2021年、私の「手すり」になってくれた本10選
2021年。この年を「今年」を言えるのも、あと数日。
今年は本当によく本を読んだ年だったと思う。
私は普段から本が好きで、定期的に読む方ではあったが、今年は異常だった。
常にカバンに3冊入れて、移動中はそれをとっかえひっかえしながら読む。いつも手元に本が数冊ないと不安になるような、軽い読書中毒状態。
特に、秋から冬にかけては、卒業研究も追い打ちをかけ、私は毎日家にこもり本の世界に閉じこもっていた。
私がここまで読書に没頭したのは、多分「自分」を維持したかったからだと思う。
卒業後の進路が見えず、いろんな人の話を聞き、自分の中で消化しようとするあまり、自分が見えなくなる。だけど、今年は「ちゃんと自分で納得した選択をする」ことを大切にしたかったので、自分の姿をなんとかとらえておきたくて、私は本を「自分の状態を知る術」として使っていたのだと思う。
私には読書好きの友人がいるのだが、彼女はよく「本は自分の人生の手すりになるもの」と話していた。当時、本を読むことから離れていた私はその言葉に全然ピンとこなかったけど、今ならそれがよくわかる。
今年私が貪るように読んだ本たちは、私にとって自分を維持する「手すり」となってくれる本たちだった。
今回は今年の振り返りもかねて、たくさん読んだ本の中での10冊を紹介する。
「ここじゃない世界に行きたかった」
東北の田舎から大阪に帰ってきて、気まぐれにTwitterを始めたところ、フォローしている人たちが「いいね!」だけでなく、素敵な言葉を並べてこの本を紹介している姿に興味を持ち読んでみた。
自分の身の回りにある美しいものを丁寧に描く文章は、自分のことでもないのにすごく心を温めてくれる。
一方で、自分の違和感から社会の問題へと思いをはせるエッセイも多く、「社会問題」は自分の外側にある問題ではなく、自分の足元から深く根を下ろしているトピックであることを指摘して、ハッとさせられる。
誠実な文章の中で、思わず自分の足元を注意深く観察したくなる本だった。
「47歳、まだまだボウヤ」
今年に入り、「呪術開戦」からアニメにどっぷりハマってしまったド直球ミーハーコースの私。声フェチなのもあり、声優さんに興味が広がることはもはや時間の問題だった。
そんな中、星野源さんのエッセイ目当てで「ダヴィンチ」を読んでいると、そこに最近覚えたお名前が。それが櫻井さんだった。
「へえ。声優さんもエッセイ書くんだ」と若干斜め上から目線で思いながら、読み始めたが最後。面白くて、悲しくて、笑って、しみじみさせられて。シニカルな言葉遣いと共にいろんな感情が一気に押し寄せ、「な、なんだ!?」と仰天。
そのままよくわからず近日発売のこの本をよくわからないまま、予約。
そして、この本も期待を裏切らず本当に素敵で。
櫻井さんご自身のお仕事である声優のお話や、趣味のお話が中心に描かれているが、一つ一つの言葉が非常にリズムがよく、するすると読めてしまう。
でもそのスムーズな流れの中で、さらっとご自分の大切にされているであろうお仕事への想いとか自分の想いを綴られていた。軽やかな読後感でありあがら人生の生々しさを感じられる本だった。
お仕事への向き合い方についてすごく示唆に富んでいるが、なによりすごくウィットがあって面白いので、最近は疲れた時に読む「癒し枠」の本になっている。
「着るもののきほん100」
北海道でのインターン中に出会った友人から貸してもらったのが松浦弥太郎さんの「場所はいつも旅先だった」で、予想通り私の大好きな本に(笑)。
その後、松浦さんの本を手あたり次第読むうちに出会ったのが、この本だった。
物語はアメリカにやってきた青年がいろんな人に出会い、自分の仕事や家庭を作っていく話。ありきたりな話かもしれないけど、1つのエピソードごとに1つの発見がある。ファッションは靴と髪型で大きく左右されるという身だしなみの話から、自分はどう生きるのか?という人生哲学まで。この本はいろんなヒントを与えている。
もっといいのは、それを「モノローグ」で語っていないところだ。巷にあふれる自己啓発本だと、「こうしたほうがいい」という作者のモノローグ風に主張が続くが、この本はヒントになることを「いろんな人」から聞くことになる。あるときは、主人公が公園で出会ったご婦人から。あるときは、主人公の最愛の人から。
