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≪Art Conservation10≫ものが語ることに、目を向ける

想像力を働かせると、ものには沢山のレイヤーがある事に気づく。

製品だとしたら、デザイン、制作、販売のそれぞれにたくさんの人が関わっていて、それがセカンドハンドだと、使った人のレイヤーが入って来る。考古学の資料だと、作られた地域、年代、帰属する集団、文化や環境などの情報は勿論だけれど、やっぱり誰かが作って、使って、それを何千年後に発掘した人がいる。ひとつのものには、沢山の事や人が紐づいている。

美術館での保存修復の仕事で、向かい合うのは何百年と時を過ごして来たものが多く、何も語らない作品を前に、一つ一つ遡るようになぞってゆくのは、ものと対話する様で、過去と重なる様で不思議な感じを経験した。

例えば、石膏のキャスト作品の表は大体綺麗に仕上げられているが、裏側や内側によく石膏を搔き出した跡を見る事がある。丁度3本指でえぐった線などは、何だか鮮明に動作が見える様で、同じように指でなぞると、一瞬150年前の知らない誰かと重なる様な感じがする。でもその後に、会ったことも無いこの人は、この人の人生を生きて、その一瞬がここに残って、それを150年後に見ているんだな。この人はもうこの地球上にはいないんだなと実感すると、切ない感じがする。

時に話は追っていくと、遥か遠くに行きついたりもする。大理石や石灰岩でできた彫刻は、それぞれの硬さや色味があるが、岩石の形成の歴史は何億年と遡のぼるものだ。石灰岩の隅っこに小さな生物の化石を発見して、この生物が生きて死んで沈殿して化石になるプロセスを想像してみると、(それはネオゴシック期の暖炉だったのだけれども)、急に点と点を結ぶ先が途方もなく向こうに伸びて行って、感嘆したりする。

そうこうしているうちに、作品に入った自然発生的なヒビや塗料の剥落、錆や湾曲までに愛着を感じてくる。保存修復する際に、その原因等を見極めるのだけれども、それは物理的に木が外気の湿度に反応して収縮/膨張する為、表面の塗料が順応できず剥がれたものだったり、彫刻の芯に入っている鉄の棒が錆て膨張して、膨張しない石膏に入ったヒビだったり、ミクロの世界でそれぞれの分子はそれぞれ自然に従って動いているのだなと思うと、何だか感慨深い。

同じひとつのものを観ても、恐らく着目点はそれぞれに違う。自分はどんなところに目が向くのか、どんなところに面白いと魅かれるのか、それを掘り下げるのは面白いし、人はどんなところに気づくのか、それを知るのも楽しい。

何の変哲も無い物でも、ずっと見ていると自ずと問いや疑問は生まれてくるものだ。こどもは自然に疑問を持ったり、色々なことに気づいたりするけれど、大人になるにつれてものを余り観察しなくなる。

美術館に行かなくても、日々見かけるものを先入観なしに少しだけ長く観てみると、日常が少しずれて、違う事を語ってくれるかも知れない。その中に見る誰かの日常や自然の原理に、世界はつながってるんだなと小さな感動を覚えたりする。

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