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人と関わる余裕もなくて辛いという話

一日はどうして24時間で終わってしまうのかを嘆いたのは初めて。そんなことを言う人を理解できた試しはなかったし、いままで、一日の終わりを待つことは苦行とさえも思っていたのに。

今日はドイツでは祝日だった。なんの日かはよくわからないけど、宗教関係の祝日。講義やゼミの無いうちにと、週の予定に組み込めなかった発表の構想を練る予定だったのが、結局、ルーチーンでやらなければならない勉強に圧迫されて、参考図書の前書きしか読めなかった。そして貴重な一日が終わった。まだ明日提出の課題は終わっていない。

はっきり言って余裕がなさすぎる。なんでこんなに苦しいスタートを切ってしまったのか、私自身も混乱していて、冬休みまでこんな状態を続けなければならないことに恐怖している。冬休みという名の2週間の猶予で少しは楽になってほしい。これも希望的観測。

まず、時間に余裕がない。そして、心に余裕がない。
人と関わる時間も心の隙きもなくて、反応が鈍くなる。
学生は皆いい子たちだけれど、私には外国語で話しかけたり、かけられたりするための気力がなくて、申し訳なく思ってしまう。

とはいえ、人とは関わりたくて、社会の中になじんでいたくて、YouTubeで日々更新される日本語の動画を無心に眺めている。
そして更に時間が溶ける。脳を働かせずに細部まで物事を理解できるのはすごく楽で、そこに逃げてしまう。

結局机に向かって外国語と接していられるのは、今のところ一日5時間が限界で、その時間内に課題のすべてを終わらすなど、母国語話者と比べて倍の作業時間が必要な私には到底無理に思えてくる。

だから、今は作業可能時間を増やすための工夫と、早く作業を終わらすための工夫、語学力の強化が急務である。
明日からは、理解の出来ないポルトガル語が飛び交う自宅(ブラジル人二人と同居している。選挙が数日前にあった影響で色々と話題が尽きないらしい)ではなく、午前一時まで開いている図書館に朝から突撃しようと思っている。図書館には少なくとも人がいて、彼らも私と同様勉強していて、私は一人で孤独に本と向き合っているわけで無いことが実感できる。人の存在、更に同志の存在に勇気を貰えるというのは、前回図書館行った時に知った。
そして図書館に行けば、心理的逃避反応から解放される気がする。少なくとも、YouTubeをみてボケっとする時間は限りなく削れると思う。そしてできた余裕で人と交流して、語学力を伸ばしたい。

余裕がないときに、一旦立ち止まって、まず自分の状況を整理するのは大切だ。辛い時にこそ、原因を探って対処する。そのことを知っていて良かった。

学士課程入学なんて一からのスタートだけど、それまでの人生も全然無駄じゃない。経験したこと、人から与えられたものに胸を張って生きろ。

目標:クリスマスぼっち回避



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