そうした会話を垣間見る私たちは、そのヒントを「正解」だとうのみにせず、自分の中で吟味する余白が生まれる。だから、私はこの本に書いてあることすべてを学んだとは到底思っていない。
でも、その余白があるからまた読みたくなる本だ。
Amazonのレビューでは、この本がユニクロの宣伝がいちいち出てくることが気に食わないという意見もある。でも、私個人ではこの本の良さは広告に邪魔をされるほどやわなものではないと思っている。
私が身だしなみや自分の姿勢を見失いそうになる時、また読み直したくなる本だ。
「ユルスナールの靴」
こちらも北海道でたまたま出会った本。
私はこの本のおかげで、それから数か月、本の世界にどっぷり浸ることになる。
この本は作者がフランスの女流作家「マルグリット・ユルスナール」の足跡をたどる、エッセイのような小説。
文章は限りなくシンプルで素朴なのに、なぜかその文章から、作者の奥深い思慮深さと感性の豊かさに圧倒される。大げさな比喩も、目立ったエピソードもなく、淡々とした物語なのに作者とユルスナールの「孤独」に心が揺さぶられる。
詳しくはこちらに書いたので、よかったら。
自分にとってのロールモデルを見つけたかもしれないと、今は亡き須賀さんの文章を追いながら直感した。そのおかげで、私は須賀さんの著作を貪るように読みはじめ、そこから様々な「古典」に出会い始める。
「海からの贈りもの」
これは須賀さんの愛読書だったという情報を入手して、読んでみた本。初めて飛行機で大西洋を横断した人を夫にもつ彼女が、「女性」ということについて思索を重ねた過程が記されている。
一つ一つの章が貝になぞらえており、自然の温かいまなざしから女性の姿を鋭く見つめる。須賀さんと同じようにシンプルな文章から、その人の強靭な思考が見える。いろいろ解釈を語りたいけど、これは文章をまっすぐに受け止めてほしいから、内容はここまでに。
相手に尽くしてしまうがあまり、自分を見失ってしまう人に、そして女性の献身になんとなく重さを感じてしまう人に読んでみてほしい。
「一握の砂 悲しき玩具」
「啄木探偵処」というアニメをきっかけに石川啄木が気になり、せっかくなら有名どころからと思って読んでみた。
高校の教科書で「一握の砂」の歌は読んだ気がするけれど、その時は印象がとても薄かった。でも、今読み返すと、ストレートな表現が心をつく。
夢と自分の姿を追いながら、流れるように言葉で情景を映し出す。そして、歌を重ねるごとに伝わる彼自身の苦悩と葛藤と貧しさ。まっすぐな表現故に、それが痛々しいくらい伝わって、生きることはこんなに苦しいことなのかと31文字がとても重かった。
自分のやりたいことを実現する自分、生活を営む動物としての自分の間で模索し続ける啄木の懸命さは、卒業後の進路を決めかねていた私に「生きることってしんどいよね」と優しく寄り添ってくれた。
「清兵衛と瓢箪・網走まで」
「短編の王様」と呼ばれる志賀直哉が描く物語は、劇的な展開や突拍子もない登場人物がいるわけでもない。北海道まで続く汽車の中で、子連れの母親と話す話。路面電車の中での1場面。子供が瓢箪にドはまりする話…。これらの情景は当時の社会にあふれていたはずだ。
でも、そんなありきたりな話のはずなのに、読み終わるとなぜが心がそばだつ。一つ一つの物語を読むたびに、「家族」とか「個人」とかの境界線があいまいになっていき、「善と悪」とか「愛と憎しみ」という二項対立の間がぼやけていく。
彼が見えていた「人間」の姿は言葉では言い表せない、様々な「淡い」があったのではないか。そんなことを思うと、自分の見えている景色も気が付けば自分が勝手に境界線を引き、見えていないものがたくさんあるのではないかと、いい意味で自分の視界に疑いを持てるようになった。
自分の言葉の使い方。そしてその言葉の先にあるぼんやりとした世界に思いをはせる本だった。人間ってやっぱり面白い!と思った作品だった。
「月と六ペンス」
この本のデザインが好きすぎて、ずっと読みたかった本。でも失敗したくないから、結局購入はせず図書館で借りて読んだ。
中年の堅実な仕事と家庭を持つ男性が、突然家を出てパリへ行く。その理由は「絵を描かないといけないから」。
