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農山村地域の持続可能な形はいかにして可能か(という問いに、もやもやする)

30代になってからというもの、仕事は手応えがあって楽しくなってきてるんだけど、なんだかもやもやしていた。そのもやもやは、色んなものに振れる中で、少し見えてきた。それは、がむしゃらに働いてきた20代から、少しずつ「このままの働き方してて、果たして幸せな未来は待っているのだろうか」という漠然とした不安だ。得意を活かして働いてきたけど、今の能力のままでは限界を感じる。こんなおばあちゃんになれたらな、というイメージは持てるけど、こんな風になりたいなと思える40代、50代像が思いつかない。

そんな中、あるきっかけを得て、もやもやのありかをより具体的に突き止めた気がして、こんな投稿をfacebookにしてみた。すると、ありがたいことに「話を聞いてみたい」と数名が直接連絡をくれた。

農山村地域の持続可能な形はいかにして可能か
この問いは、大学2年生の春休みに立った問い。
北海道黒松内で、Iターンでブルーベリー農家をしていたご家族の元に農家民泊をした。夕飯の後に話をしていて知った、地域の実際の姿。その経験から、地元大分県佐伯市の姿とも照らし合わせながら、タイトルの問いを持った。
その後、自分なりに実験のつもりで、色んなことに取り組んでみた。休学、新卒の会社、今の仕事。
そして最近は、ずっともやもやした気持ちだった。
なんでかな…と思っていたけど、その理由が先日分かった。
東日本の社会教育に関わる方々と、まる1日対話しまくるという大変贅沢な時間を経て…
もやもやの理由は、「問いが進化・深化してない」から。
10年ちょっと、その問いのまま来てて、小さい仮説はたくさん生まれてきてるんだろうけど、、問い自体はほぼ保留されていて、新たな言葉になっていない。それがもやもやの原因なんだろうな…。
今の私の諸々を整理すると
持っている仮説
・今あるコミュニティが少しでも楽しくなる方向で関わる
・地域の持続可能性は、意思ある人の数による
生理的に好きなこと
・そのものらしさが際立つ瞬間
・組み合わせの妙が垣間見えた瞬間
・等価ではなく同時でない何かの交換
こんな働き方が好き
・時間が自由
・チームでの仕事
ということで、ちょっとこれからはアウトプットを重視しつつ、問いを深める行為に取り組んでみようと思います。なんか色々、おすすめな本とか、方法とか、思ったこととか、教えてもらえると嬉しいです!ちょっと光が見えてきた感…?ここから沼にはまるのか…w

この投稿に反応してくれた人は「onlineで話そうー!」と言ってくれて、「こんなにありがたいことってあるのか…!」と思いながら、私自身、遠慮がないので時間をもらいました。その日がたまたま、昨日に集中して、なんと4ターム。全部で5時間の対話を、5名とさせてもらいました。大学時代の友人と、前職の仲間。私自身に純粋に興味を持って(お金とか関係なく)、問いかけてくれる人たちがいるって、何か本当にありがたいことだなと、それだけで生きてて良かったと思える日でした。笑

さて、前置きが長くなりましたが、ここからは、その5時間で得た、私の気づきを言葉にするための、思考memoです。もらった問いなども残したいので書きます。長くなりそうだし、文章よく分からないかも知れませんので、ご興味ある方だけご覧ください。

問いをアップデートしたいのはなぜ?

最初にもらった問い。問いは、投げかける方には素朴な疑問だったとしても、もらう方は「グサッ」とくる。もだえながらも嬉しくなる。笑

熊本地震を機に、益城町で活動を初めて5年半になる。これからも、ここで暮らしていきたいなと思っている。資格試験の勉強をしていたら出てきた、レビンソンさんの「30歳の過渡期」の考え方を借りると、無限の可能性が開けていた20代と違い、30歳前後は様々な社会的制約を感じて「可能性が限定される」ように感じる時期だそう。いやほんとそう。

でもその制約が、ある意味の可能性。条件が決まってくるからこそ、これからの生き方を考え直してみたいと、そう思えてきたんだな、という感じ。

これまで、「農山村地域の持続可能性」という、でっかいテーマについて考えてがむしゃらに来たけど、果たして今、本気でそのテーマに取り組みたいのか。最近は、生活が楽しくて、手触り感のある毎日を暮らすことを考える方が楽しくなっている。掲げるテーマ自体が変わってきたんじゃないか。

災害地で活動してきたからこそ生まれたスタンス

新卒で営業をしていた際に、「クロージング(結論をもらう行為)」をしっかりとしなさいという教えがあった。私自身、クロージングがとても苦手だったこともあり、かなり指導を受け、心を鬼にしながら結論をもらっていた。その癖がついてしまい、地震後熊本に来た際も、(多少相手を追い詰める形になっても)結論をもらおうとしてしまっていた気がする。

益城町で、あるプロジェクトに関わっていた。そのメンバーの一人が、プロジェクト終了後、休職した。休職の理由が、プロジェクトそのものだったとは言えないかも知れないけど、私なりにショックだった。頑張ってもらいすぎたんじゃないか、など、私自身に何か原因がなかったか振り返った。

ただでさえ頑張っている人がたくさんいる災害地で、「頑張る」コミュニケーションは人を追い詰めるだけなのかも知れないと思う。しっかりやらなくてもいい、結論はでなくてもいい、やってもやらなくてもいい、なんでもいいじゃないかーーー(相手を傷つけない程度に)というスタンスは、この場所で活動してきたからこそ色濃く身についたものだと思う。

頑張る人がたくさんいるからこそ、余白やあそびを大事にしたい。ホッとできる時間・空間をつくりたい。この方向性は、割と私の性に合っている。

いつもお互いどうなるか分からない

被災地にお邪魔してお手伝いする機会は多いが、自分自身が被災したことはない。私はあなただったかもしれないし、あなたは私だったかもしれない、というのは、いつも想像していたいと思う。ただ、支援された経験があまりないし(多分)、その状況になったら、私はかなりセンシティブになるんだろな…どうなのかな…。何かするときに、偉そうにはならないように気をつけたい。

あなたにとっての仕事とは何ですか?

