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≪Art Conservation8≫よく観る

私はコンサベ―ションの学生の時、大英博物館のチーフ・コンサベターの方に"どうしたら大英のコンサベターになれるのか"と、無謀にもストレートに聞いたことがある。恐らく子供みたいな直球の質問に、内心苦笑しただろう。一瞬後に、でも真剣に答えてくれた。

"よくものを観る事が出来る人が、良いコンサベターになる。だから良くものを観る事が出来る人になりなさい" 

私はもっと難しい知識やら技術のことを考えていたので、今度はこっちが面食らった。えっ?と一瞬思ったが、深い言葉だなと全容が分からずも、心の中にしまって置いた。

今思うとこの言葉は、とても真を突いた言葉だったのだな、と思う。私たちは見ている様で、実際には見えていない事はたくさんあると思う。そのものをはじめて見るかのように、全く見たことが無い物かのように見るのは難しい。しかし、それが観るという事だし、見ながら思考を働かせるのも又観る事だと私は思っている。観ることは問いを生むし、その問いに仮説を立ててまた観るのは、対話に似ている。

実際コンサベターがものを観るというのは、アセスメント(点検)であったり、使用する材料のテストをする段や、修復過程でのものの状態の変化であったりする。点検、テスト、作業過程というと、なにやら技術的だけれども、一番大切なところはそのものとの交流、対話の部分だと思っている。そのものに深いリスペクトと関心があってこそ、よく観ることは出来る。

なので、保存修復の仕事で求められる事は、純粋に技術では無い。思考しながら観た結果、出た仮説を立証するための科学、その結果を受けて、倫理・目的・方法・手段の最善を一緒に考えるのがコンサベターと言えるかもしれない。一緒に考えるのが大事なのは、それは"価値"を扱っているからで、本質的にコンサベターが残そうとしているのは、その価値の部分であるからだ。 

その何の目的の為に、何を残そうとしているのかのコミュニケーション無しに、保存しようとしても、それは技術的になってしまう可能性があるし、多くの人とは繋がれないかもしれない。

これからの時代の保存を考えた時、それはどう活用するかという事でもあると思う。保存と活用のバランスは難しく、さらにコミュニケーションというのは大事になってくるのではないだろうか。又、これからは専門の人たちだけで閉じてしまわず、どうコミュニティーの中で展開、発展していくかという事が重要のように思う。

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