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短編【ホテルのある風景 vol.2】 湯どの庵(山形県鶴岡市)

「なにも求めず 旅にでる」
 木に囲まれる宿 「湯どの庵」(山形県鶴岡市)

主人公は、40代のサラリーマン。実在するホテルを舞台にした、ビジネスショートストーリーです。
産業機器メーカーの営業マンであり、4人家族のパパでもある倉田恵司。第2話は、山形県を訪れます。

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タクシーの中。そっと目をやると、Chrisは満足げにシートに収まり、窓から見える田んぼを眺めている。

取引先の品質保証(QA)担当であるChrisは、アメリカから我が社の山形工場を訪れ、2日半の監査を終えた。海外営業担当の俺は、骨休めの一泊のアテンドを仰せつかり、庄内空港から車で25分、湯田川温泉の宿「湯どの庵」を予約した。薄暗い雨空の下、ひなびた通りの質素な門構えに若干気持ちが萎えつつ、格子戸を入った。

湯どの庵は、ひなびたどころか、和洋折衷のモダンな温泉宿だった。

ロビーにはたっぷりとしたソファに広いローテーブル、床に置かれた数々のランプが間接照明で温かみを添え、大きなガラス戸の向こうには日本庭園が見える。

部屋に入ると床は黒、寝床となる小上がりは白の木材のフローリング。すだ
れのかかった木枠の窓、木の柱、木の机と椅子。壁を飾る太い幹を縦にスライスした約50センチ幅の板4本には、天然木ならではの虫食いの跡。ここには自然の樹々が放つような、清浄な空気が流れている。

18時に予約したダイニングに、Chrisは湯あみを済ませて現れた。食事は庄内の野菜や魚、山形牛など、凝った料理が一皿一皿運ばれてくる。ゆるやかに流れるジャズを聴きながら、ビールから日本酒、赤ワインとアルコールもすすむ。Chrisは機嫌よく、温泉の様子から家族の話題まで会話は続いた。浴場内に立つ丸太や館内随所に置かれた椅子は彼にも印象深かったようで、木に囲まれる一夜だと喜んでいた。

翌朝、木箱に惣菜の小皿が並んだ美しい朝食を食べながら、夜中に調べた観光情報を披露した。出羽三山神社やクラゲの加茂水族館の名所巡りに早めのチェックアウトをすすめようとして、Chrisの顔が浮かないのに気づいた。聞くと、リクエストがあると申し訳なさそうに言う。「昨日の散歩で見つけた足湯に入りたい」。

なぬ?すぐそこの、地味な足湯?一瞬思考が飛んだが、まさに、ここならではの体験ではないか。

ふと、部屋のファイルにあった詩を思い出す。「なにも求めず 旅にでる 湯どの庵に 旅にでる」。滞在がすでに旅であり、Chrisはこの旅に満足している。そう思った。

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ご参考までに、作者が滞在した時の写真です。画像処理などわからず、ただ羅列するだけになっていてごめんなさい。
湯どの庵さんには、近々また伺おうと思っています。

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