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同じクラスのオナクラ嬢 第17話


「じゃあ九条ちゃん、掃除しておいてね」
 中学二年の冬。転校してきたばかりの私に箒を押し付けて、天海(あまみ)さんは同級生の女子たちと教室を出ようとした。
「えっ、でも、天海さんも、掃除当番……」
 私が言うと、天海さんは顔だけをこちらに向けて「なに? 聞こえなかった。もう一回言って?」と冷たい声で言う。
「あ……」
 きゅっ、と箒の柄を握る。寒いのに額から汗が流れる。
「なんでもないの? じゃあ呼び止めるなよ。じゃあね、九条ちゃん。あとはよろしくぅ」
「よ、良くないよ、こういうの」
 天海さんが立ち止まる。舌打ちが聞こえて、びくっと身体を震わせてしまう。
「あのさあ。あたしはあんたと違って忙しいんだよ。掃除なんてしてる時間ないわけ。わかる? だいたいさ、掃除くらい進んでやっとけって。汚い人間が、汚いものを掃除するのは、当然だよねえ」
 天海、言い過ぎだよ、と天海さんの後ろにいる女子ふたりが笑いながら言う。
 どうしてだろう。
 どうして、この人たちは、こういう人種は、そうやって気軽に冷たい言葉を吐けるのだろう。悲しくなる言葉を人に向かって言うことができるのだろう。
「それに、あたし、知ってるよ?」
 天海さんが、つかつかと私の前まで来て、髪を引っ張る様に顔を向けさせる。
「あんた、実の親を刺したらしいじゃん。犯罪者が、なんで普通に学校来れてるの?」
 さぁっと顔から血の気が引いていく。
 後ろの同級生たちも「え、まじ……?」とひそひそと囁いているのが聞こえた。「こわ……。私たちも刺されちゃうんじゃない?」「ずっと家にいればいいのに」「血の匂いとかついちゃいそう」「触ったら私たちも犯罪者になっちゃうんじゃない?」
「あたしの親、新聞記者だからさ。そういう話、すぐに入ってくるんだよね。転校してきたあんたの話をしたら、嬉しそうに喋ってくれたよ。ねえ、あたし、したことないから教えて欲しいんだけど、どんな気分なの? 父親を包丁で刺すのって、どんな感覚だったの?」
 それ以上言わないで。
 自分でも無意識に、天海さんのことを睨みつけていたらしい。
「は? なにその目。意味わかんないんだけど」
 廊下から「なんだ、何か揉めてるのか」と担任の奥村先生が教室を覗いた。助かった、と私は思った。
「なんでもないでーす。九条ちゃんとお話してただけでーす」
 天海さんが、ワントーン高い声を出して、笑顔で言う。
 私は、横に首を振り、表情で奥村先生に助けを求める。しっかりと、奥村先生と目が合った。
「あー……そうか。なら、仲良くな。遊ぶのなら、ちゃんと遊べよ。俺の見えない、どこか知らないところでな」
 そう言って、立ち去る。
 ――え。
「待って、先生! 私――んんっ!」
 口を、押さえつけられた。教室のドアが閉められた音がする。ドアを閉めたであろうふたりの女子が、くすくすと私の方を見ている。
