9月1日、学校に行きたくないあなたへ。

毎年9月1日が近づくと、悩みに悩んだ不登校の末に、義務教育を放棄した頃の自分の感情を生々しく思い出します。
中学校に完全に行かなくなった年から実に15年を経ても。
半分は今不登校に悩む子のために、半分は不登校に悩んだ頃の自分のために、今年は久しぶりに筆を執ります。
自立してからずっと、8/31は不登校関連の文章を書いたりボランティアをしたりしてきたのですが、
一昨年〜昨年は廃業からのコロナ禍でそれどころでなく、3年振りになってしまいました。

不登校経験者として私が伝えられるライフハックは、まとめると次の4点になります。

①不登校になっても人生は詰まないが、難易度は上がる。
②最低限の学力は維持する必要がある。
③学校なんて行かなくていいと言う人、学校に絶対に行けと言う人のどちらも信じてはいけない。
④ステータスは上げて尖らせるべき。

①不登校になっても人生は詰まないが、難易度は上がる。

不登校になっても人生の道は様々に、生きていくことができます。
私も中学校を1年生で辞め、高校に2年生の途中から通えなくなりましたが、今は働いて自立しています。
しかし、難易度は決して低くありませんでした。

バイト探しでも就活でも、学歴フィルターには確実に引っかかるからです。

義務教育で不登校になって継続した場合、学歴は基本的に中卒です。
私には中学の卒業証書もなかったため、バイトも満足に探せませんでした。
日雇い派遣にしか雇ってもらえなかった。
不登校でも受け入れてくれる通信制高校には中退せず、全日制から編入してでも行っておいた方が良いと思います。
高校では公立の通信制があるため、学費は全日制と同じく無料です。

高卒認定試験に後から受かっても、高卒資格は得られません。
大学受験をするつもりならよいのですが、高卒資格をただ得たいだけなら通信制を卒業しておいた方が良いです。
逆にそれさえあれば、高卒程度の求人には大抵応募できるようになりますし、
後々大学に行くときも受験勉強に集中できるようになるため、
学歴も職歴も才能もない状態から道を切り開くバイタリティがないと人生が詰むハードモードからは脱出できます。

②最低限の学力は維持する必要がある。

不登校になって一番困るのは、学歴とともに兵隊としての生き方の訓練が圧倒的に不足することです。

不登校に優しい大人たちは学校なんて行かなくてもいいと言ってくれますが、
彼らも別に責任は取ってくれません。

学校だけが道ではないのは本当に言うとおりですが、学校に通っていれば自然と身につく訓練を不登校では習得できなくなります。
勉強以上に。
例えば私には、「目上の人の言うことを聞く」という概念が心底理解できません。
学校に長年行っておらず、先生というものから離れて久しいため、誰かの言うことを聞くということが大変なストレスです。
学校に行っていた友人はそんなことないと言うので、これは不登校の影響だと思います。
朝起きるのが大変なストレスという不登校経験者もよく見かけますし、
通勤が異常にしんどいという人もいました。

学校はバカにされがちですが、何だかんだ雇われで働く前段階にはなっているんだと思います。
不登校経験者全員がそうとは言いませんが、長期化すればするほど、
雇われて働くのにストレスを感じる身体になっている可能性は十分あります。

なので、自分で学び、言語化する能力があることがとても重要です。

就活で使われる自己分析。
あれはバカにされがちですが、真面目にやった方がいいと思います。
ただしプラスではなくマイナスの方向に。
「自分が何に大変なストレスを感じるのか」を自分で認識できることはとても大事なことです。

ルーティン事務作業や工場ラインで正確さを求められることが苦痛なのか。
営業ノルマや外部との調整根回しが苦痛なのか。
朝起きることが苦痛なのか。夜勤がしんどいのか。
毎日決まった時間の勤務が嫌なのか。シフト制が嫌なのか。土日勤務が嫌なのか。
全国転勤が嫌なのか。地域内なら良いのか。ずっと同じところで働くのが嫌なのか。

このあたりを正確に認識するには、言語化能力を磨いておく必要があります。
職業選択のためには、何を選ぶかだけで最低限の読解や知識の習得を可能にする学力は必要です。
長期の不登校経験は特に「ただなんとなく生きる」ことを圧倒的に難しくします。
それができないから私たちは学校に行けなくなったんだと思います。
まあ、もはや不登校でなくても現代社会はそうなっているかもしれません。

③学校なんて行かなくていいと言う人、学校に絶対に行けと言う人のどちらも信じてはいけない。

耳障りの良いことを言ってくれる人を信仰しがちなのは古今東西全ての人が陥りがちな罠です。
逆に自分を痛めつけるような精神論に洗脳されてしまうのも、
世の宗教やマルチ商法を見ていればそれなりによくあることなのだと思います。

何らかの思い込みをしている人を止める言葉は本当に難しいし大抵届かないんですが、
一つ言えるのは、「その人はあなたの人生の責任は取らない」ということです。
親ですら子の人生の責任はまあ取れません。
大抵は親の方が先に死ぬし、親が生涯生きられる資産を子に残せる金持ちでも、
子が犯罪者になってしまうようなケースを想定すれば責任を取れるとは言えないでしょう。

学校に行くも行かないも自分自身の責任で決めなければならないことです。
自己責任かと言われても、そうなのです。
学校に行く困難と学校に行かない困難を天秤にかけて、行かないことを選んだって生きていけるよ。
ということを私はいつだって言いたいと思っています。

④ステータスは上げて尖らせるべき。

不登校イコール普通に生きられない、というのは誤りです。
しかし、良い学校に通ってきた、すべて平均以上のステータスを有する人たちと戦うのは難しい事だと私は今感じています。
彼らが有する学生時代の人脈や長年かけて蓄積されたステータスを後から得ることは困難です。

だから、自分にしかできない戦い方を見つけるために、ステータスは尖らせておくべきだと思います。

資格でも良いです。体力でも良い。フットワークでも、仕事の速さでも。
「特別な才能がなくても自分の戦い方を確立する」これさえできれば必ず生きていけます。


人生はそう簡単に詰みません。
だから明日、学校に行きたくなかったら、行かなくても良いと私は思います。
9/1を苦にして命を終える必要なんてないので。
これからの生き方を考える材料になれば幸いに思います。

以上。

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