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あたたかなつながりを紡ぐ

最近、久しぶりに涙が止まらない夜がありました。
苦しくて、悲しくて、今までの信頼やつながりなんて、どこかにいってしまったかと思うほど、つらくて、心が悲鳴をあげていました。
自分も同様の刃を持ち出し、刺しにいきそうになります(もちろん、物理的な意味じゃなくてね)。
でも、そんなことをしても、自分の心があたたかになることはないと本当はわかっているので、ひと呼吸おいて、自分とまっすぐに向き合うことを心がけています。(難しいときのが多いけど)

今、心にある私の棘を癒すためにも、そういう時の私の拠り所【NVC】についてちょっと書いてみようと思います。
(私が自分で学んだことのシェアなので、しっかりと学びたい・知りたい方には本を読むこと学びに参加することをオススメします)

NVCってなに?

NVCはNonviolent Communicationの略です。つまりは、直訳すると非暴力コミュニケーション。共感コミュニケーションとも言われます。

今まで、人とのコミュニケーションに悩むことの多い人生でした(唐突)。
アドラーも、「すべての悩みは対人関係の悩みである」と言うように、
「なんでわかってくれないの!」
「何がしたいかはっきり言ってよ!察してってわかるわけないじゃん」
「よかれと思ってしているのに、まっすぐ伝わらない」
なんて思いをするときがよくありました。(今でもあります。)

そんな葛藤の中で、相手や物事に向き合おうとすればするほど、こじれて、傷つき、苦しくなっていく…そのときに出会ったのがNVCでした。

NVC Japanのホームページには次のようにまとめられています。

家族や友人から、職場、組織、国際関係まであらゆる人間関係を、支配、対立、緊張、依存の関係から、自由で思いやりにあふれた、お互いを豊かにし合う関係へと変えることを可能にする考え方、話し方という「方法」であると同時に、私たちに「なんのために、どう生きるか」を問う、根源的な「意識」でもあります。(NVC Japan HPより)

私が欲していたのはこういうことだ!が、NVCにはありました。
小手先の表現方法やファシリテーションではなく、視点・考え方をベースに、私に新しい、色あざやかな世界を見るための「眼鏡」をくれました。

NVCから学んだこと

誰かを傷つけたくて、コミュニケーションをとる人なんて、そんなにいないはずなんです。(稀に理由もなくトゲトゲしてる人もいますけどね)
でも、結果として、そのコミュニケーションで相手が傷ついていることはあるし、その逆で自分が傷つくこともある。
なぜ、そんなすれ違いが起こるのか。
その理由が「ニーズ≒大事にしたいこと」なんだなあとNVCの学びから理解しています。

セカオワがdragon nightで「人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかもしれない」って言ってますけど、まさにそれ。
ニーズ≒大事にしたいこと≒正義。

NVCには「知恵」というtipsがあります。これが本当に秀逸。そして、その知恵の根幹になっているものがニーズなのです。
その中からいくつか、私が頷きすぎて、首がもげそうになっているものを紹介させてください。

・あらゆる行動は、なんらかのニーズを満たすためにおこなわれる。
・瞬間瞬間、すべての人はニーズを満たそうと最善を尽くし続けている。
・人はみな「ありがとう」と「お願い」しか言っていない。
・わたしたち一人ひとりの中に、人生を素晴らしくする十分な力がある。
・相手の言動は自分の感情のきっかけとなっても、原因にはならない

特に、「瞬間瞬間、すべての人はニーズを満たそうと最善を尽くし続けている」「相手の言動は自分の感情のきっかけとなっても、原因にはならない」を知ったとき、そうなのか!そうだ!ってなりました。
一見トゲトゲしているやりとりも、本当は大切にしたいと願っている美しいものに基づいたやりとり。だから、どんな風に見えたとしても、本来は全部美しいはず。

だから、自分の大事にしたいものをちゃんと見つめて、感情を把握して。
相手の大事にしたいものに心を寄せることができて、お互いに共感できれば、自由であたたかなコミュニケーションになるはず。
そう気づけたことが、NVCからの大きな学びです。

あたたかなつながりを紡ぐために

じゃあ、大切にしたいものを共感し合うってどうすればいいの?を教えてくれるのが、NVCの「方法」であり「考え方」です。

その具体的な方法や考え方は、また気が向いたら書きますが、これが本を読んだからって、研修に参加したからって、一朝一夕では全然体得できません。
まだまだ、実際のコミュニケーションでは、大切にしたいものを共感しきれず、傷つき、傷つけてしまうこともあります。

NVCのワークはトレーニングだと言われます。
今まで無意識に行ってきたコミュニケーションをすぐに変えるのは難しいし、そもそも厄介なのは、自分の「ニーズ」にちゃんと共感するのも、それを表現するのも難しいからです。(余裕がないとでどうしても表面的な感情に流されがち)
なので、「眼鏡」をかけるように、意識をして世界をチューニングする。
それを重ねていくことで、「眼鏡をかけている状態」が当たり前になって、意識しなくても勝手にチューニングされるようにしていく。

今回の一件で、改めて意識をして「眼鏡」をかけ続けたいなと思いましたし、大切な人たちと久しぶりにNVCな時間を共有したいなと思いました。

(私のシェア会では、そんな体感の機会を作っていますので、ご興味ある皆さんはぜひ一緒に場を作りましょう。)

よし、今日もがんばるぞ。

あ、悲しかった出来事は、夫婦喧嘩ではありません。別居婚ですが、夫婦仲は至って良好。
仲良しです。あしからず。

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