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#002 アメリカ生活:静かなダウンタウン 小さなカフェの思い出

海外生活への憧れ


2011年の震災直後、仕事でカリフォルニアのサンノゼに半年ほど住んでいたことがある。ロクに英語もできないのに、今しかない!という衝動に突き動かされ、社内のチャンスにしがみついてのことだった。仕事は不安だったが、とにかく一度は海外に生活してみたかったのだ。

現実は厳しい(仕事は言わずもがな)


職場はインド人・中国人・日本人駐在員が大半。素敵な人ばかりで、彼らとのコミュニケーションだけでも十分楽しかったが、思い描いていた「海外での生活」には一歩も近づかない。なんなら日本語だけで生きていける(笑。

そんなわけで、休日は極力一人で過ごす時間を持つようにしてみたのだが、やることがない。観光・ショッピング・ゴルフは違う。もっと普通に生活がしたいのだ。でも知人もいない。職場の付き合いは断るくせに、話相手もおらず、勝手に孤独死しそうに・・。何かのクラスを受けてみようかとか模索するも英語で二の足を踏む・・そんな中、たまたま一軒のカフェを知った。

住んでいたアパートメントから山の方へ車で20分ほど、サラトガという小さな、若干さびれた町のダウンタウンにそのカフェはひっそりたたずんでいた。家族経営で、朝5時~23時まで営業していて、地元の人たちの生活に溶け込み、深く愛されていることが伝わってくる。

そのあたたかい雰囲気に引き寄せられ、私は足しげく通うようになった。だが英語コンプレックス(というかリアルに話せない)のため、美味しいコーヒーや素朴なスナックを頂きながら、一人で英語の勉強や読書。カフェに出入りするお客さん達の様子を、うらやましくほほえましく眺めていた。
朝ラン後の女性、仕事前の男性、家事の合間の奥様、近所のお年寄り達、学校帰りの子供、家だとテレビ見ちゃうからと宿題しに来る親子・・。

ある日、ママが声をかけてくれた。
ママ「日本から来てるの?いつも何を読んでるの?etc..」
私「英語の勉強をしてるだんけど、全然話せないの‥」
ママ「毎日いらっしゃいな。私たちとおしゃべりしましょうそれが一番よ」
はじめて、アメリカに居場所ができたように感じた。

この町に暮らしたい


それから数カ月の帰国まで、私は本当にたくさんこのカフェに通った。仕事の前後、その後できた友人と遊ぶ前も。なんせ5時からやってるので。

ママはメキシコからの移住者で、ご主人が始めたお店を、突然ご主人が亡くなった後、ご自分で切り盛りして3年目、ほとんどずっとお店にいた。
「ここまで長い営業時間は大変じゃない?」
と尋ねたことがある。ママは言った。
「このカフェが、街の皆のリビングであってほしいの。朝の散歩途中、家事や仕事の合間、学校帰り・・・みんながここで笑顔で過ごしていてくれる。これ以上幸せな時間ってないでしょ?だからめいっぱいあ開けていたいの」と。

その深い愛情に胸を打たれた瞬間だった。小さなカフェが、ただならぬ気配を携えている理由を垣間見た気がした。

ちなみにママは、「ちゃんと経営成立してるし、息子がL.Aで経営学勉強中でもうじき戻ってくる予定だからそれも楽しみ」とも話していた。「カフェがなくなっちゃったら意味ないでしょ?」とおどけながら。

あのカフェに


この町の一員になって暮らしたい!と願うも、結局いまだ住んではいない。(いまだ?)帰国後も時々訪ねていたが、コロナ前から途絶えたままになっている。ママは元気だろうか?私の英語は相変わらずいまいちだが、近いうちにあのカフェにコーヒー飲みに行こう!

Yuri Masumi

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