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モノクロで撮ること

こんにちは。こんばんは。高橋 優里です。
普段はコーヒーと焼き菓子に囲まれて働きながら、休日に写真を撮って楽しんでいます。

ここ数年は自宅で花を撮ることが楽しくて続けているのですが、今回は自分の写真を見ながら改めて考えて気付いたことをまとめておきたいと思います。ちょっとひと休みのお供にでも読んでいただけたらと嬉しいです。

なぜモノクロで花を撮るのか

先述した通り、私は日頃自宅で花を撮っています。カラーで撮ったりモノクロで撮ったり。はじめは光や花の質感によってモノクロが綺麗だと思った時に撮っていたのですが、写真を見返していると2019年を境にモノクロで撮ることが増えていました。意識して撮り始めたきっかけはありつつも、自分で疑問に思う点もあったので、写真を見ながら改めて整理して見ることにしました。


モノクロで撮り始めた理由

1:先入観の排除

花は好きでも、よく手に取る種類、なぜか手に取らない種類があります。あまり手に取ってこなかった花の一つが「赤いカーネーション」。私の中では赤いカーネーション=母の日に贈る花。子どもの頃はなんの疑問も持たず贈っていましたが、いつからかカーネーションが母の日の象徴、感謝の象徴、明るく優しいお母さんの象徴感をゴリ押ししてくるのに突如拒否反応を示しました。

ちなみに、母のことは大好きですし、仲良しです。母は強しという言葉がありますが、確かに私の母は自分のことよりも家族のことを優先して守ってくれる存在ですが、母もひとりの人間。無敵ではありません。弱いところもあるし、強さの裏には我慢や涙もあるのです。なので、恐らくイベントや花言葉による強い印象づけが苦手だったのだと思います。( 私が単に苦手だったという話で、イベントや花言葉を否定しているわけではないので悪しからず。)

しかし、ある写真によってカーネーションのイメージが覆されます。とある写真家さんが撮ったモノクロのカーネーション。温かく柔らかい言葉は不似合いな、とても力強い姿で写っていました。強さだけではなく、腹黒さを隠し持っているような印象で、その写真がきっかけで「カーネーションて実は芯が強くて、あざとい奴なのかも!」と急に気になる存在になったのです。

この経験からイベントや言葉によるイメージに色という情報が繋がることでさらに大きく強い印象づけが起こり、先入観を持って見ているかもしれないと思うようになりました。花の輪郭、質感にもっとフォーカスしてみようと思ったのがモノクロで撮るきっかけの一つです。

印象が変わってから撮影したカーネーション
FUJIFILM X-E4 + NOKTON Classic 40mm F1.4


2:情報の排除

昔から入ってくる情報のキャパを超えると、無音もしくは雨の音だけ聞いたりして過ごしたくなる時がありました。パンデミックにより情報量はさらに増加。必要だけど絶え間なく流れ込んでくる情報に疲れ、息苦しくなる日々。気軽に出かけることもできず、日々気持ちが落ちていく中で、部屋に花を飾ることで気持ちが明るくなりました。

ここで不思議だったのが、部屋という空間に花がある状態では色は癒やしであるのに対して、花と対峙して写真を撮る時は色という情報を排除することが、さらなる心地よさを感じさせてくれたのです。

モノクロで撮った写真には、色があることで気付いていなかった魅力がたくさん写っていました。花瓶の水をぐんぐん吸い上げて綺麗に咲く姿、花びら・茎・葉のしなやかな曲線美は、私の呼吸を整えて背筋を伸ばしてくれるようでした。

また、朽ちていくまでの時間も一つ一つが儚くも美しく。一輪一輪に異なる性格やストーリーがあるように思えてきました。一輪の花ではなく、ひとりの人物の物語を追いかけているような感覚に変わっていく。こういった新しい発見が楽しくも心地よく、自然とモノクロで撮ることが増えていったのだと思います。


もう一つの理由:過去の経験が糧になっていた

さらに別の角度から考えてみたところ、私自身の経験に繋がる部分もありました。周囲が抱くイメージにより違う自分が作られていくのに疑問を抱いたり、嫌だった経験があります。今思えば人のせいにしていただけで、それを跳ね返す勇気や強さがなかった自分に原因があるとも思えるのですが、当時は作られていくイメージを疑問に思う反面、周りが思っているほうに進まなくてはいけないのかもという葛藤もあり、息苦しさを感じていました。

今では全く気にしていないのですが、そんな経験からか当時のコンプレックスを払拭するように写真を撮っている部分もあるのかもしれません。撮ることで新しいエネルギーに変えて、栄養補給しているような感覚です。



私にとって花と写真との時間は、癒しと心地よさを与えてくれます。そして一方では、背筋を正してくれる存在です。と言うのも、花は私の理想像である「強くしなやかである」姿を体現していて、向き合う度に「忘れずに心掛けてる?」「今日は意識できた?」と気持ちが揺らいでいないかを問いかけてくれます。

せっかく撮り続けて理想像を描いているのなら、これからの自分に宛てて今の私が思い描いている強さとしなやかさはこういうイメージだよと残しておこうと一冊にまとめてみました。

左:写真集『VERSUS』

そうして出来上がったのが『VERSUS』という写真集。

VERSUSは「対 ( つい ) 」という意味。
花と自分、強さとしなやかさ、咲いて朽ちていく様子から自分の現在と未来に重ね合わせたり。似た何かを感じたり、対極的な姿を表現したり、今の自分が感じた様々な対を組み合わせてみました。


来年、5年、10年先の自分がこれを見返した時に何を感じ、何に気付くか。また「強くしなやか」に対するイメージに変化があるか。そんなことも楽しみながら年を重ね、ページをめくり、また新たに花を撮ってその時々に自分に必要なものを吸収していけたらと思います。そんな過ごし方ができたら幸せだなという思いも込めて。

『VERSUS』の中身は、Instagramと別の記事にまとめたので、よろしければ覗いてみてください。

Instagram  @you43n_stilllife
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