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生活の跡からつながるそれぞれの人生

※この文章は、株式会社 NJS日本住宅新聞社で発刊されている業界紙「日本住宅新聞」にて連載されていた書評『ゆりいかの文学住散歩』(2016年12月~2018年3月)の記事を元にしています。できる限り掲載当時の文章の雰囲気を崩さないように心がけながら、一部に加筆修正しています。あらかじめご了承ください。

第一回「生活の跡からつながるそれぞれの人生」長嶋有『三の次は五号室』(中央公論社)

賃貸契約の住宅に住む際、先の住人がどのような人であったかを知る機会は、あまりないだろう。
引越しする際に、部屋はすっきりと片付けられており、家具などがそのまま置かれていることも滅多にない。残っていたとしても、住むにあたって歓迎されることは少なく、引越し品整理の中で処分され、忘れ去られるばかりである。

当然のことだ。誰が使ったかも分からない家具をそのまま自分の生活に取り入れるのには、多かれ少なかれ抵抗がある。「少しでも生活の跡を残しておきたくない」「住む度にリセットして新しい環境を提供したい」といった住居管理者も多いはずだ。

それでも、ごくまれに処分の面倒なエアコンや給湯器、洗濯機といった家具を受け継ぐことがある。また、よくよく部屋を見渡すと、先の住人が開きやすいように付け替えたとおぼしきトイレのドアノブや、台所で使いやすいように設置されたふきんがけ、洗面台の上に取り付けられたままの鏡など、生活の中で積み上げられてきた工夫の跡が残っていることもある。

そうしたものを見つけると、どこかホッとする。ここに住んでいたのは自分ばかりではないのだと。長嶋有『三の隣は五号室』(中央公論社)は、そのような生活の跡を辿る小説である。坂の多い街中にたたずむ藤岡荘という木造賃貸物件の五号室が舞台で、そこに移り住んでは去っていく十三世帯の人々の、半世紀の間の生活が描かれている。

「変な間取り」という言葉から、本文は始まる。たしかに、単行本の目次に付記されている部屋の間取り図を観れば、多くの人がそう感じるだろう。玄関から六畳間に移動するのに、四通りの道があり、三方の障子のどれかを必ず開かなければならない。住人たちのほとんどが、このような間取りを一様に「変な間取り」だと感じるのである。

それぞれの住人は、「変な間取り」の部屋を自分の生活に合わせようとする。ある人は障子を全て取っ払う。ある人は二つの部屋の障子を外し、一つの部屋にする。台所にテレビを置く人や巨大なベッドを四畳半の部屋に無理矢理入れる人など、それぞれが抱く気持ちや生活の様式に合わせて、部屋をデザインしていくのである。

五号室の住人それぞれに接点はない。お互いに出会うこともなく、顔と名前を知ることもない。学生、親子、単身赴任中の中年、怪しい職業の青年、傷心のOL、異国から来た者といった、まるで共通点のない人間がそれぞれに住むことになる。物語の時系列もバラバラで、それぞれのエピソードが散り散りに集められている。しかし、その接点のないはずの住人たちの暮らしが、部屋に残された生活の跡をよりどころに、物語としてつながっていくのである。

台所に貼り付けられた「水不足!」というステッカー、シンクの下に片付けられた手作りの雑巾、映画の撮影のために障子に開けられた穴、修繕されたレバー付きの蛇口、大きさの噛み合っていないお風呂の栓…。それぞれがどのような経緯でそこに取り付けられたのかを、住人たちは知らない。しかし、生活の跡は偶然、受け継がれていく。気づかれず、忘れ去られた生活の工夫も、時が経ち、誰かに発見される。住人たちは、かつてここで自分と同じように暮らしていた誰かがいることを感じ取りながら、自らの生活を営んでいくのである。

「誰もかれも、すべての人が、簡単に生きたはずないのにな。」

とある住民が、これまで部屋で過ごしてきた人々に思いを馳せて、こんなことを語る場面がある。この小説に描かれているのは、人生のほんの一場面の、ささやかな暮らしの中に生まれる心の揺れ動きである。しかし、その気持ちは、かつて自分以外の誰かも感じたかもしれないものであると、小説は語りかけてくる。連綿と続くバトンリレーのように、私たちは誰かの生活の跡を継いで生きているのである。


〈note版の付記〉

今読むと文章がぎこちないし、堅苦しい言い回しが目立つので、だいぶ恥ずかしい。多分、連載の最初で力が入りすぎていたんだろうなーって思う。ただ、連載の方向性が第一回からバシッと定まっていた点は良かった。それも、取り上げた本が非常に素晴らしかったからこそなんだけどね。

今なら、このテーマを「リノベーション」や「古民家の再利用」といったトピックスとも結びつけられたかもしれない(前居住者の残したものを、あえて取り入れていくという方向性のリノベーションも一部で流行っているので)

ちなみに、これ以降の連載でも、賃貸物件と人のつながりは何度もテーマとして登場しているので、お楽しみに。



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