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ハバロフスクとサーシャと私

ふとした香りで、眠っていた感情を思い出す。香りなんていう洒落たものじゃない。匂いかな・・・それも重苦しく退廃的な。これは、ソ連時代のハバロフスク・インツーリストホテル。当時、外国人の宿泊できるホテルは決められていた。

冬は氷点下の暗い街。でも、私は東の玄関口ハバロフスクは大好きだった。仲良しのロシア人ガイドがたくさんいて、いつも楽しい時を過ごしていたし。

ある冬の日(1985年)、サーシャはPoloのセーターを着ていた。紺色に赤のマーク。
「わ―💓どうしたの~すごく似合ってる!アメリカの男のみたい~かっこいいよ~」って、私はサーシャの周りをクルクル回った。

ツアーのお客さんにもらったって、とても嬉しそうだった。だって、サーシャは私と同じ年。23歳のイケメンロシア男子。カッコイイ服を着たいって思うのは万国共通。ひとしきり、褒めまくって別々のツアーへ。

その夜、ホテルに戻ってレストランでサーシャに会ったんだ。
私は、凍り付いた・・・

サーシャのセーターからPoloのマークは外されていた。赤い刺繍の糸が無残に少しだけ残っていた。

私はそれだけで、泣きそうになっていた。
「上司に、欧米的だと言われて切られた」と、サーシャ―はことの他平然として答えた。

あり得ない!若者の胸から、欧米的だなんていう、バカバカしい理由で刺繍を引きちぎるなんて!それが社会主義なんていうものなら、さっさと潰れてしまえ!!と思った。

でも怒り以上に、悲しかった。サーシャ―は、こんな国に生きている。私がわめき立てようが、どうにもならない。我慢して受け入れるという選択肢しかないんだから・・・

その後、すぐ私は自分とお揃いの黄色のPoroのセーターをサーシャにプレゼントした。せめてもの、ソ連という国に対する反抗だったのか・・・単にサーシャに、もう一度喜んで欲しかったからだったのか・・・今、思うとよく分からない。

単に自己満足だった。そうだな。

自由しか知らない、私なんかが何も言えなかった。ただ黙って一緒に座り続けることしかできなかった。

そんな記憶を思い出した。


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