
 1973~1979 東京・ラウンド
 1986~1994 ウルグアイ・ラウンド
の3つのラウンド交渉が大切です。これらは「政治経済」の範疇なので、今回はふれません。商学部の過去問なのででてくることでしょう。

◎11 1970~1980年代の出来事について年代整序

い イラン革命が起こり、アラブの産油国は原油価格を3倍に引き上げた。
ろ 第4次中東戦争が勃発し、アラブ石油輸出国機構(OAPEC)は、欧米や日本への石油輸出を制限し、原油価格を4倍に引き上げた。
は ニクソン大統領は日本へ円の大幅な為替レートの切り上げを要求した。
に 5か国の蔵相・中央銀行総裁が、ニューヨークのホテルでドル高の是正に合意した。
ア い→ろ→に→は   イ ろ→い→は→に
ウ ろ→に→は→い   エ は→ろ→い→に
オ は→い→に→ろ

年代整序問題は、選択肢の事項自体に正誤判定が不必要なので、時系列をしっかりと確認しておけば大丈夫です。

ニクソン大統領が「金とドルの交換停止」「10%の輸入課徴金」「90日間の賃金・物価の凍結」などの政策を発表し、「日本や西ドイツなど国際収支黒字国に対して、大幅な為替レートの切上げを要求した(ニクソン=ショック)」(402頁)のは1971(昭和46)年8月です。

第4次中東戦争が勃発したのは1973(昭和48)年です。

1973(昭和48)年10月、第4次中東戦争が勃発すると、アラブ石油輸出国機構(OAPEC)は「石油戦略」を行使し、イスラエル寄りの欧米や日本への石油輸出を制限し、原油価格を4倍に引き上げた。(403頁)

これを機に第1次石油危機がおこり、日本の高度経済成長は終わりマイナス成長となります。

そして、1979(昭和54)年におこったイラン革命を機に第2次石油危機①がおこります(406頁)。

①イランでは、1979年にアメリカの支援のもとに近代化を進めてきた王政が倒され、イスラーム復興を掲げる宗教指導者ホメイニが権力を掌握した(イラン革命)。この事件を機に、アラブの産油諸国は原油価格を3倍に引き上げた。(406頁 脚注①)

5か国の蔵相・中央銀行総裁会議がニューヨークで開かれてドル高が合意されたのは1985(昭和60)年です。

1985(昭和60)年の5か国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)で、ドル高是正が合意されると(プラザ合意)、円高は一気に加速し、輸出産業を中心に不況が深刻化した(円高不況)。(408頁)

1975(昭和50)年に第1回が開かれた先進国首脳会議(サミット)と勘違いしないようにしましょう。

正解は、「は→ろ→い→に」の順で、となります。

以上で、〔Ⅳ〕は終了です。〔Ⅳ〕は◎8〇3でした。


2021文化構想学部全体では、◎26〇10△4×1でした。

教科書本文だけで解ける割合は26/41(63.4%)、教科書の脚注・資料まで含めると36/41(87.8%)となりました。文学部に比べるとやや割合が高くなっています。例年との比較でも高めになっている印象です。

2021文化構想学部編はこれで終了となります。

次回からは、2021教育学部編を始めます。ご期待ください。

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