「いつでもいい」は、見栄っ張り

どうも自分のマネージャーとうまくコミュニケーションが取れず、どうしたものかと考えていたら、仕事の上では直接かかわりがない別の部署のマネージャーから、急に時間をくれと言われた。私の上司が私に関して何らかの話を聞いたらしく、橋渡し役を買って出ようということらしい。一通り話をして、「よくわかった。これから何かあったら”いつでも”連絡してきていいよ。これが私の私用の携帯番号だ」と渡された。それを受け取り、「信用してはいけないな」と思った。

「いつでもいいよ」は、余裕のある、相手の選択権を与える優しい言葉に聞こえるが、実はこの言葉の前に、

”私が忙しくない時は”「いつでもいいよ」と前置きがある。

だが、それをほとんどの人が省略して言っている。人はまず自分が生きるための時間を使うことが優先だ。寝る、食べる、仕事する/勉強する。他人のために、いつでも自分の24時間を提供できる人はほぼ皆無だ。ではなぜ「いつでもいい」と人言うのか。それは、

人のために自分の時間を使えるいい人、余裕がある人だと見せたがる

要するに見栄っ張りなのだ。別の見方をすれば、自分をよく見えることばかりに気を取られ、自分の優先順位が分かっていないし、分かろうとしない。心から、自分の時間を有効に人のために使いたいと思うのなら、自分のどの時間が提供できるか、把握することが先決だ。そうなれば「平日の18時以降なら話せるよ」とか、「明日の11時からお昼をはさんで、13時半までは都合がいいよ」と具体的な時間を伝える。その上で、相手のスケジュールも考慮できるからだ。それに、そもそも、悩みを聞いたりすることは、いつ何時、長い時間を費やせばいいわけではない。絶妙なタイミングもある。

これは、「なんでもいいよ」にも同じことがいえる。一般的なのは、「何を食べるか」。食事の約束をして、相手が「なんでもいいよ」というので、お店を予約したり、連れて行ったりすると、「そういう気分じゃない」と嫌な顔をされたり、逆提案されたり。「だったら、最初からそういえよ!」とイラつく経験をした人はたくさんいるだろう。「あなたが食べたいものなら、何でも付き合うよ」と、相手に選択肢を与えているのではなく、決定責任を丸投げしているのだ。そもそも、その人との関係性を大事にしようと思いえば、お互いの限られた時間を、どうやって有効に共有し過ごすか、真剣に考えるはずだ。

この橋渡し役のマネージャーは、よく休暇の話や、家族との時間の話を普段からしている。そんな人が、休日や夜の仕事の相談で連絡をしたって、対応わけがないと疑ってかかった。案の定、別件で平日の夕方18時半過ぎに電話を入れたら、「これから息子の夕食作るから」と早く電話を切ろうとした。「先日、あなたが”いつでもいい”とおっしゃいましたが、具体的に何日、何曜日の何時~何時のことを意味しているんですか?一般的には”いつでもいい”は、24時間365日と理解されますが」と言ってやりたかった。

追記:yuminoumiさんの画像を使わせていただきました。ありがとうございました。

「人生経験の引き出し」がいっぱいあります。何か悩み解決のヒントになる話が提供できるかもしれません。