決して「画家になりたい」でも「有名になりたい」という理由ではなく、主人公はひたすら「自分は絵を描かないといけないんだ」と繰り返す。
結局彼は、放浪しタヒチにたどり着き人生を終える。彼の絵は彼の死後に有名になるのだが、彼はそれを知る由もないし、多分興味もない。
彼の人生はいったい何だったのか。そんな人生の虚しさとそこにちらりと光る閃きを感じる本だった。
そして、面白いのは主人公1人の決断に周りの登場人物が翻弄されることだ。彼はあくまでも自分のために様々な決断をしていくが、その決断は静かに周りの人々の生活を揺さぶっていく。
人間はどこまでいっても、他人と離れることはできない。そんな人間のもどかしさを感じつつ、自分は一人ではないからこそ、選択することの尊さを感じる作品だった。
「同志少女よ、敵を撃て」
最近話題になっていた本。「戦争は女の顔をしていない」を漫画版で読んでいたこともあり、独ソ戦での女性兵士のことは興味を持っていたので、購入。
この小説400頁超あるのだが、面白すぎて2日で読み終えてしまった。
日本人の作家さんが書いているとは思えない緻密な現場の描写。独ソ戦の史実に基づいた作戦の説明もわかりやすいので、舞台の対局はつかめる。そして、1つの弾丸が打たれる刹那的な描写も非常に丁寧で、登場人物の心理がすさまじく変化していく様子にちゃんとついていける。
「戦争」を題材にしている作品だが、私はこれから「物語」の恐ろしさを受け取っていた。戦争ではそれぞれの国が「物語」を作り上げて、敵を倒すことを正義とする。最初は突拍子もない物語だとは思いつつ、気が付けば自分もその「物語」に組み込まれ、「自分の物語」が自分の中で姿を消していく。
主人公は10代の女性狙撃手。彼女を狙撃手にし、戦いをともにする上司は彼女にいつも問う。「お前は何のために戦うのか?」と。
どんな答えを話しても、彼女はうなずきもせず、その問いを問い続ける。彼女は答え続ける。この堂々巡りが、実は自分の物語を失わないことであるということは、この小説を読み終わったあとに、体感する。
グロテスクな描写も結構多いので、苦手な人はご注意を。
「『利他』とは何か」
私は「地産地消における消費者の在り方」を卒業論文のテーマにしていた。論文の中で「消費者にどう利他的な消費行動を起こしてもらうのか?」という問題について考えてあぐねていた。
卒業論文提出を間近に控えた頃、先生からこの本を勧めてもらった。
この本は題名の通り、「利他」について様々な視点から考える本だ。
興味深かったのは、利他とは「これをすれば、あの人が助かる」という狙いを定めたものではなく、自分の行為が気が付くと誰かのためになっているという自分の意志から離れたところで起きているのではないかという話だった。
今自分が何かを選択することによって、バタフライエフェクトのように、どこかに影響を与えている。そう思えば、自分が持っていない何かを「利他」のために得ようとするのではなく、自分の周りの関係性を丁寧につないでいく。その作業と想像力が必要なんだろうと思った。
新しい関係性を築くことも大切だけど、あなたの足元にはもう深く関係性の根が張られている。そう思うと、誰かのためになっていない人なんていなくて、あとはその「つながり」をどれだけ体感できるかだと最近は思っている。
ここまで、10冊の本を紹介してきた。このほかにも、たくさんの素敵な本に出会えた。
茨木のり子さんの詩集も、サン=テクジュペリの「人間の土地」も、最果タヒさんのエッセイも…。一つ一つの本が私にいろんなことを教えてくれたし、なにより今の「自分」の姿を見せてくれた気がする。
コロナ禍になり、人とのコミュニケーションが画面を通して行うことが多くなった。どこからでも離れた人と繋がれることは、大阪という「地方」に住む私にとってすごくポジティブだったけど、zoomでは相手との目線がどうしても会わず、どこかプラスチックのような手触り感のなさも感じる。
そんな時、本を通して人が丁寧に紡いだ文章に出会うことで、対面ではなくでも、ちゃんと生の声を深く受け止められる気がして、寂しがりな私にはぴったりの孤独な作業であり、コミュニケーションなのかもしれない。
来年はどんな本に出会えるかな。
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