「だめだよ、九条ちゃん。あいつ、クズ教師なんだから。助けなんか求めても意味ないよ。残念でしたぁ」
「……っ」
「で。さっき、あたしのこと睨んでくれたよね。それのオシオキ、しなきゃ、だよね。お前如きが、あたしのことを睨んでいいわけないだろ、ゴミ」
 髪を雑に掴まれて、引っ張られる。いやだ。痛い。痛い。やめて。
 その時、ドアがガラッと開かれた。
「……あれ、何? お楽しみの時間、邪魔しちゃった?」
 同じクラスの、名越鏡花さんだ。制服の上から大きめのコートを着ている。
「あ、名越、さん……」
 天海さんの動きが止まり、髪を掴む力が弱くなった。
 名越さんは、私と天海さんを一瞥して、ふっと鼻を鳴らした。
「何してるの天海さん? 九条さんと遊んでるの? 楽しそうだね。狭い世界で上に立つの、楽しいだろうね。弱い者いじめとか、私、できないから、感心しちゃうな」
 にこっと微笑みながら、こちらに近づいてくる。
「な……なんだよ……」
「いや、私もね。悪いと思ってるんだよ。同級生に私なんかがいたら、天海さん、掠んじゃうもんね。そりゃストレスも溜まるか。ごめん、可愛くて。天海さんもそこそこ可愛いとは思うけど、敵わないもんね、私には。ほんとごめん」
「……っさい! どっか行け! 関係ないでしょ!」
「ん? 関係なくないよ」
 名越さんが、私と天海さんを離して、私を引き寄せて、肩を抱く。
「九条ちゃんは、今日から私のだから」
「はぁ!?」と天海さんが声を荒げて、「はい?」と私も首を傾げる。
「そういうことだから。私の所有物に触るなよ、ゴミ」
 名越さんの声に、言葉に、天海さんが怯んだのがわかった。
「あー、だる。意味わかんない。行こ、ふたりとも」
 そう言って、天海さんは友達ふたりの背中を押して、教室を出ていこうとする。その手が、少し震えていた。
「あれー。天海さん、今週掃除当番じゃなかったっけ?」
 名越さんの問いかけを無視するように、天海さんは勢いよくドアを閉めて立ち去った。結局掃除はしてくれないらしい。
「なにあれ。感じ悪いね。きも。じゃ、九条ちゃん。私も手伝うから、掃除、早く終わらせようよ」
 名越さんが、私から箒を奪う様にして、当たり前のように床を掃き始める。
「あ、あの、名越さん……」
「んー?」
「えっと、ありがとう……」
「なにが?」
「え、いや、私を、助けてくれて……」
「別に、そんなつもりはないけど」
「えっ」
「今日から、九条ちゃん――いや、友里ちゃんが、私の所有物っていうのはホントだから」
「ええっ!?」
 どどど、どうしよう! もしかして今度は名越さんから虐められちゃうの!?
 あの、クラスどころか学校の誰もが憧れの、学校一美人の名越さんに、目をつけられちゃったの!?
「だから、困るんだよね。私の所有物が、そんな感じだと」
 名越さんが箒を壁に立てかけて置き、私の顔に手を伸ばす。
 反射的に、びくっと目を瞑ると、名越さんの白い指が、私の前髪を掻き分けた。



