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非日常の壁。日常の尊さ。

東北に来て、自然と「震災」の面影に触れるようになった。

遺構や伝承館を見学させてもらう。
テレビで何度も特集を見ていてから事実は知っているつもりであったけど、
津波の様子やそこで奮闘した人々の姿は
重く私の心の底を叩いた。

普通に生活していても、人々の生活の中で
普通に「震災」という言葉が出てくる。
「震災の時はここまで波が来てね。」
「その線は地震の時に地割れしちゃったのよ。」
「これは震災の後にできたものなの。」

そういう話を聞くたびに、
やはりこの人たちに起こった「震災」は現実で、
日常の中に織り込まれていることを痛感し、
私は大きな壁を感じた。

なぜなら、私にとって震災は非日常だったからだ。

震災の時、私は12歳。関西在住の小学生だった。
卒業式を控え、卒業式の練習をしていた。
帰り際、先生から「関東方面で大きい地震があったらしい」という話を聞かされ、「あ、地震があったんだ」としか思っていなかった。

その後、テレビは震災報道で一色になった。
連日流れる報道を見て、私は「これ現実なのか?」
と思ったことを覚えている。
小学生の私にどういう状況になっているのかを受け止める
技量は全くなく。
私はよくわからないまま、呆然とテレビを見つめていた。

すごく軽薄な言い方だけど、
どこかでSFのように感じていた「震災」
私にとって非日常だった震災。

その震災から10年経とうとしている今
私はやっと東北に来て、人の話を聞いて遺構を訪れて。
その人にとって「日常」だったことを思い知らされて。
おこがましいけど、ちゃんと向き合えている気がしている。

だけどその現実が視界に入ってくればくるほど、
自分の中でそのことの大きさが重さが
重油のように重くどんどん内側に入ってきて、苦しい。

同じ国に住んでいて、同じ時の流れを感じていたはずなのに、
こんなに感じることに限界があるのかと無力感を覚える。

だけど一方で、
すごい無責任な言い方をすると
あ、自分にとっても非日常から日常になっているんだなと感じている。



このタイミングで震災の事実と触れることで


私たちは大きな自然に生かされていて、
私たちの周りのいろんな方に生かされて、
私たちが出会うことのないずっと昔の先祖の方たちに生かされてる。
そういう感覚を確かに感じるようになった。

震災はその当時の悲惨さを学び次に生かしていく学びがある。
だけど、それ以上に、
「生きること」をずっと学んでいく記憶なんだと思う。


今をうまく生きなくて、どうするんだ。
今の貴重さを。周りへの感謝を。
自分がいろんなネットワーク中にいることを改めて感じ、感謝する。

そんな当たり前の尊さを、可能性を
重さを感じ、
頭を垂れる日なのだった。

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