誰かの言葉が聞きたくて、イヤホンを外して街を歩きたくなる本ー穂村弘著「彗星交叉点」ー
外出時、私は大抵イヤホンをつけている。
イヤホンはノイズキャンセリング機能がついていて、話しかけられる用事がない限り、はずさない。電車の中や目的地へ向かう道では、外の音がほとんど聞こえない状態がとても落ち着く。
イヤホンが欠かせない理由は、他人の会話を聞くのがあまり好きではないからだ。電車の中でたまたま聞こえた愚痴に不用意に傷つく。電話越しに怒っている人の声を聞くと恐怖を感じてしまう。自分が好きなアーティストを批判されているのを聞くと悲しくなる。
コロナになってからは、電車の中で咳やくしゃみの音が聞こえると自然と身構えてしまい、コロナとは限らないのに反応してしまう自分の心の狭さが嫌で、イヤホンは手放せなくなった。
そんな私が最近イヤホンを外して散歩するようになった。きっかけは穂村弘さんの著作「彗星交叉点」に出会い、言葉のおもしろさを知ったからだ。
歌人・穂村さんが日常で見つけたポエムたち
「彗星交叉点」は穂村さんが日常で出会った気になる言葉や会話を紹介しているエッセイ集だ。穂村さんは北海道出身の歌人で、短歌の他にもエッセイや評論を多数手がけている。いわば言葉を紡ぐプロフェッショナルだ。
この本に登場するエピソードは普段私たちがよく出会う場面ばかり。散歩している時に見つけた町中華の看板、Twitterで偶然見つけたツイート、すれ違いざまに聞いた会話など。
私たちが何気なく出会っている言葉に、穂村さんはツッコミを入れたり、深く共感しながら独自の視点で解釈を展開する。穂村さんのユニークな解釈は私たちに新たな世界を拓いてくれる。
あなたは自分の名前をどう伝える?
たとえば、「名前の教え方」というエピソードがある。
これは初対面の人に名前の漢字表記をどう伝えるのかがテーマだ。
最初は、サイン会で穂村さんが女性に名前を聞いた場面から始まる。その女性の名前は「みか」さん。彼女は名前の漢字表記を「美術の美に中華の華」と説明した。穂村さんはそれに一瞬戸惑いを感じる。その表現だと少し変換しにくいと思ったからだ。
しかし穂村さんは閃き、女性に声をかける。
女性はその言葉にパッと笑顔になったそうだ。
みなさんは自分の名前を相手にどう説明するだろうか?最近はオンライン上で直接自分の名前を記入できる場面も増えてきたが、電話で自分の名前を伝えないといけないとき、困ることはないだろうか。
ちなみに、私の本名は「祐理子」と書くのだが、電話ではとても説明しづらい。いつも「カタカナのネに右と書いて、理科の理に、子どもの子です」と伝えるのだが、一度で理解してもらったことはほとんどない。自分の名前は人生で一番口にする言葉の1つだと思うが、何度その場面に出会っても相手に伝えられないもどかしさを思い出す。
さらに、この場面に対する穂村さんの考察がとても印象深い。彼は美華さんの説明をこう解釈している。
彼は名前の表記説明という何気ない会話から、漢字のイメージに対する彼女の小さな葛藤や試行錯誤を汲み取り、最終的に行き着いた女性の創造性をかろやかに褒めている。
彼はほんの一瞬の言葉をここまで深く受け取り、丁寧に解釈していく。彼の姿勢からは私たちが使っている言葉には、自分も認識していないくらい、深いところから紡がれていることを教えてくれる。同時に、私たちは何も考えずに言葉を発して、受け取ってしまっているのではないかと、少し考えさせられる。
実は「名前の教え方」をテーマにしたエッセイは、この後3本ほど登場する。名前表記の話なのに宇宙人が出てくるなど、展開が読めない彼の考察はとても興味深い。
その他にも、街中華の看板に関するエピソードや電車の中の会話まで、思わず吹き出してしまうようなおかしい言葉と解釈が登場する。
1つのお話が平均3ページほどの短いエッセイなので、本を普段から読まない人にとっても手に取りやすい。少し疲れた時や、何も考えたくない時に読むと、穂村さんの斜め上すぎる視点にホッとする。
雑踏の中にある言葉は怖いものではなく、世界をおもしろくするもの
穂村さんのエッセイを読むと、何気ないツイートや標識が目に留まるようになる。息をするように発せられた少し変わった言葉に出会うたび、穂村さんならこれをどう解釈するのだろうかと、ふと考える。
一瞬攻撃的に見えてしまう言葉も、穂村さんの視点を意識することで「この人は何を言いたかったのか……。」と少し落ち着いて考えられるようになった。言葉はさまざまな側面を持つ不可思議なコミュニケーションツールである。そのことを穂村さんはユニークな視点を見せることで、私たちに教えてくれる。
今日も私はイヤホンを外して散歩に出かける。道端で聞こえる会話に耳を傾けたり、ちょっと気になる看板を見つけたら立ち止まってみる。言葉の捉え方が広がることで、世界が少しカラフルになることを知ったから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?