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立春 − 身体知性を考える

2月4日「立春」
春が立つ。新しい一年のはじまり。

昨年から二十四節気が書かれたカレンダーを使っています。二十四節気とは旧暦で季節を表すために用いられていたもの。温暖化など気候変動の影響はもうすでに体感レベルでやってきているけど、おおらかな意味で、季節の移り変わりは昔も今もつながっているなと感じさせてくれる暦です。

旧暦だと今が新しい一年のはじまりなんですね。1月のお正月よりも身体は今のほうがしっくり来る不思議さよ。

ここ数年「身体知性」に惹かれて探求しつづけています。こうして頭で思考し、文字を打ち込んでいる作業にも「知性」は発揮されているわけですが、文字という文明が発明され、PCやインターネットなんてものが誕生した現代において、「身体」はすっかり置いてけぼりになっている。日々身体と共に生きていると思い込んでいたけど、身体を探求していくとまるで何もできなくなっている退化した自分を発見し、それはもうびっくりしたわけです。

たとえば、いま自分は本当にお腹がすいているのか?12時になったからお昼食べなきゃ、このあと打合せが続くから今食べとかなきゃ、この栄養をとっておかないと、とか思考で動いてしまいがち。身体が本当に欲するものは何なのか、身体の声を聞くことができていなかったかもしれない。

たとえば、いま自分はほんとうに嬉しいのか?周りに合わせて笑顔を作っているだけなんじゃないか、あれれ、自分の嬉しいってどんな感情や感覚だったっけ?あらためて見ようとすると、実に掴みどころがなくなってしまっていることに愕然としてしまう。

身体知性をめぐる旅は、こんなふうに”退化”した自分に次々と気づいていくプロセスでした。そして今も現在進行中。昔の人が見たらびっくりするほどの退化っぷりだろうね・・・

身体知性を探求する中で、わたしが勝手に師と仰いでいる人々は、ボディワークのセラピストやプラクティショナー、料理家、音楽家、武術家・・・とさまざまですが、彼ら彼女らの教えに共通するのは「赤ちゃん」や「動物」が最高の師匠であるということ。つまり生き物としての本能をいかに使えるようにするか。

もちろんそれぞれの教えには、深く豊かな理論体系(それもかなり難しげな)があるのですが、つまるところ「原初にかえれ」なんだなぁ。

ということで、わたくし日々のコーチングや暮らしの中で、自分の身体知性を探求しようと「赤ちゃん」や「動物」になる稽古をしています。たぶん普通の人が見たら怪しい稽古だけど(笑)。大人になる過程で身につけてきた知識、思考や動きのクセを手放すこと、これがほんと難しいんだな。だから稽古なんですね。昔の人の暮らし(生活動作、表現など)に触れると、そういう知恵がぎゅっと詰まっている。「道」の世界にはそのための型や稽古の工夫が体系化されている。そこをいろんな角度から知り、学び、自分なりにやってみる、そんな現在地にいます。

コーチングでも、身体知性を使わない手はない。自分の思考や感情に意識を向けるとき、そこに眠っている可能性を拓くために、身体というリソースを使う。身体を入り口にして可能性に気づいていく。これはものすごく探求のしがいがある方法だなと思っています。

身体知性を言葉で表現していくのはちょっと無理や矛盾があるのですが、自分のためにも、そしてこのことに興味のある誰かのためにも、この場所で少しずつ綴っていきますね。

立春。春はすぐそこに。
寒いから炬燵でぬくぬくしたくなるけれど、春に向かって今から身体を動かすといいそうですよ。早寝早起きして、掃除をして、てきぱき感を感じるだけでも身体が目覚めて、季節の変化の波にうまく乗れるようになります。

身体知性、面白そうでしょ?また書いてみますね。


それでは、ごきげんよう。




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