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空低く星降る夜に現れたどうかそのまま変わらぬ君で

北海道の夜空に数えきれないほどの星が散らばっている。
時々、白く綺麗な線が横切り、消えていく。
歓声を遠くで聞きながら、私はデンマークの空を思い出していた。

白い息を弾ませながら、自転車を走らせる。オーロラが見えるかもしれないという期待感が自分をせき立てる。ふと空を見上げると、星々が輝いていている。自転車のスピードが上がれば上がるほど、空が自分に迫ってくるように感じた。空が私に近づいてくる怖さと不思議な安心感。

北海道の空とデンマークの空。ふたつが私の前で重なっていく。そんな時、「自分はこの5年をちゃんと受け止めたんだな」と初めて実感した。

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2024年8月、私はSchool For Life Compathが主催する夏のショートコースに参加した。

Compathのコースに参加するのは3年ぶり3回目。3年前の私は大学生で、寮母のような立場で参加した。当時は自分の違和感と社会に対する不信感で押しつぶされそうになりながら参加し、コースの後はよろめきながら東川を後にした記憶がある。少し恥ずかしいけど、当時のnoteもここに置いておく。

東川を後にして3年。いろんなことがあった。楽しいことも哀しいことも経験して、Compathやフォルケホイスコーレの経験が今の私を作っていると自信を持って言えるようになった。

今の私だからこそ伝えられることがあるだろうし、この経験を言葉にすることが私にとても大切なことだと思うので、記録として残しておく。


過去の自分からの手紙

コースの話をする前に、前日譚を少しお話しさせてもらいたい。今回の話はこの経験なくして立ち行かなくなってしまうから。

Compathのコースが始まる約1ヶ月前、実家にある手紙が届いた。差出人は5年前の自分。デンマーク留学の終盤を迎えていた自分からだった。

恩師から5年後の自分に手紙を書いてみたら?と軽く言われた記憶は朧げにはあったのだけれど、まさかこのタイミングで来るなんて。

私はコースが始まる前にどうしても読んでおきたくて、少し無理をして実家に帰省し、封を開けた。封筒の中には、私からの手紙だけでなく、当時仲が良かった友人や恩師からの手紙が入っていた。

それぞれの言葉を、それぞれの言語を使って紡いでくれた手紙。ひとつひとつ読みながら、心がほろほろ解けていくようで、気がつくと涙が止まらなくなっていた。

実際の手紙

手紙の中にとても印象的だった言葉がある。少し引用させてもらいたい。

あなたは自分の感情を見せることが苦手だと言っていたね。だけど僕はそうは思わない。あなたはとても感情豊かで脆弱であること(vulnerable)を恐れない人だと思う。
多くの人は脆弱であることが弱みであり、負担であると言う。でも現実はそうではないと僕は思う。脆弱であることは誰かを労る力になり、大切な人との関係性を引き裂かれる恐怖を抱き締め、自分たちをケアし合える喜びをもたらすと思うんだ。
あなたは多分大変な5年間を過ごしているかもしれない。それでも僕はあなたが変わってほしくないと思うし、脆弱であることを手放さないでほしいと願っている。

大切な友人からの手紙

脆弱で繊細な自分。それは自分がこの5年、なんとか手放したいと思っていた自分の姿だった。

帰国して自分と社会との接続点を探すうちに、脆弱な自分は邪魔なものとして捉えるようになっていた。就活に馴染めない。会社に馴染めない。社会に馴染めない。いつも他者の感情と自分の感情の間に振り回され、うまく人生の舵取りができない自分。そんな自分にいつも苛立ちを思え、失望していた。

もっと鈍感になっていれば。もっと自分の感情を優先できる図太さを持っていれば。もっと精神的にタフな自分であれば。私はこんな苦労をしなかったのではないか。そんな後悔を持ち続けていた。

だけど5年経って、「脆弱なあなたは素敵だよ」というシンプルなメッセージを目にしたとき、「ああ。私は自分の脆弱さを失いたくなかったんだな」と自然と腑に落ちた。それは私が求める自分の姿における大切な要素だったのだと。

もしその姿を持ち続けてもいいのなら、私は脆弱な自分を抱きしめて生きていきたい。シンプルな願いが私の中で大きくなり、「脆弱な自分で生きていくためにどうするのか?」という問いを持てるようになった。

脆弱な自分で生きていくための方法。そのヒントを探すべく、私は東川町に向かった。


「脆弱な自分」でみんなと出会うことに決めた

「脆弱な自分でどのように生きていくのか?」そんな問いを探求する場所として、Compathのショートコースは最適な場所だった。

今回は場をつくるキュレーターとしての参加。実はこの話をいただいた時は参加することを即決したけれど、気持ちはワクワクと不安が入り混じったものだった。

キュレーターとして声をかけてもらえて、とても嬉しかった。やってみたい!という想いが先行した。でも一方で、私はファシリテーターの経験や場づくりの経験があるわけではない。対人関係のプロでもない。そんな私に何ができるのか?作り手として場を豊かにすることはできるのか?と不安になっていた。

