Xデザイン学校2019 ベーシックコース #10 オズの魔法使いと成果発表

愛知から大阪へ通い続けてはや1年。とてつもなく濃い時間だった。
特に最後の1ヶ月は途中福岡WSが挟まっていたこともあり、怒涛の勢いで過ぎていった。

いざ最終発表を終え冷静になって自分たちの提案を見つめ直すと、やっぱりいつも先生に言われているような基本的なことがポロポロ抜け落ちている。
そのサービスをどう実現するのか?の詰めの甘さだったり、すばやく試してもっと早い段階で方向性を決めることができたのでは?と反省点をあげるとキリがない。
しかし限られた時間の中で議論を重ね、レビューや興味深い質問をいただける程には成果物を作り上げ、東京・大阪・名古屋・福岡に住む(今考えるとすごい距離感!)メンバー全員でラストスパートまで走り切ることができたのは良かったと思う。

ビアバッシュ後のチーム懇親会で最後のお好み焼きを食べつつ「あのタイミングではああすればよかったね」と振り返りミーティングをしながら、座学・WS・時には学外の時間まで含めた「Xデザイン学校」という学びの環境がいかに恵まれているかを身をもって感じることができた。

書きたいことは山ほどあるけれども(結局もやもやの全てをまとめるとこはできなかった)、藁にもすがる気持ちで入学した1年前のあの頃から何を学ぶことができたのかを振り返ってみたい。

結局、人間というものは複雑過ぎる

講義の回数を重ねて学びが深まるごとに、UXデザインと呼ばれる領域の捉え所のない難しさがだんだんとわかってきた。生きている人間が対象で、その時その場で何を考え行動するのか。そんな複雑で途方もないことを私は学ぼうとしていたんだなぁ… (ああ、なんて大変なものに手を出してしまったのだろう)そういうことに気づけただけでも、ここに来た価値が十分にあったと思う。

莫大な知識量(教養)もそうだけれど、まず必要なスキルとして目に見えないけれど確かにそこに存在するものを正確に捉え、しかもそれを使える形に(概念化)しなければならない。
また人間を対象とするからには、他者を思いやり寄り添う姿勢でありつづけなければならない。

そういったベーシックなお作法が身についていないまま、上にどんな知識をふりかけたところで定着はしないのだ。1年かけて、やっと果てしない長距離走のスタートラインに立てた…?のかもしれない。

前提・文脈・視座

ここに通うようになって講義も後半戦に差し掛かってきた頃から、アホの一つ覚えのように口にすることが増えた言葉である。
大体うまくいかないときは、「前提」が合っていなかったり「文脈」を無視していたり「視座」の違いに気づいていなかったりする。

講義が終わって大阪から名古屋へ帰る新幹線の中、なんでうまくいかなかったのか?ということをもやもやと振り返り、何かの拍子(風呂で考えごとをしていたり、毎回チームで行っている振り返りミーティングで誰かが別の視点で意見をくれたりした時)に「ああー!そういうことだったのか!」と雷に打たれる瞬間が多々あった。
とどめの台湾WSで痛い目に合って、これらの大切さが身に染みた。
ものの見方・考え方が確実に変わったといえる。

プロジェクトのスタートラインでは状況を正しく把握することがものすごく大切(トヨタ生産主義でもそうだったな)で、そこがうまくいかないと大体あとでもうまくいかない。
また、様々な視点を持った人たちが集まって各々の知識を持ち寄ることで、より良い策を導き出すためのコラボレーションでも、そこが合っていないと良い議論はできない。何事にも通用する非常に重要なポイントである。

逆に今までの人生でなんでここまで大事な言葉をちゃんと意識してこなかったんだろうと不思議に思ったのだけれど、良くも悪くもシステマチックに縦割りされた環境にいるせいで、そんなことを意識しなくても生きてこれたからなのではと思う。
「何でも便利な環境にいると生きる力が弱まってしまう。便利で効率的であることだけが嬉しいわけではない。」というのが良くわかる例だ。

ここで第1回目のnote冒頭を読み返してみる。

学びの目的は、5年の年月を経てメーカーに染まってしまったガチガチのモノ脳の頭を一度リセットし、この無常の世でもデザイナーとしての存在意義を果たせるような地力をつけることである。
現状私を取り巻く環境は過渡期にあり、どんどん複雑化する業務に日々自分の非力さを痛感している。

なんと悲痛な書き込みだろう…
当時の差し迫った状況が伝わってくる。(今もだけど)
ここで言っている「モノ脳」とは縦割りの何不自由ない環境で醸造され、あれこれ考えなくなってしまった軟弱な頭のことを指していて、それを打破するための「地力」とは「自分で考え決断する力」のことだったんじゃないだろうか。
やっと自分なりの答えを見つけることができた。

自分には何ができるのか

色々得たものは多いけれど、私の中で最もわかりやすく変化したのは物事に向き合うための「姿勢」だと思う。
「怒られたら嫌だ、何か言われたらどうしよう」という後ろ向きな考え方から、「どうしたらもっと良くできるのか」「今自分には何ができるのか」という前向きなマインドに変わった。

そこから本当にわずかながら、普段の業務でも自ら進んで提案する機会が増えた。以前のように漠然と「どうですか?」とか、「なんか嫌だから変えたい」といったアホの極みのようなコメントを一切慎んで、前提をすり合わせた上で自分の考える最善の方法を提示するようなやり方を試みるようにした。
同じプロジェクトに関わるメンバーの方々が熱心に私の意見を聞いてくれるようになり、さらにアイデアをより良くするためのアドバイスも得やすくなった。結果として目に見えて成果物が改善され、あ、ちゃんと良くなってる!という実感が得られて仕事がどんどん楽しくなってきた。

そして最近では「製造業にいるデザイナーとしてできることってなんだろう?」「ここまでエンジニアの力が強い組織で、デザイナーがいる意味ってなんだろう?」という問いを常に持つようになった。
直近で私に求められていることは「目に見えない課題を正しくとらえ、形にし(UIデザインの知識を持って最適なやり方でプロダクトに反映させ)解決できるようにすること」だと思う。

そのために自分の専門性を高めて、別部署やゆくゆくは他企業の方々とコラボレーションする力も身につけなければならない。(モノは1人で作れない時代になったという言葉の重みを今まさに肌で感じています…)

デザイントレンドとして取り上げられているようなスケールのでかい話にはまだまだ遠く及ばないけれども、まずは「あるべき姿に整える」という言葉を実現できるように、地味かもしれないけれど確かに必要とされる仕事をしたい。

最後に

ハードスケジュールの中時間を割いてミーティングや資料作成に取り組んでくれたAチームの皆様、驚異の懇親会参加率で共に学ばせていただいた大阪分校の皆様、お題提供とどんな些細な質問にも快く答えてくださった企業の皆様、生徒一人一人を丁寧に見てくださりいつも絶妙な転ばし(鞭)とアドバイス(飴)をくださった先生、改めて感謝申し上げます。

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