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同じクラスのオナクラ嬢 第20話

 あの犬は、私にしか懐かないんだよ。
 名越鏡花が小学生の頃、同級生の花岡咲はそう言って、自分の家の庭で飼っている犬を撫でた。へえ、そうなんだ。鏡花はそう口にしたが、素直に信じることはできなかった。それから、学校の帰り道、咲の飼っている犬に、毎日、おやつを与えることにした。もちろん、咲には内緒で、だ。
 そんなことを続けて、一ヶ月程度経った頃。咲と一緒に帰り、彼女の家で少し遊ぼう、という話になった。咲は、庭にいる犬を呼んだ。おいで、と。それと一緒に、隣で、鏡花も犬を呼んだ。おいで、と。
 犬は、はぁはぁと舌を出して、しっぽをぶんぶんと振りながら、鏡花の元へ駆け寄り、脚にすりすりと頭を押し付けてきた。
 その時の、咲の顔が、鏡花には忘れられない。
 どうしたの、うそつき。
 この犬、あなたに、一番、懐いてたんじゃなかったっけ?
 ごめんね、この子、私に一番懐いてるみたい。
 今にも泣き出しそうな咲の顔が、たまらなく、鏡花には愛おしく感じられた。

 どういうことだよ、鏡花ちゃん!
 高校一年の夏、隣のクラスの鎌田健司が、登校してきた鏡花を見るなり、話しかけてきた。
「え、なにが?」
「なんで、電話、出てくれないんだ! メッセージも無視するし! 俺たち、付き合ってるのに!!」
「ああ……」
 髪をいじりながら、鏡花は笑顔で言う。
「飽きちゃった。もう終わりね、私たちの関係」
「な、なんだよ、それっ……!」
 強く肩を掴まれて、思わず舌打ちが出てしまう。
「は? なに? うざ」
「なにって、そんな、勝手過ぎる!! あ、あんな……いきなり、キスしてきて、好き好きって言い寄ってきて、僕に告白させて、それでこれって……そんなの、ないだろっ」
「知らないけど。そっちが勝手に告白してきたんでしょ。ねえ、離してよ。HRに遅れるんだけど。ここで叫んでもいいんだよ」
  ぐっ、と鎌田は鏡花の肩から手を離した。
「もう話しかけてこないでね。着信拒否にするし、アプリの方もブロックしておくから、お互いに忘れよ。今までありがとね。君と付き合ってたのはくっそ無駄な時間だったね」
 ひらひらと手を振って、教室に向かおうとしてから、「あ、そうだ」と鏡花は携帯電話を取り出した。
「言っておくけど、私にフラれたからって、友里ちゃんには近づかないでね。二度と。もし近づいたら、これ、彼女に聞かせるから」
 口の端を上げながら、鏡花は音声ファイルの再生の表示をタップした。
『僕は、九条さんなんかよりも、ずっとずっと鏡花さんの方が好きですぅ💕』
 それを聞いて、鎌田の顔がさぁっと青くなる。
「な、なんで、それ、あの時、録って……いや、それだって、鏡花ちゃんが無理やり……」
「あ、やめて。私が言わせたとかいうの。今以上に君のこと嫌いになっちゃう。これは、あなたが自主的に言ったこと。そうでしょ。実際に言ったのは、あなたなんだから。本当、クズだよね。最初は友里ちゃんのことが好きとか言ってたくせに。ちょーっと他の子に誘惑されただけで気持ちを変えちゃうとか。最低だね。反吐が出ちゃうな」
 鏡花は、歪ませた口許を、鎌田の耳元に寄せて、囁いた。
「私と友里ちゃんの人生に、もう二度と関わるなよ、ゴミ」
 ああああ、と鎌田は声にならない声を出して、その場に崩れ落ちてしまう。
 まったく、本当に、どうしようもない。
 男って、みんな、そう。
 こんな奴らに、友里ちゃんを渡すことなんて、できないよ。
 教室に入ると、窓際の席で外を見ている九条友里が、真っ先に目がついた。当然だ。彼女の周囲だけ世界が違う。輝いている。鮮やかな色がついている。
 鏡花は思う。
――ああ、私の友里ちゃんは、今日も可愛い。安心する。だめだよ、友里ちゃん。あなたは、そのままでいなきゃ。だめなんだよ。他の色がついたら、だめ。濁ってしまっては、だめ。友里ちゃんは、私だけの友里ちゃんでいなきゃ。だめだよ。友里ちゃんは、私の作品なんだから。私が作った、最高傑作なんだから。そうだよね。私の友里ちゃん。
