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解像度高く生きる。ということ。
「昨日の夜ご飯を覚えていますか?」
答えられない人は記憶力がやばいですよ。としばしば言われる質問である。
正直、私は覚えていないことが多い。あまり印象的な生活はしてないし、何を食べたかはあまり興味がなかったりする。この辺りは性格の影響が大きいだろう。
「幼い頃の記憶はありますか」
小学校の頃の記憶がない中学の記憶がない人は少なくない。本によると幼い頃の自己肯定感とある程度関わりがあるらしい。確か
人は悩みたいが故に悩むのか
生活をしていて悩みというのは尽きないものである。例えば晩御飯に何を作るかとか、本当に自分は生きてていいのかとか、何分発の電車に乗って出勤をするかなどなど……
そんなたわいもない悩みから深刻そうに見える悩みまで悩みというものは様々に渡る。
もしかしたら悩むことがないという悩みを抱えている人もいるかもしれない。贅沢に見えるかもしれないがそれも立派な悩みではある。
なぜって、人は悩んで考える生き物だ
作品を作ろう、学生よ。
会社に行くことはすごくやりがいのあることだし、やりたいことでお金をもらうのはそれはすごくいいことだ。
でも、会社でお金のためだけに働くくらいなら自分の大事な魂から生まれた子供たる「作品」を自分の名前で見せてからでも遅くないと思う。
ある人が、「会社に入ったら自分の名前で何かを作ることは難しい」と行っていた。
これは時間的な意味でも、個人情報的なあれこれ的な意味でも言えると思う。
やっぱり仕事は忙
生きやすい未来を変える方法。
自分自身は過去の行動とその記憶、自分が作った自分の人生という"物語"に常に縛られて生きている。
案外束縛がない世界は辛いもので、過去に縛られて生きることでひとはある程度の生きやすさを得ることができるのだと思う。
それは、良くも悪くも自分の行動と解釈だけが自分自身を定義するとも言える。
もし、過去によって自身が定義されてるとすれば、未来にとって今は自身の定義の一部といえる。だから、未来を変えるた
紡いだ言葉は何処へいく。
人は一日一回は口で紡いでいる。自分の世界を、世界への解釈を、世界への呪いと愛を。
愛があろうとなかろうと紡いだ言葉は赴くままに一人で走り始める。
てくてくと
そくささと
ときに、そぉっと。
走った言葉はときにぶつかる。人に、ものに、概念に。
ぶつかって何かをする。
それは言霊だったり、人の心だったり。
概念にぶつかって、そしてその概念は不思議なことを引き起こす。
言葉しか伝わらなくてもあくび
そこに仕事がある。だからここにいる。
『なんとなく、自分の居場所がない気がする。』
『いいように使われてるだけじゃん』
『なんで君、そこに所属し続けられるの?』
冷たいような、日々のモヤモヤを具現化したような言葉は、時に自分のやっていることの自信を自ら取り上げていく。組織じゃなくて他のことに目を向けてと言わんばかりに。
そこに追い打ちをかけるようなトラブルや暴言。
努力の先にキラキラした楽しみがあるわけではない。そもそも、人生にキラ
優しさと厳しさの入り混じったこの世界
暖かい言葉と冷たい言葉。SNSや、文章ベースのコミュニケーションは、言葉の刃が顕著になったものなんだなと思う。
『情報の伝達を綺麗にするためにノイズを限りなく除く』
『相手が傷つかないように、慎重に言葉を選ぶ』
『自分の思うままに素直に言葉を喋る』
どちらも大事で、その人の世界観がキラキラと滲み出ていてその紡いだ言葉は、紅葉のもみじのように綺麗だと思う。
ひらがなと漢字とそしてカタカナ。砕けた