「……ほら、可愛い。顔、ちゃんと見せるようにしたほうが良いよ」
「え……?」
「この後時間ある? あるよね? 私が行ってる美容院あるからそこ行こ。その後に服とか化粧品も買わなきゃ。今日は忙しくなるなー! ほら、友里ちゃんも、掃除掃除!」
 頭が混乱している最中、もうひとつの箒を名越さんから渡されて、脳が疑問符でいっぱいの中、私は床を掃いた。名越さんと一緒に。

 翌日、私が教室に入ると、クラスメイト達の喧騒が止み、皆の視線が私に向かれたのがわかった。
 ああ、変だよね。やっぱり。おかしいんだ。
 鏡花ちゃんは褒めてくれたけど、私がお洒落するなんて、やっぱり似合わないんだ。やだなあ。笑いものになっちゃうのかなぁ。もしかしたら、そういう方向からの虐めだったのかな。鏡花ちゃんとは友達になれたと思っていたのに……。
 悲しくなった私は、なるべくクラスの人と目を合わせないように、俯き気味に歩いて、自分の席に座った。
 すると、同級生で陸上部のキャプテンの田岡くんが、「あの」と声をかけてきた。
「クラス、間違えてませんか?」
「えっ……?」
「いや、そこ、九条さんっていう子の席なんスけど……。あ、もしかして、転校生とか? 俺で良ければ案内しますけど――」
「あ、ううん、あの、私、九条、です。九条友里……」
 田岡くんが、間の抜けた表情をして、「え、何かのドッキリ?」ときょろきょろとしている。他のクラスメイトたちも、何やらざわついていて、天海さんは椅子に座りながらも目を丸くしてこちらを見ていた。
「?????」
 困惑している私の思考を断ち切る様に、勢いよくドアが開かれ、「あ、友里ちゃんもう来てた! おはよう! ほらー! やっぱり可愛い!! ねえみんな、可愛いよね!? 私の友里ちゃん!!」と名越さんが嬉しそうに喋りながら私に歩み寄り、後ろからぎゅーっと抱きしめてきた。
 男子のみんなは無言のまま、こくこくと赤くなった顔を縦に振り、女子のみんなも「え、あれ九条さんなの?」「可愛い……」「好き……」「尊い……」と目を輝かせて私を見ている。
「ねえ、天海さんも、そう思うよねぇ?」
 私を背後から抱きしめながら、鏡花ちゃんは言う。鏡花ちゃんの表情は見えなかったが、天海さんが爪を噛んでこっちを睨みつけているのはわかった。
「九条さん、連絡先交換しよっ」「九条さん、実は俺、前から気になってて」「待って、名越さんと九条さんがふたり並んでる絵面強すぎ」「っていうか、名越さんより……」「人生に感謝」「九条さん、今日放課後カラオケ行こうよ」
 わっ、とクラスのみんなが押し寄せるように私の席に集まってきた。人生で初めての経験だ。私なんかが、好意的な視線を、言葉を、みんなから寄せられている。
「……ね、友里ちゃん。わかったでしょ」
 後ろから、鏡花ちゃんが私にしか聞こえないような声で、耳元で囁いた。
「女は、可愛いってだけで、大抵の問題を解決するの」
 耳元にかかる彼女の吐息は温かったが、その言葉は、なぜかとても冷たく感じられた。
「こっちの世界へようこそ」
 くす、と嘲笑交じりに、鏡花ちゃんは言った。

 私は、アラームの音ではっと目を覚ました。
 うさぎの置時計に手をかけて、音を止めて、瞼を擦りながら、上半身を起こす。
 昔の夢を見ていた気がする。中学生の頃の夢、というよりも、実際にあった記憶だ。
 どうして今、あの頃のことを思い出したのだろう。
 今の私は、あの頃とは違う。鏡花のおかげで、私は私が可愛いということを知っている。魅力的であることを、自覚している。そう、鏡花のおかげで。
 壁にかかったカレンダーをちらりと見る。
 今日は、木曜日。熱海合宿以来の、ゼミの日だ。

 ――ちょっと用事があるから、先にD棟向かってていいよ。
 いつもゼミの前は鏡花と合流して、一緒にゼミが行われる教室に向かうのだが、今日は何か用事があるのだという。私はひとりでD棟の方に歩いていると、後ろから声をかけられたので、振り返る。そこにいたのは、唐沢晶さんだった。会うのは、月曜日以来だ。あの、泣いていた唐沢さんを慰めた日以来だ。軽く挨拶をして、横並びで歩く。
「九条さん、この前はごめん。情けない姿見せちゃって」
「ううん。私はなにも。あれから、大丈夫だった?」
「あ、それなんだけどさ……」
 唐沢さんが立ち止まり、頬を掻く。その顔が、見る見るうちに赤くなっていく。
「その……例の、その男なんだけど」
「うん。無理やりキスしてきたとかいう最低な男だよね。信じられない。滅べばいいのに」
「えっと……直接、家まで謝りにきてくれてさ……」
「あ、そうなんだ? それは――」
「で、あの……プロポーズ、されちゃいました……」
 唐沢さんが、両頬に手を当てて、顔を真っ赤にしている。
「えええっ!?」
 私は仰け反り、突然の話になんと答えていいのか、ぶんぶんと手を動かし、口をぱくぱくとさせてしまう。
「相談に乗ってくれた九条さんには、伝えておきたくて……」
「え、あ、うん。それは、良かった、というか、おめでとう! うん!!」
「うん、ありがとう……」
 ますます唐沢さんの顔が赤くなる。いつもクールな唐沢さんが、こんなにも乙女な表情をすることがあるのかと驚く。唐沢さんにこんな表情をさせることができる男とは、いったいどこのどいつだ。
 恥ずかしがっている唐沢さんにあれこれ質問していたら、あっという間にゼミが行われる教室に着いてしまった。いつも誰よりも早く来ている沖内くんが、その日はまだ、来ていなかった。




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