さよならのメッセージ【後編】

「こうしてまりかの裸を見て触れられる男は、俺だけだもんな」
「ほかの人が見たり触れたりしてもいいの?」
「俺がいいって言ったら、そうさせるのか?」
「んもう、いつもそういうかわいくない言い方するんだから」
「しょうがないだろう、かわいくないんだから」


まりかの乳首は、タカシの器用そうな指先の中にあった。
1日働いて、職場から片道3時間近くかけてまりかのまちへ来てくれたタカシは、さすがに疲れていたのだろう。
小さな愛らしい蕾は、この夜は大きく花開くことはなかった。


でも、タカシの裸の胸に唇を這わせながら、まりかは満足していた。
タカシも、そう気を悪くはしていないらしい。
まりかがうとうとし始めてもまだ、まりかの小さな突起と戯れているようだ。
彼の愛おしい蕾に手を伸ばすと、少しだけ頭をもたげたけれども、今日はもうおしまいですと言うように、まりかの手のひらにやわらかにその身を預けた。

まりかの心は平らかだった。
だって、いつものとおりひねくれた言い方ではあるけれども、要するにまりかは俺のものと言ってくれるのを聞いたのだから。


この日の朝、まりかは絶望のどん底にいた。
もうタカシはまりかに愛情を感じてはいない。
さよならを言わないと、まりかがまりかに押しつぶされていると感じて、タカシに別れを告げるメッセージを下書きした。
でも、勇気が出なくて半分だけ送信したら、次の日、タカシはまりかの住むまちに飛んできてくれたのである。

小さな不安が雪だるまのように転げて、じきに大きな大きな雪崩になってしまう。
躁うつ病の特性でもあるし、まりかはだれからも愛される資格がない、幸せになる資格がないと心のどこかでまりかが思っているからでもある。

まりかは、愛される資格がある。
まりかは、幸せになる資格がある。
このブロックを乗り越えるのが、今年のまりかの課題であるようだ。


まりかは愛される資格がない、という思い込みは、おそらく子どものころの記憶にあるのだろう。
まりかの両親、とくに父は、まりかの4つ下の妹を溺愛した。
母親譲りのとびきりの美人で、お勉強もあまり得意ではない妹。
姉のまりかから見ても、女の子らしくて、かわいくて、嫉妬すら感じる余地を与えられなかった。
母と喧嘩をしても、妹と喧嘩をしても、父は一度もまりかに理由をたずねることもなく、まりかだけを一方的に怒鳴りつけた。


まりかの成人式の前撮りの日に父が撮った写真は、明らかに妹にピントを合わせている。
いくらにチョコレートケーキ、ケンタッキーフライドチキン。
父は妹が好きな食べ物は何だって知っているけれども、まりかが好きなビールすら知らない。
だからどうだということもないのだけれども、まりかはこの思い込みから抜けることができないから、親を捨てようと決めたのである。

タカシは、男親である彼が離婚して子ども3人を育てるようになったわけを、まだ話してくれようとしない。
それもまりかが彼に不信感を抱いてしまった一端でもあるのだけれども、考えてみたらまりかも両親との確執についても、2度の離婚のことも話していないのだ。
まりかが彼のいまを見て、何があったにしても過去もまるごと受け止めたいと思ったのと同じように、タカシもまりかがどんな結婚生活を過去に送ってきたかは一切問わずに思いを寄せてくれているのだ。


愛されなかった記憶は、人を信じる心を狂わせる。
ありもしないことを妄想しては、信じることを邪魔する。
まるで、まりかには幸せになる資格がないというように。




まりかには、愛される資格がある。
まりかには、幸せになる資格がある。


信じよう、タカシを。
仕事のあと、まりかと3時間半をすごすために、片道2時間半を厭わずやってきてくれたタカシを。
感謝しよう、タカシに。
たとえ好きとも会いたいもことばにしてくれないけれども、まりかのSOSに気づいてくれたタカシに。



「そろそろ電車の時間だね。駅まで送るね」
「もうそんな時間?」
「服を着る前に、もう一度まりかをぎゅーってして」
「ぎゅーってしただろうが」
「もう一回」


恋はであることではなく、すること。
小さな疑いを愛で包んで、そのたびに重ねてゆくこと。
愛おしさを重ねるたびに、ふたりの物語が紡がれてゆくのだ。


まりかは、送らなかったさよならメッセージの下書きを、しゅっと削除した。
iPhoneの画面には、赤いゴミ箱マークが現れ、まりかの右の人差し指と一緒に左に流れ、やがて消えていった。

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