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同じ世界で生きる仲間としての「わたし」

地域イノベーション講座②の宿題としてまとめ始めたら、長くなったので、noteにしてみました。

「地域イノベーション講座」とは
慶應SDMアルムナイ・現役生と、市役所をハックする!のコラボ企画。
ワークショップやオンラインフィールドワークを通じて地域の課題を出発点として、未来を創造していく全6回のオンライン講座です。2021年9月から第2期がスタートしています。
今回の宿題は、「全体像を掴む」という観点で以下の2つの記事を読み、「全体像を掴む」ことをテーマとして学びについてコメントをまとめ、SNSで発信してみる です。
https://esse-sense.com/articles/23 (森林生態学)
https://esse-sense.com/articles/25 (先住民考古学)

1. 自分の心のおきどころ、スタンスとして

大前提として、微力は無力じゃありません。
そして、自分の影響力を、自分の世界をどう捉えるのかで、社会の見え方・自分の行動は変わるよなあと思っています。

例えば、第49回衆議院議員選挙が週末に迫っているわけですが、
①自分の影響力の及ばない遠い世界で起きていることと捉えて、どうせ意味ないから投票にいかない のか。
②実感はないかもだけど私が動くか動かないかで変わる世界があると捉えて、投票にいく のか。
(もちろん、ここには、投票に行く・行かないではなく、投票には行くけど、適当に書く・白票を投じる・事前にちゃんと調べて意思を託すというようなグラデーションもきっとありますし、他にもいろんなパターンがあるでしょう。なので、2分類と捉えているというわけではなく、あくまで例です。)
 
前者のスタンスをとっている若者って結構多いような気もしています。
自分の影響力は限定的であり、自分の世界は自分が関われる範囲のものと捉えているのかもしれません。
それが決して悪いわけではなく、自分の力を現実的に評価しているともいえるだろうし、目に見える・自分で責任の取れる範囲でコミットするからこそ確実に変えられるモノもあります。半径50センチ革命という言葉もあるし。

でも、私は後者寄りでいたい。
ちょっと世界に期待をしすぎているのかもしれないし、無責任なのかもしれないけれど、きっと誰にでも、現実を、未来を変えていく力があるし、微力は無力ではないと信じています。だから諦めが悪い。

と、ここまで書いて、同じこと前にnoteに書いたぞと思い出しました。

そして、「微力は、無力じゃない」というと、大好きなようびのこの記事も貼っておきます。

2. その上での物事を捉える視点として

さて本題。「全体像を掴む」ことをテーマとして学びを書いていきます。
キーワードは『全体性』『時間軸』

今回のesse-senseの記事の中に、こんな記述が出てきました。

長く関わり続ける視点があれば、 人は森とよい関係がつくれる。から
●100年以上見ていかないとわからないことがある
●使い続ける視点がみんなに入ってくると、ちょっと違ってくるかもしれません
●長く続くという意識さえあれば丁寧な関係性がつくれるなと。
●自分がずっと関わることも大事ですが、他の人がずっと関わることも認識しておく必要がありますね
考古学で世界を切り開くような理論を見つけたい。から
●人間は普段意識しているものはある程度目に入るし、理解するんだけど、関心がないと全く触れないんですよね。どんなに知的なレベルが高い人間であったとしても、問題意識が落ちてしまっていると、それは単なる記号にしか過ぎなくなります
●裏側の背景をどれだけ捉えられているかが、何かを見た時の理解を変える
●枠を自覚しながらも壊して越境してしまうということで、より自分が解放されるというか、自分の本当に知りたいことに近づくことができる世界をつくっていくやり方もあるんだと思います
●地域コミュニティというフィールドに出て、そこで日常的な延長線上で研究を行っていくと、おそらくそこには学問として切り離されない本来の知の体系があるはずなんですよ

ティール組織で言われる「全体性(Wholeness)」では、「自分の仮面を外し、ありのままで生きる」ということを言われたりしますが、わたしが大事だと思うのは、その先にある「私たちは互いに深く結びついた、自然とあらゆる生命体を含む大きな「全体」の一部だと認識するようになる」こと。

この考えは、先ほど書き出した記述にも繋がります。

「わたし」だけを起点にしてしまうと、どうしても自分自身のキャパシティや寿命もあるから、大事にできるものが限られるように思えたり、時間軸も短く捉えたりして、分断が起きることもあるだろうと思います。

でも、「わたし」も全体の一部だと捉えると、どう頑張っても分断することはできないわけです。だってイマココの地球は何億年の歴史の中で作られてきたものであり、これをベースに未来につながっていくのだから。

とすると、「全体像を掴む」とは、物事だけに着目するのではなくその周囲にも目を向けて捉えていくという、点だけでなく面で捉えることに加えて、時間軸も重ねていくことなのではないかと思うわけです。

現時点わかることを集めだけで、全てを明らかにしきったつもりになること、ではなく、一旦のセーブポイントとして、現時点の物事を捉えること、そしてその後も、新しい知識や事象に触れる中で、しなやかに全体像を捉え直していくということなのかなと。

というか、ずっとこれを書きながら、やっぱり進化思考が頭の中にチラチラしていたわけです。
時間軸で物事を捉えるとか、点だけでなく面で捉えるとかはまさに適応
全体の一部と捉えて、どんなものでも繋がるからヒントがあるはずと考えるのは変異
相変わらず、進化思考はわたしを勇気づけ、背中を押してくれます。

と、ここまで書いて、「Wholeness」というキーワードで、大事なことはこれらの記事にあるぞと思いだしたので貼っておきます。

やー、まとまらない。これだけを考え続けてみたい。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!