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Essay

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2020年7月の記事一覧

蓄積と療養

泡沫の夢

31歳から41歳の私を生きた記憶がある。古いぼんやりとした記憶は幼稚園くらいからあるけれど、ここ近年の10年は流石にまだ鮮明だ。 31。娘が腹の中にいる。私は吐いてる。 32。娘を腹の中から出した。皆生きてる。 33。息子が腕を折る。私も初の救急車に乗る。 34。娘の夜泣きが8回。私が狂う。 35。息子がミニバスに入る。 36。娘幼稚園へ。私は復職して稼ぎができる。 37。稼ぎでNBA配信を契約して観る。 38。バスケ観戦しだす。SNSが活発。 39。推しをまじめに推す。娘

友とカレーと宇宙

月に一回だけ美味しいものを食べに行くことにした。 自粛して自粛しまくり、なんだかもう外での娯楽は何もない。家の中で過ごす趣味がないわけではない。本も読むしゲームもする。お菓子も作るし凝った料理もやる。 ただ、外に出て何かをしたり人と話したりするものの代わりはなかなか見つからない。 料理は自粛がどうとかではなく、私は平日三食は必ず、家族全員の分は私が考えて用意しているので、延々と料理はしているしお弁当も毎日作る。 だからこそ外では自分で作れないものが食べたい。 という

卑怯者

鍵アカウントでつぶやくことや、顔や名前を出さないことに、疑問を抱かれたことはありますか。 人は意味がわからないものを卑怯だと扱ったりします。 こんなこと、他人は他人の事情があるだけで、その人の方針に口出しする方が煩いし偉そうなだけです。あれはいったい何様なの? 正論で押すやり方から論理的にあれすると、ソーシャルネットワークというものは、そもそも一人ひとりの使い方や、やりたい事に対してスタンスを自由に決められるものです。 顔を出した方が商売に良さそうならそうすればいいし

好き好き大好き超愛してる

愛は祈りだ。 表題は作家・舞城王太郎氏の傑作のタイトルです。むせかえるほど甘くてメロウでかなしい本。 冒頭の言葉、愛は…の意味は、私にはまだ少ししかわからない。これは恋愛小説なのだけれど、私にとっての恋愛はとっくに家族愛になってしまった。 では愛は無いのか。 そうでもないと思うんだよね。愛してる、にはもちろん、ふしだらさとか、情慾とか、嫉妬とか、そういう不埒で熱いものもあるけれど、それとは違う、それ以外の意味の方が多い気がしていて、私の中にはまだたくさんある。 向け

サッカーのはなし

今日からJ1の試合がはじまりました。 久しぶりにDAZNの支払いを済ませ、配信を見ました。 まともにサッカーを見たのはいつぶりかしら。 中学生の頃に日本リーグをテレビで見た私は、初めて遠征をして観に行ったスポーツの試合はサッカーです。Jリーグ1回目のオールスター、神戸ユニバでした。 雨上がりのピッチに霧がかかって、メインスタンドからの眺めが素晴らしかったことを覚えています。 その後女子高生になった私は、制服のままスタジアムに足をよく運びました。レプリカユニフォームを初

息子のラスト・ダンス

我が息子は中学3年生です。 本来なら引退試合のある時期ですが、全て無くなりました。 それでも、今月からやっと部活が再開しました。丸4ヶ月、休止していたのでした。 今日は息子とバスケットボールの話をします。 私は、息子を産む以前からバスケットボールが好きなのですが、それを彼に分かるようにはしていませんでしたし、彼にバスケを勧めることはしませんでした。 ただ、赤ちゃんの時に与えていたゴムボールはバスケットボールの柄をしていました。 小学校に入学すると、一枚のチラシが配られ

謝らないでほしい

「ご期待に添えないものでごめんなさい」。 そう作品に添えられていて、クリエイターの方々が、時折謝罪しているのを見かける。 だいたいそれが起こるのは、いつもの作風とは少し違った雰囲気だったり、少しダークなエピソードを盛り込んでいたりしたとき。 あとは、何か理由があって悩んでいて、執筆できない状態だったとき…。 謝らなくて、良くない? そう思いながら、いいねを押すことでしか支援の気持ちは伝えていない。 私はうまく決められたキャラクターを演じきれているクリエイターの方々、と

名前にチーム名を入れるな

という、タイトルが全てのおはなし。 ゆりあ@好きなチーム○月○日 こういうアカウント名のことね(よく入っている日付は次に観戦に行く日のようだ)。名前があったらまだマシで、チーム名だけのアカウントなんかもあったりする。 エゴサの邪魔、とにかく邪魔。 ここでいうエゴサは自分のことではなくて、忙しかった時に推しチームの話題だけ検索したいな…という時の推しをサーチすること。 何故チーム名を検索したら誰かの日常を全て読まなければいけないのか…好きの属性、プロフィール欄でよくな