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推しは推せる時に推せって話

タイトルは結構使い古されたものになりました。
バイウィークで試合がなかったので、ありふれた話をします。

推しって言葉は端的で便利で、それゆえに少しいい加減で抵抗がなくはないですが、あんまりにもお名前を連呼するのも気が引けて時々使うようにしています。
推しは変な意味があまり含まれていなくて良い。私は付き合う男は間に合っていますので、スポーツ選手として応援したい気持ちだけがやたら強いからです。

私の推しはバスケットボール選手です。スポーツを観るのが当たり前の家に育って、小学校から大学まで色々な試合観戦に行くのが好きで、今までにも好きな選手はたくさんいましたが、バスケを観るようになってからは特に、行く理由はその選手のバスケが観たいからになりました。

不思議なご縁が重なって、その選手は私が自分のファンだ、ということを知っています。あり得ないような申し訳ないようなことだと思いますし、応援してもいいと許されていることが、ありがたいことだと思っています。

空虚な時間に、推しを推すってなんだろう、と考えたときに、スポーツ観戦においては、ただ無事を祈ることと、観に行くこと、配信でチェックすること、グッズを買ったりすること、素晴らしかったところをこういう場所で垂れ流すことくらいしかできることはありません。

とどのつまり、ほぼ無力です。というか、ほぼ、が慰め程度の自意識過剰で、無力です。何にもなりません。
ただ、あまり自虐をしても生きることはつまらなくなります。推しを推すことで、私の人生は間違いなく幸せが増えています。だから、推すこと自体が無価値なのではない。という論理。

所詮、推すこと…スポーツなので応援することですが、それは自己満足の範囲内です。ただのエゴイスティックな感情です。ここで書くことも、他の媒体で書くことも、自分勝手以外の何者でもないです。

昔「こんな人に応援されて、選手も災難だよね」と書かれたことがありました。今も読んでるのかなその人。災難かぁ…。と、こんな私でも、受容に相応の時間がかかりました。

応援ってなんだろうなぁ、と思います。黙って祈ることも、会場には行けない事情があって配信で見ているのも、気持ちがあったらそれは応援していることだと思っています。
それと同様に、いつものような観戦の感想を書いたり、会場に行ったりするのもまた、応援であると思います。

私の場合存在自体が災難だというんでしょうけど、まあ一応そうなりたくないとして、じゃあ。

ファンは、親族でも友人でも家族でもパートナーでもありません。そういった、御本人の本当に大切な人たちとは全く別のものです。

冒頭に私はスポーツ観戦が好きだと書きました。なので、ファンでいることはとても楽しい嬉しいことです。

私が選手のために役に立つことはできないけれど、やってはダメなことをやらないでいることくらいはできます。例えば観戦ルールを破らないとか。
あとは、顔を記憶してもらっている(注:私の好きな選手はたくさんのファンの顔を覚えています)ので、選手の背番号の入ったTシャツを着て、決まりに抵触するような行動を取らないとか。

まあ色々考えたりもして、続けていたりもしています。だからどうとでもないのですけれどね。

だって、できれば、できればですよ?バスケ選手として永遠に私は私が死ぬまで応援していたいんです。でも、残念ながら私とその選手の歳の差はそこまで離れていないのです。

だから、寿命のあるうちに、いつかファンでいさせてもらえなくなる日は、確実にやってきます。それがいつになるのかは誰にもまだ分かりません。彼は若いですからね。

ただ、いつかずっと先の未来、推しがバスケ選手ではなくなっても推しの人生も私の人生も続くわけです。

なので、私が今思うことは、悔いなく家庭とのバランスをとりつつ観に行くことと、推しの人生をその後も応援だけはできるように、一線引いた中でも厳しくあたたかく推し続けることです。

もっと成長できることを信じて、歯痒いときも、もどかしいときもあなたならできる、と信じて、つらいときこそいっぱい応援できるように、しんどいときに駆けつけられるように、良いときにはたくさん褒めて、笑っていられるように。

努力の全てを尊敬できるように。

いつか、書けたらと思いますが、推しはとても優しいのです。だから、スポーツの内容を今は応援できていて、なおかつ、推しの人生も、応援しているのです。

しんみりしたので、私は2連戦が観たくなって静岡一泊コースを画策することにしました。
ファンは、結局観るしかできないので。2連戦は普通列車で往復するよりは、安宿に泊まった方がさすがに安いのです。

推しを推す、と自覚して、5年目になりました。まだまだ、短くて笑われるようなものなのかもしれませんが、私の人生の中では、貴重な時間を過ごしています。

失敗をすることは耐えられるが、
挑戦しないでいることは耐えられない。
I can accept failure,everyone fails at something. But I can't accept not tryng.

私の好きな選手の、好きな言葉です。マイケル・ジョーダンの名言です。
この名言は知っていましたが、プロフィールの好きな言葉の欄にこれがあったときに、胸になんとも言えない気持ちが去来しました。
どう表現していいか、分からないです。どんなに本を読んでもまだ見つからないような気持ちです。

どれだけの努力をして、今に至っているのかを、私もほんの少しだけ、多分、知ることができています。
どんな壁にぶち当たっても、諦めないで少しずつがんばってきた彼が、これからも元気で、彼の夢ができるだけ多く叶いますように、と思っています。

それをひたすら願ってどのチームに行ってもついてくるおばさんが、1人くらいいることが、この世界に許されるならば私はどこまでも彼の挑戦を観続けよう、とも思っています。

きっと、来シーズンはコールアップされます。必ず上のカテゴリに行く。そうでなくては、と思っています。

新しい挑戦が始まった時に、価格帯的に今みたいにいつでもは行けなくなるでしょう。それでも、しんどい時に飛んで行けるように、私自身が、今年もこれからも信頼されるように、頑張って仕事して、家庭も維持していかなくてはいけないな、とも思います。自分勝手な自己満足の中の、最低限の話ですが。


どうか元気で、長い長い夢が見られますように。



2021.03.

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