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≪Art Conservation7≫触れる、さわる

美術館や博物館、展示されているものに触れたら良いなと思う。

保存修復の仕事をしていて、一番の特権の一つは普段はガラス越しや遠くからしか見られないものに触れられる事だ。作品を目の前にしてそのものに触れながら観ると、ものは違った感じを開いてくれる。以外に軽かったり、重かったり、素材の温度や肌触りというものも、その作品の重要な要素だ。

例えば、茶碗。展示されるようなものだと、それらはガラスの向こうで、多くの場合地震対策としてテグスで台に固定されていたりする。もちろん見るだけでも、形を追ったり色を作った炎の加減を想ったり、重さを想像したりは出来るけれど、手に取って手のひらに納めたら、それは全く違う体験だ。

また、ロンドンの美術館では、視覚に障害がある方に向けての作品を楽しむツアーやイベントを見かける。Equal opportunity ということで、誰もがアートを楽しめる機会を提供するという事でやっている。美術館のアートの殆どは視覚に特化しているけれど、例えば彫刻なら触ってその肌感やボリュームを手から感じようという事だ。

そもそも、なぜ作品はガラスケースの向こうや、柵で囲われていたりするのか?なぜ触れないのか?

来館者が作品に触れる事の問題点は、まず破損ということ。触れられるような近い位置にあると、落書きされたりゴミを捨てられたりもする。チューインガムが付けられているのを発見したこともあった。保存修復の観点でいうと、湿度や温度調整を個別にするためにケースに入れられたり、あと触れられない様にするのは、人の手の油分がものにダメージを与えるとも考えられているからだ。例えば金属作品などは指紋が長年の間には酸化でエッチングされてしまったりする。

触れられる様な場所にある展示品や、建築物の一部が黒く手垢がついていたりするのを見たこともあるだろう。これはミクロで作品の表面にダメージを与えていると考えられているが、素材によるし作品の表面のコーティングの有無にもよる。ただ、実際の所どれくらいダメージを与えるかはわかっていない様に思う。これは、研究実験してもダメージの評価方法が難しい事と、ひとつの素材で立証してもそれを一般化できないという事などが理由だ。

ここで最初に戻ると、美術館・博物館のものに触りたい、これは可能なのだろうか?これは、全部がというのはノーで、一部はイエスだろう。その一部分をいろいろな方法を使って体験を拡大していく事は可能だろう。

私が感じる限りでは、美術館や博物館はますますインタラクティブになっている。専門の職員が来館者に触れてもらう用のものを用意したデスクを設けたり、模型やレプリカに触れたり、匂いを嗅げたりするものもある。テクノロジーを使用して知的好奇心をものやテーマにリンクすることが試みられる。全体的に、体験という事と好奇心や想像力を上げて、能動的に観てもらう方向に行っている気がする。

学術的に貴重な資料以外のもので、一般の方に触ってもらう、いうなればsacrifice objectの検討はするべきなのではないかなと思う。触覚での感知には大きな情報量がある。そして何よりも、触れるということはそこに親密性が生まれる。自分がものとリンクする。

保存する事と活用する事のバランスは難しい。これは突き詰めると価値の問題だ。その"もの"に価値があるから保存するのだけれども、その価値の所在は本来人に伝わって何らかの感情や思考を生み出すその人とものの間にある。"embodiment"という言葉が使われるけれども、ものの価値は人が感知して"体現"する所に存在する。

そうすると、収蔵庫で眠っている貴重なものの保存って何かという事になるし、保存活用のバランスを考えた上で、そのものの価値を私たちが最大限体現できる方法は何か、を考える事は柔軟性を要するように思う。

何をどうしてどうやって保存するのか。公開したり展示したりすることは、リスクやダメージがある。照明だって、長年の間には素材を劣化させている。

現在のバーチャルリアリティーは視覚だけだけれども、将来的に触覚も可能になれば、疑似体験としてアートや資料に触れるという事はありそうだし、それをきっかけに豊かな体験が出来るなら、とても良いと思う。

個人的にはやっぱり本物に出逢うのがエキサイティングと思うけれど、いろいろ違った体験方法を組み合わせたりして、人がそのものに一番深く中心近く入っていける方法の模索が、みんなの楽しさや嬉しさを倍増させる方向に行くといいなと、思っている。

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