私だからできることってなんだろう。そう考え続けながら準備をする日々。そんな矢先に出会ったのが「脆弱さ」という言葉だった。

友人が手紙で言ってくれていた「脆弱な自分」を場に出してみたら、どうなるのだろう。少し傷ついてしまうかもしれないけれど、自分ができることは脆弱さをみんなに晒すことで見えてくるのではないか。そう思ったとき、自分の心にすっと光をさしたような気がした。

脆弱な自分をみんなに見せることで、「キュレーターとしてのゆり」だけでなく「ゆり」としてみんなと対峙してみよう。そう決めて、私はコースの初日、「脆弱な自分をちゃんと出したい」とみんなに伝えた。

傷ついても、悲しくなっても、寂しくなっても。私は肩書きを一旦おいて、私としてみんなと向き合い続ける。それが自分との唯一の約束だった。

初日の自分(めっちゃ緊張してる…笑)


自分の振る舞いの背景で出会い直す、私の大切な人と記憶

脆弱さを見せることを伝えたことで、私は肩の力を抜いて、日々を過ごすことができた。参加してくれた人たちが初日に「私は脆弱です」と宣言したキュレーターに拒否反応を示さなかったことも幸いしたと思う(内心ではびっくりしてたかもしれないけど。)

コース中の大切な瞬間は数えきれないほどある。授業中に見たみんなの表情や、朝ごはんとコーヒーの香り。流星群をみて歓声が響く夜の空。静かで海の中に潜っていくような夜の会話。どれをとっても、私にとってかけがえのない思い出だ。

不思議だったのが、私が無意識にしている行動に身に覚えがあったことだった。

「身に覚えがある」というのは、「私がやったことがある」記憶ではなく、「誰かにやってもらったことがある」という記憶。いつもは無意識にやっていることだったはずなのに、コース期間中はいつも自分の懐かしい記憶に繋がっていた。

一緒に散歩に行こうと誘うのは、デンマーク留学中に苦しんでいる私に友人がよく声をかけてくれた誘い文句。感情が溢れた時に背中をさすって何を言わずに隣にいるのは、私が泣いている時に友人が隣にいてくれたから。何気ないけど素敵なことを率直に伝えるのは、3年前のCompathで一緒にいてくれた人がしてくれたこと。

自分の振る舞いにみんなから「ありがとう」と言ってもらえるたび、私は記憶の中にある過去の人たちに「ありがとう」と伝えた。自分は無意識に過去に出会った人たちにしてもらった行動を踏襲することで、みんなからの想いをちゃんと受け取っていたのだった。


脆弱でも、無力でも、私はあなたをきちんと「見ている」と伝えたい

コース最終日、私はみんなに短歌を書いて渡した。

これは5年前に私に短歌を教えてくれた人が私宛の短歌を書いてくれたことが原体験になっている。その短歌は帰国してから今まで、私が心が折れそうな時に守ってくれる「おまもり」のようになっていた。おこがましいけれど、私もみんなに「おまもり」のようなものを渡したいと思った。

もしかすると、Compathのショートコースで出会った感情や気づきをきっかけに、違和感を持ち、苦しい想いや哀しい想いをしてしまうかもしれない。Compathがきっかけでなくても、苦しい時間を過ごす時が来るかもしれない。

そんな時、私は苦しみを和らげてあげられないし、解決することもできない。とても脆弱で無力な存在だと思う。

それでも私はあなたを「見ている」と伝えたかった。頻繁に会えていなくても、連絡が取れていなくても、私はあなたのこれからの旅路を見ている。そして、哀しみや苦しみの先に見える景色を一緒に共有したい。

どうかみんなの旅路がこれから豊かでありますように。そしてどこかのタイミングで、その旅路の話が聞けると嬉しいな。そんな想いを込めて、みんなに短歌を書いた。

最終日のあるワークにて。最高の景色だった。(撮影:畠田大詩さん


5年前の自分へ届ける歌

コースを終えた翌日、お世話になった大切な友人と朝ごはんを食べた。コースで出会ったメンバーに短歌を渡したことを話すと、「ゆり自身にも短歌を書いてみたら?」と言われた。

今の自分を歌うことに恥ずかしさを感じた私は、5年前の自分に返事をするような形で短歌を書いた。

空低く星降る夜に現れた
どうかそのまま変わらぬ君で

5年前、私に大切なものを忘れないように言葉を綴ってくれた自分。
私の脆弱さを抱きしめ、愛してくれた仲間。
5年間、寂しく暗い道をなんとか進んできた自分。
5年間、私を見ててくれた多くの人たち。
そのすべての人たちに心からの感謝を送りたい。
そして、その自分に気づかせてくれたコースで出会ったみんなにも。

これから脆弱さを抱えながら生きていく道は多分楽な道じゃない。でも少しでも面白がりながら、近くにいる仲間を肩を組みながら、歩いていきたいと思う。私はひとりであり、ひとりではないのだから。

コース中にみた夕日

表紙写真:畠田大詩さん


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