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私の朝の日課【折々のことば】

朝、パンをくわえながら朝日新聞を読むのが私の毎日の日課。
まず一面の見出しを見て興味が湧けばじっくり読むし、そうでもなければ私の一番の楽しみである「折々のことば」と「天声人語」に目を向ける。
しかし残念ながら「折々のことば」は2月3日から筆者の鷲田清一氏に休養をとっていただくため一時休載になっている。

鷲田氏は臨床哲学や倫理学が専門の哲学者であり、誰もが一度は中学校や高校の国語の教科書で評論を読んだことがあるはずだ。

・光村図書「誰かの代わりに」
・光村図書「聴くということ」
・ちくま新書「わかりやすいはわかりにくい?」 etc...

私は学校で鷲田清一氏の評論を読み、興味を持ったので高校の図書館で「顔の現象学:見られることの権利(講談社学術文庫)」という本を借りて読んでみたり。
「折々のことば」が休載になる前までは毎朝、鷲田氏の文章を読んでいたのだから、私は鷲田清一ファンと言っても過言ではないかもしれない。
「折々のことば」の欄は「天声人語」の約三分の一くらいの大きさで、日によるが文章の密度もそれほど多いわけではない。
しかしその小さい欄の中で綴られる評論が読み応えがありとても美しい。朝の爽やかな陽気にはぴったりな読み物だと思う。

「折々のことば」は2015年4月1日から毎日、鷲田氏の執筆がスタートし、休載になる前日の2月2日の朝刊で2071号目になる。
約6年間毎日書き続けた鷲田清一氏には充分な休息を取っていただき、そしてまたいつか素敵な文章を新聞で目にすることが出来る日を待ち望んでいる。

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