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私が英語を教えている理由

ブラッドフォードゆり絵です。
読んでくださっている方、ありがとうございます。

(誰に向けてかわからないけど)
ごめんなさい!!!!!6月になってしまいました!!!!!
5月の更新を・・・ミスしてしまいました・・・・・・・・・・。
誰に向けて、じゃないな。
自分との約束だった。
ライバルはいつも自分自身ですよね。(いきなりなんの話なの)
でも私は自分を責めたりしません♪
これも自分との約束事のひとつです。

そんなこんなで
前回の更新から2ヶ月が経ってしまいました。
6月!
みなさま(どなたさま?)いかがお過ごしでしょうか。

毎回、noteを更新するときは
先月の自分がどんなことを書いたかなあと確認をしてから執筆(?)するのですが
4月5月といろんな感情の動きがあったことを今、思い出しました。

特に子育てをしていると
本当に「立ち止まる」ことなんてないから
気がついたら時間だけが過ぎていた、ということばかりだけど

立ち止まって、噛み締めて、慈しむ。
そんな時間も大切にしたいな。
と、過去の自分から教えられます。

今していることの結果や芽が出ず不安になったり
意味のないことに思えても
結果はいつも「やった先」にしかないんですよね。
だから「今」をどう生きるか が
本当に本当に大切なんですよね。

・・・って
またまた相も変わらず抽象的なことばっかり考えています。
どこかの誰かがひとりでも
「うんうん。」って思って読んでいてくれたら嬉しいな。


さて
最近は(といってもずっとだけど)
・人生のこと
・家族のこと
・夫婦関係のこと
・仕事のこと
なんかで悩んだり考えたり時には言い合ったり
そんな日々なのですが

特に、「仕事」のことが頭を占めています。
仕事、、、というか、「在り方」みたいなことなのかなぁ。


やりたいこと
と、いうか
自分が人生をかけて取り組みたいテーマ

みたいなものがようやく決まったような気がしています。



私は、
子ども英語の先生という仕事を続けてもう今年が10年目。

始めた頃は
「自分が母になっても自宅で我が子の為になる仕事がしたい」
という大きな理由と
「子どもが好き」とか「英語が好き」とか
そんな理由でこの世界に足を踏み入れました。

あれから10年
来る日も来る日もレッスンを続けて
ほとんどが地味で地道で孤独な作業、爆発的に流行ることもないけど、
でも、辞めずについてきてくれている方たちもいる。

自分も母になり
辞めようと思ったこともタイミングもいくらでもあったけど
悩みながら、なぜか辞めずにここまで来ました。

私はずっと、
自分が「英語の先生」と名乗ることにいつも違和感を感じていて。

だって、本物のネイティブスピーカーじゃないし、帰国子女でもない。
バイリンガルだって、後付けでなったものだし、
トイックも英検も受けたことない。文法だって、多分あんまりわかんないよ。

でも、英語は多分、普通以上には話せるし、夫は日本語の話せないアメリカ人。
日本語と同じくらいのレベルの英語を使って悩みを共有するような外国人の友人もいる。
小学校で英語を教えることが出来る資格も持っているし
英会話スクール、インターナショナルスクールでの勤務もしている。
何よりこの仕事を10年、誇りを持ってやってきた。


でも
でもね

すべての原点って


「私はなんのために英語を話し始めたのか」。


それに尽きるなって思うんですよね。

私の原点は、
「大好きな親友(オーストラリア人)と会話をするため」
だった。

大好きな人がいて
→たまたまその人が話す言語が違って
→その人ともっと会話をしたいと思った。

それ「だけ」の理由だったんです。
それ「だけ」で私は20年以上、英語を勉強して(今も)(る)きた。


でもね
じゃあね

「私はなんのために英語を教えているのか」。


その答えに、

私は

いつも

迷いと不安があったんです。


というか

先にも書いたように

私が教え始めたのも本当にたまたまが重なっただけで
(それだって超ありがたいことなんだけど)

たまたま大量の教材が手に入った。
たまたま寺子屋が出来るくらいの実家のスペースを使わせて貰うことが出来た。
たまたま英語を教えてって言って来てくれた子どもがいた。

その「たまたま」だけで、ゆるゆる10年続けて来たんです。
その間に結婚、出産と挟んでね。

まあそれだってすごいことよ?
もやもやしながら10年同じことを続けるってのもあんた、
充分根性あると思うし、
たとえ細々であろうと来てくれるお客様がゼロならば続かないし
気持ちだけあったって環境が整っていないと続けることすら不可能なのよ。(いきなりオネエ系w)


だけどやっぱり
私のすべての「原点」は「パッション(情熱)」だったのに
その「パッション」が置いてけぼりになっていたんだよね。


なんで
英語教えてるんだろう?

なんでだろう。

なんで?なんで??なんで?????


そんなことを自分に問うて問うて問うて問うて

問い続けた結果、

自分が創りたいと思う世界が
今は自分の命よりも大切だと思う息子たちがいて欲しいと願う世界が



【カラフルな世界】=【多様な世界】

だったんですよ。


このブログでも
なんとな〜くつぶやき続けてきた、
・コミュニケーション とか
・他者を受け容れる とか
・違いを認め合う とか
そんなような

まあ
巷では特に最近溢れかえっている言葉たちかもしれませんが

そういうのを

私は

ずっっっっっっっっと

心に持っていたんですよね。



多様な世界に行くための、英語の勉強。

他者を知るための、英語の勉強。

自分と違う存在を受け容れるための、英語の勉強。


英語を勉強してから、何かが出来るようになる。
とか
英語が話せるから、何かの可能性が広がる。

じゃなくて、


真逆で、


より良い世界を創るための英語の勉強

なんです。



これがずっと言葉に出来なくて
ずっと苦しかったけど

今、分かってから、

自分が国際結婚をしたことも。
日本においてミックスキッズを育てていることも。
また、それが世界的に差別の対象となる「黒人」だということも。

そういうことすべてが
まるっと意味のあることに思えて来るというか。

答え合わせが出来たような

自分の人生の使命を教えてもらったような

そんな感覚でいるんです。



こうやって自分で自分のことを理解出来たのも
半年以上つづけている自己理解や自己探求を続けたから。
自分に質問を投げかけて投げかけて自分を知ろうと努力しました。
そしてこの旅はまだまだ続きます。


それでもひとまず、

このことが分かったので、
次は何をすれば良いのか、
じっくりゆっくり考えているところです。




なんか・・・
書きながらすごく熱くなってしまったので

今日はこのへんで。


おんなじような想いや志しを持った方のお話しを聞いたり
繋がることが出来たら嬉しく思います。



いつぞやの保育園帰りの公園。
先生方に「派手だね〜!」と笑われた日のコーディネートだけど
カラフルな世界を目指しているから、カラフルな自分たちでいたいです♪






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