書くことについて語る時、私の思うこと

文章を書く人が好きだ。
正しくは、文章を書く姿。
そしてその痕跡としての文章をみるのが好き。


個人的に、文章を書く人。文字を書く人には
その人独特の「色気」があると思っている。

色気といっても性的な意味ではなく、
少し成熟した、それぞれの個性が見え隠れするような、
そんなミステリアスな色気。


なぜか、私は幼いころから文字を書く人にあこがれを持っていた。
例えば私の両親。
幼いころ、私は隣で両親が手書きで何かを書いている姿を見ることが
大好きだった。


年賀状や何かの申請書に自分の名前や住所をすらすらと書いている姿は、
仕事ができる大人の雰囲気を垣間見る瞬間で、わくわくした。
そして、文字の癖が同じものが全くなく、
私は飽きずにずっとながめていた。

またある時、
洋画に出てくる登場人物が筆記体でサインする姿や
万年筆ですらすらと手紙を書く姿が
幼稚園生の私には異常にかっこよく見えたようで、
何を書いているかわからないぐにゃぐにゃの線を羅列した紙を
友達やら知り合いのお母さんにどや顔で渡していたこともある(笑)
(自分ではかっこいい英語を書いているつもり)

それくらい、文字を書く人、文章を書く人は
私にとってかっこいい、大人の象徴だった。

私も早くそんな色気をだしたくて
小さいころからいろんな文章を書いてきた。
ある時は小説、詩、短歌。大学のレポートもその一種。

だけど書けば書くほど、自分の幼稚な文章に向き合うことになる。
同時にそれは自分の中身が空っぽであることに気づくことになり、
どんどん書くことが苦しくなった。
人に見せるような文章なんて、絶対にかけない。そう思っていた。

だけど、最近になってやっと自分にも書けるような
中身のある人間に近づいてきたような気がしてる。
それは確信という固いものでは全くなくて、
雲をつかむような、本当につかんでいるのかもわからないかすかな感触。
それをなんとかモノにしたくて、今パソコンに向かっている。



私にとって「書く」という行為はとても大人っぽく、
色気のある行為。
そして、その人を嫌でも色濃く映し出す表現行為。

自分がやっと20年とちょっと生きてきて、
書きたくなることが少しづつたまってきた今。
私も色気のある人になりたい、そう願い。


noteを始めてみるのでした。


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