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FLASHBACK

自分と世界を同一視したい→悟りを開くために
悟りを開くことが出来れば運命を受け入れる覚悟を持つことが出来る
覚悟がもてたら他人要因で感情が動くことが無くなる、自分のことに集中できる

しかし自分について考え続けて、何がしたいのだろう?ただの逃避なのか、それとも希望を持とうと前に進んでいるのか
これって友達も捨てるということ?それは嫌だ
結局矛盾の無い生き方なんて無理だ

アートマンとブラフマンを統合し梵我一如が成し遂げられたとしても、輪廻転生はないと思っている。なぜなら人間は替えがきくから。しかしこれは「生」を1面でしか捉えられていないのかもしれない。

この世にある全ての物は自分と世界を繋ぐ媒介に過ぎないため、不必要に考える必要は無いのかもしれない。選択のテーブルはその時点のずっと前から決まっているもので、その一つ一つに神経をすり減らしていたら魂がもたない。

これでまた1歩、オキシジェンに近づくことが出来たのだろうか?それともカレイドスコープにすらなれないままなのだろうか?

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