#005 表現が最初の一歩になる
ピアノの演奏が地味だった
幼い頃から大人になるまでピアノを習っていた。そしていつも先生や親に、「悪くないけど地味なのよね。もっと感情を乗せて弾けない?」と言われていた。
表現の価値がわかってなかった
ピアノは好きだった。その音色が私にはとても心地よいし、練習しているときも、自分が奏でる音色を聞く時間だと思うと嬉しかった。けれど、自分の心のうちを音に乗せ、人に伝えることにはまったく興味がなかった。恥ずかしいとも違う感覚。
一方で一緒に習っていた姉妹のように仲良しの友人は、それはもう華やかに演奏した。彼女は日常生活も大層華やかだった。小学校の頃からオシャレで、大人になるまでいつもモテモテだった。振り返ると、彼女はピアノに限らず、自分を表現することの大切さを知っていて、きちんと実行していたのだと思う。そして私はわかっていなかった。色々な意味で幼かったのだろう。
社会人になって気付いた表現の価値
社会人の責任であり武器である
そんな私も社会人になり、自分なりの考えや意見をまとめ、他者に伝えることが当然となり、比較的得意にもなった。仕事を進めるうえで全ての起点となるし、そもそも意見を伝えることが責任でもあるからだ。
しっかり自分の考えをまとめて、周囲に伝えていくことにより、仕事は推進力をもって進むようになったし、社内外問わず強い信頼関係が構築されていった。そして複利的に良い展開を生んでいった。「表現」が自分の武器になっていったと言えると思う。
残念ながら、「生意気だ」といわれたりするネガは多々あった。何も意見を言わない人に限って、陰口等はうるさい。けれど、自分がやるべきことが変わるわけではない。時々結構辛かったが、振り返れば些末なことだったと言える。
気付けてよかった
私は、他者と関わって生きていく上で、「表現」は必須であるということに気づいていなかった。ふわふわとした友人関係においては、そこまでシビアに考えなくても生きていられた。
「社会人としての責任」というパワーワードが登場して、初めて目覚めたのだ。遅すぎてお恥ずかしいけれど事実。遅くても気付けて、鍛えることができて、本当によかったと思う。会社ありがとう!
より広い社会と向き合いたい
最近、会社組織の外、社会全体に対する関心が強まっている。もっと広く、社会と関わりたいと思うようになってきたのだ。
となると、まずは自分を知ってもらうこと、表現することが、最初の一歩であることは、もう知っている。うれしい。
だから、まだ姿が見えない誰かに向け、Noteを書いてみています。
つたないですが、引き続きよろしくお願いします。
Yuri Masumi