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いいえがおの日に思うこと

 小学六年生から始まった歯の矯正が、中学に入って本格的になった。四本の歯を抜き、矯正器具で徐々に歯を動かしていく。金属の器具が目立つのと、慣れてくると少しずつ太さが変わるワイヤーの締め付ける痛みで、上手く笑う事が出来なくなった。
 ある日、国語の授業で教科書の音読を当てられたが、余りの痛さに免除になった事があった。事情の知らない生徒の一人が、大声でずるい、贔屓だと言った。私はいたたまれない気持ちになって、ずっと俯いているしかなかった。この痛みは、矯正をしている人にしか分からないと思っていたから。
 別の日には、給食中に外し忘れた上下の器具に渡した小さな輪ゴムが外れてしまい、口から取り出す為に教室を出ようとした。また、一人の生徒が「悪阻じゃね?」とからかうように大声で言う。この日ばかりは、トイレで泣いてしまった。何でこんなに辛い思いをしなければならないのか。笑い飛ばせる性格ならどんなに良かったか。担任教師が様子を見に来て、一緒に保健室に行った。痛み止めの効果は一時的なもので、常用するのは良くないと諦めるしかなかった。
 母は私がどんどん食が細くなるのを心配して、色々工夫してくれていた。とんかつは小さめに、柔らかく。器具に挟まりやすい生野菜サラダはやめて、具沢山スープやポタージュを作ってくれた。本当に今でも感謝でしかない。
 それでも、学校に行くと笑う時は口に手を当てたり、歯を見せないように笑ったり、どうしても気になってしまった。手を口に当てて笑う癖は器具が取れた後も直らなかった。マスクをつけている今は、皮肉にも手の代わりになっている。
 一度だけ、中学の頃の友達がそんなの気にしないで笑いなよ、と言ってくれた。嬉しくて、思わず笑ったその時は、手を隠す事なく笑えた気がする。なのに、また隠すようになったのは、自分に自信が無かった事と、どうしても器具を付けた自分が好きになれなかったからだ。
 上手く笑えなかったのは、器具のせいだけではなかったが、長い間、使い勝手の良い言い訳にしていたのだと思う。
 皆で並んで写真を撮る時は、未だにぎこちなくなるのだけど、姉がこっそり撮ってくれた写真の私は、綺麗な歯並びで笑っていた。
 それを見た時、写真の中の笑っていない中学生の私を、思い切り褒めてあげたい気分になった。


          了

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