この問いには、かなり唸らされた。問いをくれた人は「学習機会だ」と言った。私は「実現したい暮らしに近づけるための手段」だと気づいた。課題を解決したい訳ではなくて、自分が描く暮らしに一歩でも近づけていきたい。そのために働く。だからこそ、残業はなるべくしたくない。実現したい暮らしは、働き過ぎる暮らしじゃないから。

では、実現したい暮らしって何だろう。今のところ思いつくのはこちら。

▼段階①:コミュニティがこうだといいな
・健やかで軽やか
・マズローの欲求段階の3つめくらいまでは満たされている
 (生理的欲求、安全欲求、社会的欲求。あんまり詳しくないけど)
→ここまでの項目は、
 できれば私がいるコミュニティの人みんながそうだといいなと願う。
 そうしたいけどそうならない人がいるならば、私にできることをしたい。

▼段階②:コミュニティがもっとこうだといいな
・ほどよいストレスと、ほどよいリラックス
 (コンフォートゾーンしかない場所をつくりたい訳ではない)
・大切なものを大切にしようとしている
 (経済・効率優先だと語られないものも含めて)
・学び・気づき自体が楽しい
・変化を恐れず、変化を楽しめる
→ここがいわゆる「持続可能性」に寄与する部分なのかもしれないな…

▼自分自身がこうだといいな
・学ぶ先、つながる先は、世界規模
・活動範囲は、九州規模
・還元先は、益城町

こんな暮らしに近づくために、どんな切り口で取り組んでいくのか?これはまた別途、改めて整理していきたい。

カレー屋さんではなく、みんなでカレー作りをしたい

実現したい暮らしに近づくための手段を考えるにあたり、カレーの話をしたい。私は、コロナ禍でスパイスカレー作りにハマり、例のごとく「間借りカレーをやってみたいな」という妄想が膨らんだ。商工会の方と雑談しているときに、「火曜日定休の日に、このお店貸してもらえるかも」みたいな話もあったのだけど、ある日ふと我に返った。

カレー屋さんとして、お店で(移動販売であっても)カレーを提供し続ける自分の姿を想像したときに、違和感しかなかった。きっと窮屈さを覚えて、他のことがしたくなって、すぐ辞める。その後、出てきたのは、お店を開くよりも、みんなでカレー作りをして、「スパイスカレーって思ったより簡単」「みんなで作って楽しい!」という感覚を味わいたいという欲求だ。

私は、札幌に住んでいた頃から「塩糀づくり&糀パーティ」を自宅や公民館で開いてきた。それは、塩糀を一人で作るのもいいけど、たくさんの人で作って、一緒に味わった方がもっと楽しい、という考えからだ。つまり、私は「2人以上でその楽しさを分かち合いたい」という欲求が強い。

また、「つくる」という行為を共にすることにも可能性を感じている。塩麹を作る、スパイスカレーを作る、中高生向けのイベントを作る。全部一緒だ。何かを作ることを通して、そこからお互いのことを知り、関係性が生まれて、何か新しい動きが始まる。

・みんなでつくる(共通体験)
・思ったよりもできた!という感覚(ハードルが下がる)

このスタイルは、私になりに心地よい方向性だと思った。

お金を介するとしらける

一つ気になっているのは、「お金」だ。生計を立てるために、コミュニティを運営するとなると、私は気持ちがしらけてしまう。読書会や、勉強会やパーティなどは、保険料や食材費などの実費以外は、もらいたくない。それをすると、純粋に「楽しいからやる」「学びたいからやる」という構図が崩れる。

なので、基本的には、そこで生計を立てない、と決めておきたい。ただし、続く形にするには…という論点はある。今、私は益城町で、中高生向けのイベントを企画していきたいと思っているが、これは続いてほしいと思う。子ども対象となると、より受益者負担は避けたい。お金を稼げない子どもを対象にした際に、参加費をもらう際の相手は保護者だ。基本的には、参加費無料にして、運営のためのお金は別で得ていきたい。企業協賛、助成金、寄付、、このあたりは本当に弱い。考えていきたい。

新テーマ:自分自身が楽しい暮らしをすること

今は、「農山村地域の持続可能性」を探究したいのではなくて、「自分自身が楽しい暮らしをする」を探究したいんだと思いました。それを突き詰めていくことで、結果的に「持続可能な場所」が生まれるのかもしれません。

カレー作り、イベント作りなどの「一緒につくる」を通して、作り手がたくさんいる場所になるといいなと思います。作り手が増えると、思いついたことが実現しやすくなります。風通しが良く、それぞれの動きが応援されやすくなります。前例踏襲が減ります。反省点を活かして、次の新たな一手が生まれます。変化への恐れが少なくなります。変化を楽しめる人が多くなります。(文章のつながりは適当)

そうやって輪が広がっていくと、持続可能な場所になっていくんだろうなと思いました。私にとって、「持続可能」は結果で良いんだなと思いました。

そろそろ歯医者に行かなきゃなので、この辺で。いやー、ありがとうございました!

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