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「人生」という名の鞄~自分にとってのリスクって何だろう?~

私はいろんな人生の話を聞くのか好き。
各々が持っている哲学的な考え方の話も好きだけど、その人がどういう人生を歩んできたのかを一緒に追っていく、そんな話が好き。
昨日もある人の人生を追体験するようなイベントに参加していた。
そのイベントの中、引っかかったことがある。


「人は何か行動するときに、必ず何かを捨てている。」

捨てていると聞くと、ちょっとマイナスなイメージになってしまうかもしれない。
言い換えると、人は何か行動するときに何かを置いて、自分の体を軽くする。のかもしれない。


ある人は新しい何かを求めて大切な思い出を捨て、
ある人は新しい出会いを求めて大切な人との別れを選ぶ。
またある時は、自由を求めて、社会的地位や安定的な収入など生きていくうえで大切とされているものを置いていくこともある。
それを人は「リスク」と呼ぶ。


自分にとって1番のリスクとはなんだろうか?と考える。
私は幸運なことに、そこまで大きく失ったものがあまりないような気がしている。
あるとすれば、私の目の前を通り過ぎていった大切にしたかった人たちや、少しの時間かもしれない。あとは、正直に生きること。
そんなの、まだ、序の口なのだろう。

だけどなぜか、私は置いていったものを思い出すたびに
私の心はすこし切なくもなり、温かくもなる。
そんな気持ちの中、気づいたことがある。


自分にとっての1番のリスクを考えるとき、
人は逆説的に、自分が人生で1番大切にしたいことは何だろうか
という問いにぶち当たる。
リスクを考えるということは、逆に自分にとっての大切なものと向き合うことと同じ意味なんだよなと、ふと思う。


さらに、こんなことをイベントの後にぐるぐると考えていた時、
ある言葉を思い出した。


それは私がデンマークへ留学していたころのお話。
まだ留学生活に慣れなくて、心のどこかで「なんでこんなところに来てしまったんだろうなー。」と思っていたころ。

私のお師匠のような人に言われた言葉。
確か、私がコーヒー飲みながら「人生って何なんですかねー。」みたいなことを何も考えずに話した時だった。
その時、いつも穏やかなお師匠の目が一瞬鋭くなった。

「人生とは何かを考えるのは、何も生まれないの。人生って鞄みたいな、入れ物でしかないから。
人生とは何かを考えることは、鞄って何だろう?って鞄をじーっと見つめているのと一緒なのよ。
問題は、その人生という鞄に何を入れたいか。だよ。」

当時の私はそのお師匠の目に驚いて上手く呑み込めなかった。
だけど、今になってすごく、納得がいく。

私たちは、何か行動をするたびになにかを手放して生きている。
それは時間だったり、経験だったり、お金だったり。
手放したものの代わりに、私たちはなにかをまた手に入れる。
それは鞄のようにいろんなものを詰め込んだり、取り出したりしているような感覚と似ている気がしている。


当時20歳だった私は、自分の鞄かあ…。と思った。
欲張りな私は留学するときに持ってきたトランクケースをイメージしていた。
そうじゃないと私のやりたいこと、手放したくないものは入れられないと思っていたから。

だけど、今自分が新しいフェーズに入る時になって、
改めて自分の鞄の大きさを考えてみると
意外とそのかばんは大きくないことに気づく。
そして、鞄が大きすぎると、
人はそのかばんの重みに耐えられなくなってしまう。

逆に手放すことを覚えると、
その手放したものが後に「物語」となって自分を守ってくれるような気がした。
私はそういう人たちが話してくれる物語にいつも心動かされる。

物事はすべて通り過ぎていく中で、自分の持ち物を考える。


自分はその小さい鞄の中に何をいれたいのだろうか?
あなたは、何を入れて、何を手放したいですか?

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