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息子が生まれてから今までのこと振り返り

昨日、息子のことを少し話す機会があって、
思い出したことがあるから、書いておこうと思う。

こども医療センターにいた時、
息子が生まれたときにあまり障害だと感じなかったのは、周りの受け入れる雰囲気やバックアップがめちゃくちゃ整っていて、母親や家族がいまやるべきこと(手術や治療に向かう上での気持ちを整えたり、搾乳に集中したり、面会しにいったり)に集中できる環境を整えてくれていたからかもしれないな、と今になって思う。

療育センターにいた時は、年少時は週に3回母子通園。通園って勘違いされがちだけど、参観のように見てるだけじゃなくて、先生がいて、親の子育てを練習させてくれている感じ。行くまでは本当に大変で(息子と一緒に家開けるから家の中のことが溜まっていく)、でもセンターにいる間は皆がいるから一緒に子育てしてるのがほっとして、先生がバスで見送ってくれるとき、また家帰るのが不安で涙堪えてたこともあった。

年中時は、幼稚園週2、療育センター週3でW通園。幼稚園始まってからは苦しいこと多かったかも。センターの親子日は週に一回になった。
育児のあれこれ小さなことを話す場所、機会が少なくなり、幼稚園のお迎えに行った時に園のママさんと話すくらい。うちの悩みと、園のママさんの悩みの種類が違う。少しずつ話せるようにはなったけど。

年長時、幼稚園週3、療育センター週2。
コロナもあって、親子日も2週間に1度、
頼みのセンターの給食が8月まで休止、
就学の前の年だったけど、直接話せる場が少なかったのはきつかった。
児発は何とかやっててくれたから、そこで先生に子育て相談してた。

そして今年から小学校。
学校に行ってしまえば何とかなるけど、
とにかく行くまでが。。

こうやって振り返ってみて思うのは、
我が家の場合、というか私の場合、
子育てがよく分からないので、あと外での困り感よりも家庭や普段の生活で困ってることが意外と多いんだなと、サポートや繋がりがないときついんだなということ。

やっとまとまった。

障害を受け入れるとか、気持ちの面で、初めの頃より折り合いがつけられるようになってきたとしても、家族の生活は、退院したあとも卒園した後も続く。

母親が何でもバリバリこなせる前提で、話をされることが多いようにも思う。

子どもも親も育つには、
色んな世代がいて、専門家やサービスがあるだけでもダメで、あっちこっちで少しの繋がりや気遣いや自分の持ち物を還元したり、

そういうことが必要だなと、しみじみと思います。

あ、息子はかわいいです。
そう思えない時もあるし、毎日そんな訳にはいかないけど。

子育て楽しむとか、かわいいと思えることって
分かろうとしたり、安心感を持てたり
そんなことなんじゃないかなと思う。

主体性を持てるような子育てのベースをつくること。一言で言うと簡単だけど。

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