「おはよう、友里ちゃん」
「あ、鏡花。おはよう」
 友里が、鏡花に笑顔で挨拶を返す。その様子が、光景が、鏡花にはとても神聖なものに感じられた。
「そういえば、友里ちゃんさぁ」
 鏡花は鞄を机の上に置きながら、友里の前の席に座る。
「前、隣のクラスの鎌田くんのこと、ちょっと良いかも、とか言ってたよね」
「え? ああ、まあ、うん。よく話しかけてくれるし、優しくしてくれるし……」
「やめたほうがいいよ。彼、好きな人がいるんだって」
「あ、そう、なんだ……」
 友里は、ちょっとだけ落ち込んだような仕草を見せたが、すぐに気持ちを切り替えたのか、ふふっと笑う。
「なんだか、私が良いかもと思う人って、みんな好きな人がいるんだよね」
「ねえ。不思議だねえ」
 みんな、あいつらが悪いんだよ。
 あんな、ちょっと誘惑されたくらいで気持ちが移る、中途半端な気持ちしかもってないような男たちが、悪いんだよ。
 授業と部活が終わり、帰路につく。鍵を開けて、明かりがついていない家の扉を開けた。リビングのテーブルの上には「今日のご飯代です」と書かれたメモと、一万円札が置いてある。もうすぐ楽になると言っていたけれど、母はいつまで仕事が忙しいのだろう。鏡花はそう思いつつも、無造作にそれを摘み、階段を上って自分の部屋の扉を開けた。
「ただいま、友里ちゃん」
 壁には、今まで撮ったたくさんの友里の写真が貼ってある。遠足でお弁当を食べている友里。体操着姿の友里。一緒に初詣を行ったときの友里。色々な服装、様々な表情、あらゆる友里の姿が、壁に、天井に、机の上に、存在する。
 鏡花が中学生の時に、転校生としてクラスに入ってきた友里と、初めて会ったあの日。
 あの日から、鏡花は、友里に心を奪われていた。
 清らかで、神聖で、誰も侵すことのできない、聖域のような存在である彼女を、汚す人間は許せない。認めない。そんなものは、存在してはいけない。
 ――だから、排除しないと。
 邪魔者は、すべて排除。
 誰でもない、この私が。
 大丈夫だよ、友里ちゃん。
 私がずっとあなたの近くにいる。
 その間、ずっと、守り続けるから。
 鏡花は、そっと、机の上に立てかけてある友里の写真に指先で触れる。
 ――でも、もし。
 もしも、私の誘惑にも屈することなく、彼女を一途に想う人が、現れたなら。その人を、友里ちゃんが好きだと言うのなら。
 その時は――。

「ぼく、は……名越さんとは……つきあえない……っ」
 鏡花の目の前にいる男――沖内正の言葉が、最初は理解できず返答に言葉に詰まった。
 断られた、のか?
 何を?
 私の告白を?
「え……? は……? なに……?」
 鏡花には信じられず、唖然としてしまう。
「気持ちは、凄く嬉しい。本当に。名越さんみたいな素敵な人から告白してもらえたなんて、この先の人生、ずっと自慢できることだよ」
 沖内が何か喋っているが、その内容が、ちゃんと耳に入ってこない。
「え、なんで? 嘘でしょ? 冗談だよね? やめてよ、沖内くん」
「……ありがとう、僕なんかに告白してくれて。本当に。でも、ごめん。繰り返しになっちゃうけど、名越さんとは、付き合えない」
 頭の奥が、ずきっと小さく痛む。
 沖内が、さっきまで荒げていた呼吸を落ち着かせている。
「熱海で名越さんからキスされた時、凄くドキドキした。恋なのかもしれないって思った。でも僕は、次の日に、また別の子と、キスしたり、やらしいことをしたんだ」
「なに……何の話……?」
「僕が本当に名越さんのことが好きなら、そんなことはしないはずだよ。僕は名越さんに対してじゃなくて、キスとか、そういう行為に対してドキドキしてたんだなってわかった。そんなの、恋じゃない。そんな気持ちで、名越さんの告白を受けるのなんて、僕にはできない。だから、ごめん」
 なに?
 なんで、沖内くん、謝ってるの?
「そんなのっ!」
 鏡花は、自分で出した声が思っていたよりも大きかったことに、自分で驚く。
「そんなの、どうでもいいよ! 別に、最初はそういうよこしまな気持ちから始めてもいいじゃん! 付き合ってから相手を好きになることだってあるよ!」
 なんだ?
 私は、何を言っているんだ?
