自己紹介まで。

普段、日常生活、又は仕事に対して不満がある様子など、おくびにも出さない癖にメッセージのやり取りではやたらに強気な人種がいるだろう。
僕に対する理解は、そういった人種だと思ってもらえればいい。

「普段」はブログTwitterで、良かったことや素晴らしい出来事を共有している。同じような性質を持つアカウントは散見されるし、SNSとして健全な状態といえる。
但し、誹謗中傷を生業のごとく連発するアカウントが不健全か?というとそんなはずはない。ありのままでいいし、そうでなくてもいいのがSNSというもの。

ただ僕は、なるべく批判的な姿勢を表に出したくないのだ。
批判はあらゆるリスクを孕むし、それはアウトプットの媒介となる本人…つまり僕にも生じる。

例えばひと昔前によくあったことだが、イタリアンレストランでパスタ、またはリゾットをオーダーしたゲストが「芯が残っているじゃないか!調理時間を誤っているのではないか?」と苦言を呈する。
当時はまだ、美食に少なからず傾倒したものでないと【アルデンテ】を理解できなかったのかもしれない。
事情はどうあれ、この批判は誤りだ。それが適切な状態なのだから、批判すべきではない。
服飾界隈に顔を覗かせているとこうしたことが往々にして起こっている。
コバの段差だとか、シャツの縫い目がズレているとか、よくわからないことでもめたりする。

だがここはあえて批判者の肩を持ちたい。

アルデンテもコバの段差も、伝える努力をしなければ当然一定数「不良である」と判断する者はいるのではないか?
如実に失敗めいた仕様に対する誤解を解くよう努力している売り手(または生産者)が少なすぎるように感じる。
これがファッション通がファッション通然とするためだけなら馬鹿馬鹿しいのでやめた方が良いだろう。
ジャケットのフラップの出し入れとかも、面倒臭いのでもうやめにすればいい。
権威あるサルトリアの某氏が、「フラップの出し入れは面倒臭いのでやめにします」と言ってくれればいい。
僕は先んじてやめているが。

こういった、愚にもつかない戯言を大量に産み出しては消費するのがこのアカウントでの僕のプロフィールである。
yurimeの持つ狭い側面、ブログやTwitterとは棲み分けた悪魔の囁き、つまるところ肉体を共有する別人格。

だって、悪口だって言いたいじゃない。楽しいもの。

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