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≪わたしごと22≫好きなこと・仕事・リスクマネージメント

イタリア人のアニメータのお友達と、どうやってアニメーターになったのかという話をしていた。彼女はロンドンでアニメーションの学位を取った後、アニメーションの仕事しかしていないらしい。フリーランスでやっているのだけれども、仕事が無い時もあったし何でも引き受けなくてはならない時もあった。

そういう風にやってきたの勇気あるねって言ったら、彼女はこう言った。"私にはやらないリスクの方が大きかった" 

なるほどね、と思った。私も好きな事を仕事にするという事を、全面的に諦めた時があった。その道を模索する事が危険極まりない様に思えて、もういいから安全に生きようと自分を説得した。それまでは良かったけれど、実際その後、強烈な重しが覆いかぶさってきた。残りの長い人生、結構あるけどその耐えるスタイルの生き方で大丈夫か?想像した時、気持ちはちっとも浮かなかった。

何がリスクで、どれが安全なのか。リスクマネージメントを考えた時に、それは金銭面と、精神面とあると思う。好きな仕事でお金がもらえれば一番良いけれど、好きなものがお金を稼ぎにくい仕事であったりする。

ヘレンケラーの言葉に、安全とは思いこみにすぎない時が多い、と始まる名言がある。そうだよな、と思う。リスクを取らないのが絶対安全とは限らないし、逆にリスクを取る事が必ずしも危険とは限らない。絶対的安全は無いけれど、思うに自分に背いて生きる道に無理をするのはリスクが高いような気がする。

ヘレンケラーの言葉のその後半はこう続く。

"危険を避けるのも、危険に身をさらすのと同じくらい危険なのです。人生は危険に満ちた冒険か、もしくは無か、そのどちらかを選ぶ以外にはありません" 

人生での選択は難しい。何がどうリスクになるか分からない場合が多い。現状維持や、みんなと同じにしている方が安全のように思えてくる。でも本当にそうだろうか?"冒険"か"無"かというのはall or nothing のことを言っているというよりも、自分を生きるという決断を促している言葉なのだと思う。私たちは生きているけれど、自分の人生を生きるというのは決断がいる。

私は、なんら自分のコアに繋がっていない事に、人生の大部分を費やすのはリスクが精神面に置いて高いと思う。お金はあっても、生きる力を失うと生きていくのは断然難しくなる。好きな事だけをして生きていくのは無理があるだろうけれど、自分の関心の強いフィールドで、得意な事を活かしていければ自己肯定感もあがるし、楽しい。もしくは、与えられた仕事を、その時に可能であった仕事を、自分のコアに結びつけて、そこから学びを得るように自分で組みなおせれば良い。

いづれにしても、自分のコアを知っているのって、重要じゃないか。それは日々シフトして行くかもしれないけれど、そこに敏感で、人生をそこから起点していく知恵や発想を持つことは大切だし、習慣になれば良いと思っている。

コアといっても、多分"本当の自分"とかのアプローチと違うような気がする。しっくりくる自分の錨(いかり)の様なものか。自己実現というけれど、その実現する"自己"って言語化出来なかったり、自分でも知らなかったりする。なので指標になるものは、わくわくする方角だったり、ものすごく納得できるものだったりするのではないだろうか。

100%安全というのは無いし、リスクはいつでもついて回る。人生におけるリスクマネージメントを考える時に、自分にとって何がリスクなのか、裏返せば何をどんな理由で自分は大切にするのかを、考えるようでありたい。恐怖心に振り回されずに、大切なものを見失わない意思決定のプロセスがスキルとして教えられる世の中になれば良いな、と思っている。

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