「……ごめん。僕は、そういう感じでは付き合えないし、そうもなりたくない。前の恋が酷かったから、慎重になってるのもあるのかもしれないけど。ちゃんと、相手を好きになってから付き合いたいし、相手にも、僕のことをちゃんと好きになってほしいから」
「私はっ……」
「名越さん、本当は僕のこと、好きじゃないよね」
「……っ」
 沖内は、そこでじっと鏡花を見て、どこか寂しげに微笑んだ。
「……ね。その反応、やっぱりだ」
「あ、ちが、私は……」
「前、あの人が言っていたことは、本当だったのかな」
 沖内は俯き、長く息を吐いてから、顔を上げる。優しくて、儚げな、透明感のある笑みで、なぜか、その笑顔が友里と重なったように鏡花の瞳には映った。
「でも、たとえ嘘でも……僕は、名越さんから好きと言われて、本当に嬉しかった」
「え……?」
「前の彼女に振られてから、ずーっと、自信がなかったんだ。自分に対して。もうずっと、女性から好かれるようなことはないのかもって。だから無理矢理、みんなが僕のことを好きなんだって、そう思い込むようにしていた時もあったけど、やっぱりそんなわけはなくて。でも、あの日。嘘だったとしても。名越さんから好きって言われて。本当に、救われたような想いだった」
「……沖内、くん」
「だから、ありがとう、名越さん。うん。やっぱり、その気持ちは変わらないや」
 どうして?
 どうして、沖内くん、お礼なんて言うの?
 酷い女なんだよ、私。
 君を、騙そうとしていたんだよ。
 君を、陥れようとしていたんだよ。
「あ、でも。そうだ。言いたいことがあった。だめだよ、名越さん」
「だ、め……?」
「九条さんよりも、みたいな。ああやって、他人と比べさせるのは、良くないよ。そんなことしなくても、名越さんはすごく素敵な人だし、美人だし、可愛いんだから。どっちの方が上とかじゃなくて。いつだってみんなに気を遣ってるし、誰にだって優しいし、僕は、人として名越さんのことを尊敬しているし、大好きだよ」
 どうして。
 どうして、そんな顔で私を見れるの。
 どうして、そんな声で私に話せるの。
「……名越さん?」
 沖内の顔が、近くなる。不安そうに、眉を寄せて、鏡花を見ている。
「どうして、泣いてるの? あ、僕のせいだよねきっと。ご、ごめん。どうすればいいかな」
 泣いてる?
 目元を拭うと、確かに液体が指についた。自分でも気づかないうちに、涙が溜まっていたらしい。
 素敵で、美人で、可愛い?
 当然でしょ。
 そんなこと、言われなくたって知ってる。
 尊敬している?
 大好き?
 当たり前なんだって。
 だって、私だよ。
 名越鏡花だよ。
 沖内くんなんか、本来、対等に話すこともできないような、そんな存在なんだよ、私は。
 よくもまあ。
 そんなに素直に、言えるよね。
 そんなに、素直に、正直に……。
 おろおろとしている沖内の姿が、ぼんやりとだが瞳に映る。
 自分でもわからない感情に、涙が溢れ出てくる。拭っても拭っても、ぽろぽろと、零れてくる。
「ひっ……えぅっ……」
 やだなあ。かっこ悪い。男の前で、打算もなく泣くなんて、私らしくない。
 友里ちゃんをとられちゃう。そう思ったから、泣いてるの?
 鏡花は、自分の中の自分に問いかけてみる。
 もしかして、初めて告白を断られてショックだったとか?
 それとも、まさか。
 少しでも、沖内君に気が合ったとか、そんなこと言わないよね?
 あるわけないよね、そんなこと。
「あ、え、どうしよう、名越さん、泣かないで……っ」
「……む」
「え、な、なに?」
「今日、ゼミ、休む……。化粧、崩れちゃったし……」
 鏡花は、目元を拭い、すんっと鼻を啜り、沖内の胸に、手を当てた。
「だから……友里ちゃんのこと、よろしくね」
「あ、うん。それは、うん」
「絶対だよ」
「ん……? うん」
「ありがとう。沖内くんになら、任せられるよ」
 そのまま、身を預けるように、頭を沖内の胸の中に沈めるようにした。
「もう、今。この瞬間から。私と沖内くんの関係は、熱海合宿の前に戻る。それで、良いよね」
「……うん」
 沖内の体温が、伝わってくる。とても温かくて、心臓のリズムがどこか心地良い。
 鏡花は、その温もりから離れて、顔を上げる。沖内と見つめ合う形になった。ちょっと前までなら、キスをしていた距離だ。けれど、もう、何もすることはない。こっちから唇をつき出すこともないし、向こうから迫ってくることもない。
もう、ないんだ。
ずき、とまた理由もわからぬ小さな痛みが走った。
「またね、沖内くん」
「うん。またね、名越さん」
 鏡花と沖内は、お別れの挨拶を交わす。
 初夏にしては爽やかな風が、ふたりの間を通り抜けていった。





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