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撲滅!”いいからやれ”

以前一緒に働いていた同僚に会った時のこと。「私たちの上司が、あなたのこと、”質問が多くて、扱いずらいのよね”って私に言ったことがあったのよ」と話してくれた。「扱いづらい=厄介者、めんどうなヤツ」と思われていたのか、一瞬傷ついた。が、よくよく考えれば、私はその上司のことは、全く尊敬できなかったし、好きではなかった。イギリスの親会社から指示を、そのまま私たち部下にそのまま伝えるだけだった。だから、「それってどういう目的ですか?」「それは日本では状況が違うと思うんですけど、その点はどうお考えですか?」と懸念点を指摘しても、

まあ、いいからやってよ

と、だけ言っていつも逃げ回っていた。親会社の「伝書鳩」(若い人は伝書鳩なんてわからないんだろうな。。。)をしていただけで、責任を果たしていない人に、”扱いづらい”などと言われる筋合いではない!と、自分で自分を立て直した。

職場でも、家庭でも、この「いいからやれ」と言われた経験は、誰しもがあるはずだ。この言葉を発する人は、自分よりも立場が上なので、反論しづらく、従うしか選択肢がない。

もし、ちゃんとそのやるべき目的が分かっていれば、必ず説明しているはずなのだ、こちらが訪ねなくても先に。ただ、立場を利用し、人に言うことを聞かせようとする人は、「上がそう言っているから」「そう決まっているから」と、言うことが多い。これらは、その指示をやるべき理由ではない。

責任の逃れの言い訳

でしかない。「これでこの件はあなたに責任が移りました。その通りにやらなかったら、それはあなたの責任です」と言っているようなものだ。それは責任ある立場を任された者のあるべき姿ではない。だから、納得のいかないことの理由を求め、すぐにやらない私は、それで上司に嫌われ、断罪されてきた。「言うことを聞かない、扱いづらいヤツ」、私の元上司の言葉は合っている。だが、

イヤイヤ、しぶしぶ従ったことは、いつか誰かがに覆される

現に、今まで辞めた会社や離れた部署の後日談を聞くと、特段、理由も提示されずに指示された業務や作業は、いつのまにかなくなっていたり、簡素化、省略されていることが多い。私が主張したことは間違っていなかったがと、少し救われるが、主張の仕方を工夫すれば、私一人が悪者にならずに済んだかもしれない。が、まあ、それは良しとしよう。

そうはいえ、世の中には、納得がいかなくても、やらねばならないことが山ほどある。その理由や背景が知らされないことも同様にたくさんある。ならばせめて指示をする人が、「おかしいと思っているだろう。気持ちはわかる、私も実は納得してないんだよ」と、本音を少しでも見せてくれたら、近い将来の解決方法を想定し、前向きに取り組めるのだが。

追記:mr_stagram_さんの画像を使わせていただきました。ありがとうございました。



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