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Xに絶望したけど、それでもXを続ける理由

Twitterとは、2009年からの付き合いだ。

これまでもたくさんの改変がなされ、始めは改悪だと感じたものにも、時間の経過とともに順応できるようになっていた。

広告掲載を本格的に開始してからはもう私の大好きだったTwitterではなくなってしまっていたが、自分なりに自分のタイムラインの見え方をスッキリさせる設定などを試行錯誤し、付き合い方を見出してきた。

だが昨年、イーロン・マスク氏がTwitter, Inc.を買収し、次々と大きな改変 (改悪) が行われ、慣れ親しんでいた青い鳥のアイコンが冷たい黒い「X」というアイコンに変わってしまってからは、本当にダメだ。

氏のこれまでの発言からしても、事実として、Xはこれまで我々が愛用してきたアプリケーションとは全く違うものになろうとしている。

とりわけここ数ヶ月間の変化は目まぐるしく、自身の発信活動のツールとしてもXを活用している私としては本当に使えないものになってしまったし、これから先、どんどんそうなっていくだろう。

それでもこのアプリケーションにしがみつく理由は何か。


一つは、すでにこのプラットフォームは、全世界で約5億人という膨大な数のユーザーを抱えている。
(※アクティブユーザーは約4,000万人)

この人数に「言葉」という手段で手軽にアプローチできるアプリケーションは、他になかなかない。
(しかし最近私のアカウントは様々な制裁が下されているため、実際そのアプローチができていると言えるのかどうかも、危ういところだが…)

類似の性質・機能を備えているアプリケーションは他にも存在するし、私自身利用もしているが (Meta Platforms Inc.のInstagramの連携アプリケーションのThreadsなど)、現実的に、Xほどの規模感にすぐになり得そうなものはない。
Xをとりあえず動かし続けておくことは、私にとっては必須であると判断した。


二つ目に、唯一、Twitterが創設された当時からほとんど変わっていない、文章を入力する画面。

私はあの画面から、大切な情報も、有象無象も、ポチポチと文章を打つという行為に、ほとんど「依存」しているといっていい。

言葉を紡ぐことが好きな私だが、「文章を書こう」と意気込んでしまうと、かしこまって書けなくなってしまい、ブログなどを開設しても、「文章を書く」ということを習慣づけられないのだ。

それが、あの入力画面はまるで魔法のようだ。

気負いすることがないどころか、なにかを言葉にしたいと思ったら、(公開するか否かは別として、) 気づいたら私はあの入力画面を開いている。
今現在の私が、「書く」という行為を続けるためには、Xというアプリケーションが必要なのだ。

「とりあえず」登録しておいておかねばならないという一つ目の理由だったが、それとは相反するような話だ。
悔しいことに、私は心の奥底から、あの場所を必要としている。


三つ目に、これはある種の挑戦だ。

Xの今後の動向を私なりに調べた限りでは、もう私が望んでいるようなアプリケーションに成り上がっていくことはない。

これまでは、現在のXでどうにかして私のやりたいこと (これまでやってきていたこと) をできるような道、方法を模索してきていたが、それはもうやめることにした。
もうXは全く違うものになってしまったということをしっかり理解して、割り切って利用を続ける。
「Xでうまくやっていく」ことを模索し努力することには、もう時間は割かない。

今まで通りの自分の運用方法を続け、それがたとえアカウントの評価が下がるような行動パターンだったとしても、アカウントバンを喰らわないようにだけしっかり注意をして、続けていく。
(まぁそもそも悪意ある行為はもともとしていないわけだけど、イーロン氏の価値判断では「よろしくない」となってしまう行動パターンが多いため、制裁を喰らってしまう)

Xでこれまで実現できていたことで今はできなくなってしまったことは、別の場所、方法を、これからじっくり考えながらやっていく。

文章をただ書くこと以外でXに頼っていた側面 (主に自身のYouTubeを中心とした活動の宣伝) においては、Xから自立する。
これからも変わらずXで宣伝活動等を続けはするけれど、今までと同じような反応や効果があることは期待せずに続ける。


じゃあどこが「挑戦」なのか…?


どんどん変化していくこのプラットフォームを今後も観察し続け、それに対して適応していくという挑戦はするということだ。
その私の超個人的な活動は、「私が宣伝したいこと」や「人々に発信したいこと」とは、関係ないところで、まったくの別の形でやっていく。

Xを続けて、ウォッチして実験して、という行為自体は続けるということだ。
それこそ、これからもこのアプリケーションにしがみついていく価値があるのか、利用していく必要があるのか、ということを、判断していきたいと思っている。


昨夜、新しいアカウントを一つ開設したのだが (アカウントID: @YurikaFiction)、それには何の意味があるのかと、私の普段の活動を応援してくださっている皆様は、このアカウントを発見したら疑問に思うかもしれない。
でもこれは、実は単なる思いつきだ、

上述の「観察」を別アカウントからしてみようという目的ももちろんあるのだが、それよりは、どちらかというと二つ目にお話しした私の「文章を書きたい」を実現する上で、さまざまなことを考えて辿り着いた結果が、Xの別アカウントの開設だった。

私のメインアカウント (アカウントID: @MC_Yurika) は、主に私の普段の活動を応援してくださっている方々にフォローしていただいているアカウントで、どうしても書く (公開する) 内容を考えてしまうのだ。

私如きが気にしすぎなことは解っているのだが、「こんな文章、みなさんは読みたくないのではないか…?」などといつも考えながら文章を書き、そのほとんどを私の尺度で「これは載せるべきではない」と判断しているため、私の下書きには、実はたくさんの文章が溜まっている。

そこで、新しいアカウントではメインアカウントではなかなか書くことを躊躇してしまうようなことを、気兼ねなく書く場所として開設した。
皮肉なことに、Xへの不満が大爆発したことがこの行動のきっかけとなってくれた。


始めは最近のXに関する見解の文章だったのが、自身の個人的な報告のような内容で締めにかかっているのは、この文章はもともとXの新アカウントを開設するにあたってその経緯を呟いたスレッドを編集したものだからである。

私の普段の活動やキャラクターを知らない方がこの記事を読んでも分かりにくい部分が多いと思うが、せっかくある程度の長文を書いたので、noteにも残しておきたいと思った。
その思いが先行して公開した記事なので、あまり注釈するなどの気は遣わずに書いてしまったことは謝りたい。


また、こうして書き留めておきたいと思うほど、X (というより、Twitter) が自分にとって本当に大きな存在であったことにも改めて気付かされた。
本来であれば見切りをつけて決別すればいいわけだが、私は活動の拡散ツールとしてもそうだが、細胞レベルで (「ここで文章を書き続けたい」という欲望) Xをまだ必要としている。


これまでと戦い方は変わるが、戦い自体は続く。


最後に余談だが、メインアカウントではイーロン氏のことをフォローしつつもミュートしているのだが、新設したアカウントではまだミュートにしていない。
ポストの内容はもちろん、フォーマット等の研究のためにも、我慢の限界が来るまではミュートせずに頑張ろうと思う。


Yurika

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